母乳と鉄

(この記事はどらねこ日誌2009年10月19日掲載分に大幅な加筆・修正したものです)


■母乳は赤ちゃんにとって望ましい栄養
「母乳育児は多くの親子にとって望ましい栄養補給法である」
どらねこが抱く母乳育児に対する認識は文章そのまんまの意味であり、肯定的に捉えております。しかし、以下のような誤解がありそうだと懸念しております。

「母乳は全ての親子にとって最適な栄養である」

個別に考えれば、様々な理由で母乳育児が困難であったり、不適当であるケースが存在します。ところが、そんなケースなどまるで存在しないかのように、完全母乳で育てる事が重要であるというような指導がなされることがあるようです。母乳育児を推進する病院や、自然育児を推奨する助産師などの医療関係者においてそんな傾向がみられます。


■完全母乳*1困難が予想されるケース
【母乳の分泌量】
全ての母親が十分な母乳を子供に与えられるわけではありません。特に初産ではすぐに十分量の母乳分泌がされないケースが多いようです。こんなときに「でないおっぱいなどない、努力すれば必ず良いおっぱいがでる」というような極端な励まし方の母乳指導には無理があると考えられますし、母親を必要以上に追い詰めてしまうおそれがあります。


【子供の栄養状態】
赤ちゃんの栄養状態は皆同じではありません。なかには生まれてきたときの体重が少ない子供もおります。このような子供では、生まれてからすぐに十分な栄養が補給されないと低血糖状態を招きやすいと考えられます。母乳に拘るあまり必要な栄養補給を行わず、低血糖を招いてしまえば本末転倒です。


【母親の負担】
全ての母親が負担に耐えられる気力、体力を備えているわけではありません。栄養状態が悪かったり、体調を崩したときに無理に母乳を与えて病気を長引かせてしまうこともあるかもしれません。また、出産して十分に休養もとれないまま働かなければならないような経済状態の家庭もあることでしょう。母親の健康を含めた母子保健であることを忘れてはいけないでしょう。母親が母乳を与えやすい周囲の環境が整っているかどうかの確認も大事でしょう。

他にもあると思いますが、この記事では上記の三点をあげておきまして、今回は赤ちゃんの体重と栄養について考えてみようと思います。



低出生体重児と栄養
前項でも少し書きましたが、低出生体重児が分娩後すぐに十分な栄養補給ができないことや、寒い環境にさらして、体温を低下させてしまう事は低血糖症状を招くリスクを高くすると考えられます。どらねこの下の子についても、体重2500g未満で生まれましたので、糖水を与えるなど慎重な対応を行いましたが、なかには母乳に拘るあまり、母乳分泌が十分期待できないのに、吸わせればでると母乳以外のものを与える事を躊躇してしまう事例があるようです。これは、WHOの「母乳育児を成功させるための10か条」の6番目の項目を拡大解釈したためではないかと考えられます。

Give newborn infants no food or drink other than breast milk, unless medically indicated.
医学的な必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと

(訳は東京医学社「小児内科 特集 母乳育児のすべて」Vol.42 N0.10、2010年10月号より)



あまり多いケースではないといえ、低血糖は赤ちゃんの健康に深刻な影響を及ぼしかねない医学的に重要な案件だと考えられます。低出生体重などリスクの高い場合にすぐに母乳が十分に与えられない状況であれば、躊躇はしてはいけないと考えられるでしょう。


■母乳と鉄
お母さんのお腹の胎児は、低酸素の状態でも十分に酸素を母親の血液から取り出せることのできる酸素と結びつきやすい胎児性ヘモグロビンという大人とは違ったヘモグロビンを持っております。これが生まれたばかりの頃には多く残っているのですが、徐々に分解され、成人型のヘモグロビンに変わっていきます。そのため、徐々にヘモグロビン濃度が低下する傾向にあり、生後4〜6ヵ月くらいで最小値をしめすようになります。この時期を乗り切るため、体内に貯蔵した鉄が利用されるのですが、低出生体重児や胎内での栄養が十分に供給されなかった場合などには、離乳前に鉄欠乏状態になる危険性が高くなります。
このようなケースで母乳だけの食事を続けた場合には鉄欠乏状態に陥る可能性があることが研究により示唆されております。

この図は、生後4ヵ月〜6ヵ月の間に母乳のみ群(EBF)と母乳+固形の補食(BF+SF)を与えられた乳児の体内鉄の状態を表したものです。この中では、貯蔵鉄の指標となる血清フェリチン(Ferr<12で示された部分)に顕著な差が表れております。
体重3000g未満で生まれた子については、母乳のみ群で補食も与えられている群に比べ、貯蔵鉄欠乏の出現する割合が多い事が確認されます。しかし、出生体重3000gを越える群にはその傾向は見られませんでした。

母乳は赤ちゃんにとって最適な食べ物であるから、母乳だけを与えていれば良いと母乳指導の現場で教えられることが多いと思いますが、鉄については含まれている量が少ない傾向にあるので、不足の可能性も考慮したほうが良いかとどらねこは考えております。
 出生体重が3000g未満で生まれた子供については貧血に配慮し、必要に応じて母乳の他に鉄分を補うような気持ちをもっていても良いと思います。この場合には母乳だけよりも子供にとって望ましい栄養ということになるはずです。


■主義よりも健康を重視して欲しい
この例だけでなく、体重が少なめに生まれてきた子については、初産や体質などにより乳汁分泌が十分で無い場合や子供が上手く乳首から吸えない場合にも低栄養状態に陥る可能性が予想されます。誰もが同じように母乳がでるわけでもないし、赤ちゃんもみんな健康にうまれてくるわけではありません。このような元々リスクの高い児を持つ親に対し「努力が足りない」と「母乳代替品を与えず様子を見ましょう」という母乳指導が行われれば、のぞまない結果を招いてしまう可能性があるのではないかと心配されます。

母乳には様々なメリットがあり、その重要性を十分に知ることなく簡単にやめてしまうのはとても勿体ないことでしょう。母乳推進は母乳育児を行う中で起こりうる問題点をキチンと理解した上で推進されるものだと考えます。
ところが、母乳哺育は素晴らしいものと無批判に崇め、それが絶対であるかの如く指導、推進されるのにはやはり違和感をもってしまいます。
母乳と人工栄養は自然対不自然というような対立するものでは無いと思うのです。様々な状況に対応するためには選択肢が多い方がよいですよね?


■おわりに
母子の健康に関わる職種にある方は、何のための母乳哺育推進なのか、その点にもう一度立ち返って考えていただきたいと思います。母乳哺育を基本としながらも、状況に即した適切な栄養選択が行われるようになることを期待したいと思います。


その他参考とした文献:
Kramer MS, Kakuma R. Optimal duration of exclusive breastfeeding. Cochrane Database Syst Rev. 2012 Aug 15;8:CD003517. doi: 10.1002/14651858.CD003517.pub2.

*1:文字通り母乳以外のものを何も与えないで離乳期まで育てるようなものに限定