病は食から−食養と謂う名の病?−

『病は食から』 沼田勇著 農山漁村文化協会(1978)

この本からは、マクロビとホメオパシーの類似点を述べるにあたってステロイド忌避などの深刻な事態を招きかねない主張を食養の指導的立場の人が行っている事を紹介させて貰いました。参考にした以外にも色々と興味深い(悪い意味で)本でありましたので、紹介と反論や問題点を指摘してみたいと思います。尚、この記事の趣旨としては問題提起よりもトンデモウォッチ的でありますので、その点を了解して読んでくだされば有り難いです。

■沼田勇氏はどんなヒト?沼田勇氏は生化学を専攻とする医師で、石塚左玄の思想を受け継ぐ食養家なわけですが、こちらの自然食ニュース社が刊行する、『月刊自然食ニュースNo.300』では、次のように紹介されております。

沼田勇先生は、幕末から明治にかけて食べ物の指導だけで多くの病気を治した石塚左玄の食養法の研究、実践に取り組んで60年。その間、軍医として赴いた中国大陸では捕虜となった部隊を左玄の食養法の応用で栄養失調やコレラから救い、復員後は伊豆大仁に医院を開業して玄米菜食を指導、昭和29年からは『日本綜合医学会』の創立メンバーとして、「医は医なきを期す」の理念の下に現代医学に反旗をかかげ、食生活を中心にした病にならない未病医学を提唱されています。

ところで、リンク先で読める月刊自然食ニュースのインタビュー記事はちょっと面白い内容*1かと思いますので、興味のある方は読んでみてください。

ええと、前置きが長くなりましたね、では本題に入ります。沼田勇氏は現在、日本綜合医学会の永世名誉会長という事で、食養の世界ではかなりの大物と謂えそうです。そんな彼がどんな主張をしているのでしょうか。

■穀食主義についての沼田氏の主張

第二章導入部での面白記述 p26より
たしかに人間は、フレームをつくったり、品種改良をしたり、養殖をしたり、無から有をつくり出し、料理によって食べられない物を食べられるようにし、毒を変じて薬とし、さらには石油からビフテキをつくったりしている動物である。

無から有を作り出すって、桜沢氏お気に入りの生体内元素転換よりも凄いですね。ノーベル賞はもらったも同然です。ところで、石油から肉というのは技術的な話しであって、ビフテキは作られてないと思うのよね。ミスリーディングを狙った悪質な文章と認定して差し上げます。

p28より
さらに、人間は他の動物を殺傷する武器を持っていないし、またとくに日本人の場合、古来穀物と菜食で健康・長寿を保った例が無数にある。

いや、こぶしや足で小動物は容易に殺傷できると思うけどね。あと、延長された表現型を考えれば、ヒトのつくりだす道具というのはヒトの本質が持つ武器とも謂えるでしょうね。穀物と菜食で長寿の例は論外。疫学でしか判断できないことをさも根拠のあるように見せかけたダメダメな例。肉中心の食事でも健康、長寿を保つ例だってあるでしょ、で終わり。

p32より
4 人間だけが持っている“でん粉分解酵素
肉食動物、草食動物の唾液のなかには、でんぷん分解酵素であるプチアリンといったものは含まれていないが、人間の唾液にはそれが含まれていることにも注意を払っておきたい。

齧歯類やウサギ、それと豚の唾液にも含まれる事が知られておりますが・・・人間だけというのは乱暴じゃあないの?

ヨーロッパのヒトは何故肉食なのかという話しから p32より
さらに北では冬小麦、ライ麦、春小麦、燕麦や亜寒帯大麦をつくる。穀物以外ではじゃが芋、甜菜などである。不可欠アミノ酸の構成はは悪く糠の部分が多い。米では一割以下だが、麦類では四割が外皮(ふすま)なのである。
彼らは、こうして蛋白質不足となるのだが、不足した蛋白を魚介類に求めることができない。夏に雨が降らないと、陸上の汚物が流れないので、プランクトンが発生しない。プランクトンのいないところに魚介は生息しないからである。
<中略>
東北部ヨーロッパに遊牧民族の生活が広くとり入れられたのは当然であろう。パンやスパゲッティを食べ、ビール、ウイスキーとともに、バター、チーズ、ソーセージ、干し肉を食べる。じゃが芋、ビフテキ、牛乳を食べる。これは、やむをえなかった風土的な条件からきた食生活だったのである。

いやさ、日本の食生活は素晴らしくて、東北部ヨーロッパはやむを得えずの食生活だと謂いたいの?何様のつもりなんだろう。ところで、プランクトンは南極にも生息しているし、北ヨーロッパでも漁業は行われているけど、それについてはどう考えているのだろうね?ただ単に、内陸では海産物の摂取割合が少ないと謂うだけの話しじゃない?日本だって昔は内地のヒトは魚を食べる機会はとても少なかったはずでしょう。なんともかんとも。

身土不二や風土食論について沼田氏の主張

p42より
ヨーロッパ人が生野菜を食べるのは、栄養学的見地というよりは、肉食者としての横着さに起因するものだという説がある。日本人はその点では反対で、かりに農業をやめても、その勤勉さは工場内もち込まれて、経済成長ナンバーワンをつくりあげてしまうというのである。冬の草であるヨーロッパの作づくりは労力をあまり必要としないし、牧畜も牧草のあるところでの放牧であるから、自然ヨーロッパ人は横着となり、日本人は作づくりに労力を惜しむわけにはいかないから勤勉になるというのである。

なんたる偏見。玄米菜食みたいな生活をしていると、偏見を持った人間になりますよなんて自分が謂われたらどんな気持ちになるのでしょう。もう少し想像力を働かせて欲しいモノ。しかも事実かどうかすら探求しようとしていない・・・

■一物全体食論と食養家や沼田氏の主張

p53より
左玄はまた、白米は粕であるとし、米の康らぎは糠にあるともいった。野菜を湯がくことを禁じ、皮むくことも大根のひげ根さえもとらないように主張した。
そんなことから。左玄を信奉した桜沢如一などは、大衆のまえで落花生を殻ごとたべてみせたり、また玄米を籾ごと食べる人もあらわれたりしたものである。

「落花生はオレに任せろー」
バリバリ
「やめてーっ!」

p54-55より
2 負のエントロピー・植物の種子を食べよ
現代の物理学者もまた、「生きているものを丸ごと食べなければならない」としている。なかでも植物の種子(穀物も種子である)がよいというのだ。一物全体食論にはうってつけの理論である。
それは、一九三三年(昭和八年)ノーベル物理学賞を受賞したE・シュレジンガーの理論で、要するに熱力学の第二法則(エントロピーの原理)を用いた理論である。難しいことはさておいて、結論だけ紹介すると、「生物は負のエントロピーを食べて生きている」ということである。
少々物理学的にいうと、生物はたえずエントロピーを増大している。そして、エントロピーが最大になった時に死ぬのであるが、その増大するエントロピーを周囲の環境や食べ物に捨てる=移し換えることによって、エントロピー増大にブレーキをかけ、生命を維持しているのである。
したがって、エントロピーが最小である植物の生きた種子を丸ごと食べることが、生命の維持、健康長寿にはもっともよい、ということになるわけだ。

難しいことをさておくからこんな事になっちゃうんですよ、沼田センセイ。
なんて、謂うどらねこも難しいことはよく分かりませんが・・・少なくとも、なんで生きた植物の種子がエントロピー最小と謂えるのでしょうか?その根拠が全く示されていない事はおかしい事ぐらいは分かりますよ。豆じゃなくて肉じゃ駄目なんですか、全く生きていないはずの分離精製された栄養素でも体の秩序を維持できる事はどうやって説明するんですか、沼田センセイ?
F岡氏とは違った方法で誤読している例だとオモフ。おそらくだけど、沼田氏は生命は歳月を重ねるウチに徐々にエントロピー増大に向かっていて、発生の早い段階の生命ほどエントロピーが小さいと思いこんでいるじゃあないかとどらねこは考えている。(はずれているかもしれないけど)
どっちにしろ、難しいことを謂って自説に説得力を持たそうというような意図なのは間違いないでしょうね。

p61より
5 白米は有害食品として指定すべきだ
米についていえば、白米が有害であることは、今日誰しも漠然とは知っている。この本でも、これまでに玄米、玄米とそのたびごとに主張してきたし、それはすなわち白米はダメ、有害だということをいってきたのにほかならないが、このへんで改めて、白米と玄米の問題を正面からとりあげておこう。

この本や食養・マクロビオティックの考え方が有害であることは、とらねこ日誌を読んでくださっている皆様は誰しも知っている。

p62-63より
つまり、白米にはビタミンB1が皆無に近く、しかも白米からほとんどの糖質と熱量をえているかぎり、日本人は生理的にB1不足となることは明らかなのである。
それが事実として証明されている以上、白米は食品衛生法上の取締りの対象になるのではないか、有害食品として指定すべきではないのか。

いや、白米からほとんどの熱量を摂るような極端な生活をしている人は今日あまり見かけないでしょ。豚肉食えば直ぐ解決じゃないの。因みに、玄米も白米同様ビタミンAやC及びDさらに、ビタミンB12は殆どふくまれておりません。玄米ばかり食べて魚もちょびっとしか食べない、肉も食べない生活をしていたら、色んな栄養成分が不足してしまいますよ。そんな食事法は有害思想として取り締まる必要があるのではないですか?

■陰陽調和論についての沼田氏の主張
沼田氏は石塚左玄の主張したNaとKの日だけで玄米の有用性を説いたことについては次のように批判しています。

p77より
もちろん、今日の科学からすると、左玄がNaとKとの比からだけ(その数値も今日ではかなり不正確である)で玄米のすぐれたカチをとり出したのは学問的に十分とはいえない。

おっ、このヒト割合まともなんじゃない?とは思ってはいけない、油断するな。大事なことを指摘したと思ったら、すぐさま次のようにつないでいる。

だが、左玄に易の思想、陰陽調和論の思想がなかったら、部分にとらわれることなく、このように巨視的な発見をなしえなかったであろうことも間違いはない。

いや、巨視的な発見って・・・不正確で学問的にも十分と謂えない根拠無い言説じゃないの?まともに考えたら。正直、何を謂っているのかどらねこには理解できません。

■終わりに
どらねこが食養やマクロビを批判するのは勿論、食に関連する健康被害を及ぼしかねない考え方であるからなのですが、拘るのにはもう一つ理由があります。
それは、彼らの考える正しい日本食を正当化するために、他国の食文化や、他民族の方達を不当に貶めるような差別的な考え方です。以前、河内省一氏の文書を採り上げたときも同じような差別的な考え方が随所に見られました。
このような考え方が、食育や地産地消有機栽培などの耳障りのよいキーワードと共に広まってしまうのを見過ごしたくありません。どらねこの書いたものによってこの事が少しでも多くの方に届きますように、そう願っていい加減しつこいくらい批判記事を書いております。
どうぞよろしくお願いします。

*1:真弓定夫氏の主張は島田彰夫氏や沼田勇氏の影響を強く受けて居るんじゃないかな、と最近思うようになってきました。