愕然

3月29日、とあることに気がついてどらねこは愕然としました。
研究のお手伝いや、原稿締め切り、年度末進行などなどに押しつぶされていて、肝心な事を忘れてしまっていたじゃあありませんか。
そうです、既に多くの読者さんは感づいておられるように、エイプリルフルールネタを考えていなかったのです。
ああ・・・これは本当に拙いことです。どらねこ日誌の時代から毎年欠かさず続けてきた伝統がついに途切れてしまうのですから。
とはいえ、今更とってつけたように嘘ネタをこしらえるのもどうかと思いまして、エイプリルフルールネタを断念することに親しました。楽しみにしていた方は数名ぐらいいらっしゃったかとは思いますが、来年は頑張るつもりですのでなにとぞご容赦お願いします。


■本当ってなんだろう
ところで、ウソの対になる言葉と謂えばホントウという言葉がそれに該当すると思います。ウソをつくのは簡単ですが、ホントウのコトを述べるのは中々に難しいものです。どれぐらい難しいかと謂うと、どの程度難しいのかすらわからないほど難しいと思います。
どらねこは子供の頃からよくウソをつく子供でした。子供はウソをついている自覚なくウソをつく、なんて話があります*1が、どらねこは子供の頃からウソをついている自覚を持ちながらウソをついていたような気がしますのであまりわからないのですが、そうした子供のウソは不都合な結果が生じたときに自分の中で整合性を保つために用いられたりします。経過を知っている大人から見ればウソであっても本人にとってはホントウのコトであるので、ボク、ウソついてないモン、と涙を流したりするわけです。
と、ここまで書いてきて思ったのですが、ウソをついている自覚があると思い込んでいたどらねこですがそれはホントウなのでしょうか。実際のところ、ホントウのコトだと思い込んで主張した内容にウソが混じっていてもそれを自覚できて居ないだけじゃないの?と思い至ったわけです。
自分に嘘をつけないという言葉は実は誤りで、自分についた嘘は自覚出来ないというのが実は正解なんじゃないかな、などとも思ったわけです。
そう考えれば、自分の事は自分が一番分かっているなんて言葉もどこまで信用して良いのやら疑わしいものですよね。
そんなわけで、ホントウだと自分では思っている事であっても、実はウソであるかもしれませんし、エイプリルフルールネタを・・・なんて気張らなくても、普段からウソを書き散らしているなんて可能性もあるわけです。なので、気合いを入れてウソを書こうなんて思わなくても大丈夫なわけです。
ボクがみんなのために、なんて最後に格好良い台詞を決めて記事を締めるときも、本当のところは単に他者のことを思いやるカッコイイ自分を良い感じに正当化しているだけのウソかも知れないわけです。
そんなウソからでた言葉であっても、誰かの役に立てる記事を提供できたらそれは嬉しいことだよね、なんて思いつつマイペースでブログを続けて行こうかなと思ってます。

*1:あるよね?