身土不二と地産地消ってどう違うの?
(この記事はどらねこ日誌2009年3月15日および16日掲載分に加筆・修正したものです)
学校で食育の授業が行われるようになってから「身土不二」という言葉をたまに目にするようになりました。これは簡単に説明すると、その土地で先祖代々食べられてきた地元産の食材を食べるコトが健康維持の秘訣であると謂う考え方です。ところが、食育の場面では「地産地消」と同じような物であると説明されることもあります。今回は一般の方にその中身があまり知られていないだろう「身土不二」について「地産地消」と比較しながら色々と検証してみたいと思います。
■地産地消とは
なんとなく似ていると思われがちな地産地消と身土不二、その違いはどこにあるのでしょうか? まずは「地産地消」がどのような考えであるのかを先に見ておきましょう。
地産地消
これについてはwikipediaの記述が良くまとまっており、引用させていただきます。(2013年2月2日版より引用、赤字強調はどらねこによる)当時、農村では伝統的な米とみそ汁と漬物の食事パターンをしていたため、塩分の取り過ぎによる高血圧などの症状が多く見られた。戦後、日本人の死亡原因第1位の感染症(結核など)が克服され、当時の死亡原因第1位となった脳卒中を減らすためには、原因の1つとみられる高血圧の改善が必要となった。また、伝統食の欠点(塩分の取り過ぎの他、脂肪・カルシウム・タンパク質の不足など)を改善することも国民の健康増進のためには必要と考えられ、不足しがちな栄養素を含む農産物の計画的生産と自給拡大の事業が実施され、同時に生活改良普及員らによって周知事業も行われた。
このような活動の中、特に農村においては他地域から不足栄養素を多く含む農産物を買い求めるとエンゲル係数の増大を招いてしまうため、地元でそのような農産物を作ろうということで「地産地消」という語が発生した(当時は1ドル240円程度であり、農産物輸入をしようとしても高額になってしまい、不足栄養素を補うという目的を果たせなかったため、安価な国内生産を選択している)。雑誌「食の科学」1984年2月号には、秋田県河辺町(現在は秋田市の一部)がこの事業に取り組んで緑黄色野菜や西洋野菜の生産量を増やす運動を実施し、「地産地消による食生活の向上」を標榜していたことが明記されている。
さらに、実際に関係者に対し行った聞き取り調査でもその事実が裏付けられております。
荻原由紀 『フードファディズムと「和食至上主義」』農林水産省農林水産研修所生活技術研修館 日本リスク研究学会第 20 回研究発表会 講演論文集(Vol.20,Nov.17-18,2007)より引用
著者の知る限りもっとも早い「地産地消」の語句の使用例は、1981年に秋田県河辺町(現秋田市)の農業改良普及員と生活改良普及員が地元関係者らと行った活動である。彼らの地産地消とは、外部から買っていた洋野菜を地元で作ることで経済的不利益を解消し、かつ脳卒中の多い地域であったことから減塩や乳製品の消費増を通じて健康状態を改善しようとする活動であった。
<中略>
著者は2006年に当時の関係者達に聞き取り調査したが、「身土不二」とは全く関係がないとの証言だった。
どうやら、地産地消というのは、今までその土地で食べてきたような伝統食の栄養学的な欠点の改善を、それまであまり栽培されてこなかった農産物をとり入れることで、地元の生産物だけでも十分な栄養バランスが確保できることを目標にした取り組みであったようです。地元である理由も、経済的な側面が大きかったというところもポイントでしょう。
その後、円高の進行と農産物の関税が大きく引き下げられた事から地産地消は一時衰退しかけましたが、近年の食品安全問題や食育という観点から見直されるようになってきたようです。その現在的な意味合いの「地産地消」においても、地域のものだけを食べることを推奨するわけではなく、旬には地域のものを食べ、それ以外の時期は他地域で栽培されるものを勧めるというものです。また、伝統的な作物だけでなく、付加価値の高い新しい野菜、果物の生産も推奨されるものです。
次に「身土不二」はどのようなものか見てみましょう。
■身土不二の起源
この言葉は食育の場面で、元々は仏教用語であったと説明されたりしますが、食事に関連する言葉として用いられるようになったのは、明治時代の石塚左玄による食養運動にその起源があるようです。歴史的には石塚左玄の弟子である西端学が師の提唱する理論や思想を基に「身土不二の原則」としてまとめ、用いたものとされております。この事を示した文献をいくつか引用してみます。
石塚左玄―伝記・石塚左玄 桜澤如一 著 日本CI協会 刊 p120,121より
彼は自然を體得しようと欲して、完全にそれを仕了せた。「天の命」、「地の令」を完全に領解して彼は「人の従ふべき道」を見出した。それは後に西端學大佐が「身土不二の原則」と名付けられた「食養道」である。天の時と地の理に和すべき人類食養生活の根本原則である。それは單なる學説ではなく、古今を通じ、東西に貫いて常に完全に正しい、確かな、秋毫の誤るもないものである。
食と健康の古典1 病は食から 沼田勇 著 農山漁村文化協会 刊 p39より
左玄の思想を「身土不二の原理」と呼び出したのは、左玄の死後、食養会長となった西端学であるが、それを現代にやさしく説き伝えたのは、第二次大戦後、「G・O」とか「オーザワ」の名で世界に広く知られた桜沢如一の功績である。
身土不二という言葉を紹介した桜沢如一は石塚左玄の教えを基に彼独特の思想、哲学の集大成である「無双原理」というものを考案しました。その桜沢の「無双原理」における食養*1の原則はこの「身土不二」の考えを大きな基礎としており、長寿論としてのマクロビオティックはそこから生まれたものであると考えられます。
■身土不二ってどんなもの
これは簡単に言うと、人間は先祖代々暮らしてきた土地とはきっても切れない関係にあり、生まれ育った土地に実った食物を食べる事で健康を保つことが出来るという考え方です。これだけでは地産地消の主張と重なる部分があるように見えますが、その内容は大きく異なるものなのです。その土地に育った物であれば何でも良いというわけではありません。
では、その違い*2をみていきましょう。
【その土地に根付いた伝統的食品】
地産地消では、その土地で収穫された旬の食品をその土地で・・・、という主張ですが、身土不二ではその土地で収穫された物でも不適切な食品が多数あります。例えば、ハウスで栽培された食べ物や農薬を使用した食物は自然を汚したものとして忌避されます。また、昔から日本の風土に馴染んで淘汰を受けてきた食品が正しい食べ物とされ、基本的には移入農作物は敬遠されます。
そこから派生した考え方のうち、次の二つも同様にマクロビオティックや食養で重要な考え方とされています。
【人間の食性】
人間の歯の構成をみれば何が適した食事であるのかがわかるという主張である。人間の歯は臼歯が20本、門歯が8本、犬歯が4本であり、犬歯は肉をかみ切る役目、門歯は野菜をかみ切るため、そして臼歯が穀物をすり潰すためにある。この比率に従い、穀物、野菜、動物性食品をおよそ5 : 2 : 1の割合とするべきである。
この考え方から人間は穀食動物(人間穀食動物論)であり、玄米を中心とした穀物菜食が「マクロビオティック」や「食養」において、正しい食事であるとされております。身土不二に基づくマクロビオティックの考え方では、その土地のものであっても肉食は基本的に望ましくないとしているのです。ここは地産地消と大きく異なる点でしょう。
【まるごと食べる】
身土不二の考え方ではその土地で採れた食べ物は人間にとって必要なものを全て備えているとします。たべものには無駄な部分などあろう筈がありません。なので、米は精白しない、野菜は剥くな、皮まで食べよう。煮る場合もアクはすくわないで無駄なく食べようと教えます。(一物全体食論)
この一物全体食論に関連した次のようなエピソードがあります。
病は食から 沼田勇 著 農山漁村文化協会 刊 p53より
左玄はまた、白米は粕であるとし、米の康(やす)らぎは糠にあるともいった。野菜を湯がくことを禁じ、皮をむくことも大根のひげ根さえもとらないように主張した。
そんなことから、左玄を信奉した桜沢如一などは、大衆のまえで落花生を殻ごと食べてみせたり、また玄米を籾ごと食べる人もあらわれたりしたものである。
このような食養の信奉者やマクロビオティックの創設者桜沢如一の教えを忠実に守る人々は「身土不二の原則」を次のようにとても大切に考えております。
【大自然の理であり、大宇宙の真理である】
この原理に基づき生活をすれば、病気など一切しない健康で幸福な生活を送ることができるものである
いかがでしょうか。マクロビオティックは単なる健康法ではないことを何となく感じていただけたのではないかと思います。なにせ、「宇宙の理」ですから。「身土不二」と「地産地消」は一見似ている部分があるものの、基本的な考え方からして大きく違う物であることがわかります。
自治体などの食育スローガンとして用いるのであれば、「地元の野菜を活用しましょう」とか、「旬の野菜を食卓に」で十分ではないかと、どらねこは思います。わざわざ「身土不二の原則」という言葉を持ち出し、昔の誤った栄養学である「石塚左玄の食養」や「マクロビオティック」を教育の場に持ち込む必要は無いのです。