教員は修士レベルへという答申について思ったこと



■教員は修士レベルへ?
どらねこは先日、将来的に教員免許は大学院修了レベルの資格へというニュースを読みました。

日経新聞より
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2804V_Y2A820C1CR8000/
中教審修士レベルの教員養成を提言
 中教審は28日、現在は大学4年間で教職課程を履修すれば取得できる教員免許を、将来的に大学院修了レベルの資格にするよう平野博文文部科学相に答申した。いじめや不登校など生徒指導上の問題や学力向上など学校の課題が複雑化する中、大学院で実践的な訓練を積んだ教員を増やすことが不可欠としている。
 答申は、教員免許を学部4年で取得できる「基礎免許状」、大学院1〜2年の課程を終えた教員に与える「一般免許状」、学校経営など特定分野で専門性を身に付けた教員に与える「専門免許状」の3段階とした。

教育は、人が社会をつくりそれを維持し発展させる為には不可欠なものであると思います。その中でも学校教育の役割は近代社会では不可欠なものでありその期待も大きいわけですから、教育を担う教職員のレベル向上について関心が払われるのは当然と謂えるでしょう。それでもこの話を聞いてなんだかなぁ、と思うどらねこも居たりするのです。そんなモヤモヤな気持ちを例によってダラダラ書いてみようと思います。


教職大学院
このニュースを聞いてすぐに思い出したのがその2日ほど前に掲載された記事でした。

読売新聞8月27日記事、教職大学院、半数で定員割れ…メリット少なく より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120826-00001072-yom-soci
 学力向上からいじめまで、教育現場が抱える様々な問題に対処できる高い専門性を持つ教員育成を目指す教職大学院の2012年度の入学状況は、全国25校のうち13校で定員を下回っていることがわかった。

 制度発足から5年連続で、4割超の大学院で定員割れが続いている。中央教育審議会は28日、教員の養成期間を6年に引き上げる答申をまとめるが、受け皿となる大学院の中には、定員削減に踏み切る動きも出ている。

 読売新聞が教職大学院25校について今年度の「定員充足状況」を調べたところ、13校で入学者数が定員に対し60〜95%で、定員割れの状態だった。25校全体の総定員815人に対し、入学者数は782人だった。

将来的に基本は修士以上の学歴を、と述べているわけですが現状ではわずか815人の定員にも満たないわけで、本当に需要があるのだろうかとも思ってしまいます。
とはいえ、教職大学院を卒業するメリットが少ないから人気が無いだけであり、それが優遇される若しくは卒業しなければ教員として働けないという事になれば一気に状況は変わることでしょう。もしどらねこであれば、同じ待遇で教育現場が抱える様々な問題に対処させられるようになったらたまったものではありませんので、興味のある分野の大学院へ進む方を選ぶことでしょう。
教職大学院ってそんなやり方をしてまで導入しなければならないほど皆から求められているモノなのでしょうか?どうも疑問です。


教職大学院の目的
教職大学院はどのような理念でつくられたものなのでしょうか? 文部科学省のウェブサイトにある教職大学院について説明のあるページを読んでみました。

教職大学院とは
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kyoushoku/kyoushoku.htm

教員養成の分野についても、子どもたちの学ぶ意欲の低下や社会意識・自立心の低下、社会性の不足、いじめや不登校などの深刻な状況など学校教育の抱える課題の複雑・多様化する中で、こうした変化や諸課題に対応しうる高度な専門性と豊かな人間性・社会性を備えた力量ある教員が求められてきています。このため、教員養成教育の改善・充実を図るべく、高度専門職業人養成としての教員養成に特化した専門職大学院としての枠組み、すなわち「教職大学院」制度が創設されました。
 教職大学院は、学部段階での資質能力を修得した者の中から、さらにより実践的な指導力・展開力を備え、新しい学校づくりの有力な一員となり得る新人教員の養成、現職教員を対象に、地域や学校における指導的役割を果たし得る教員等として不可欠な確かな指導理論と優れた実践力・応用力を備えたスクールリーダー(中核的中堅教員)の養成の2つを主な目的・機能としています。また、実践的指導力の育成に特化した教育内容、事例研究や模擬授業など効果的な教育方法、これらの指導を行うにふさわしい指導体制など、力量ある教員の養成のためのモデルを制度的に提示することにより、学部段階及び修士課程など他の教職課程に対してより効果的な教員養成のための取組を促すことが期待されています。

(赤字強調はどらねこによる)

本当に挙げられている項目などについて学校教育の抱える課題が複雑・多様化しているのかは不明*1ですが、たしかにいじめや不登校の問題などは深刻な課題として存在していることは間違いありません。では、それを解決する為に何が必要なのか?その答えが教職大学院にあるのだろうかと謂う疑問もあるんですね。だって、豊かな人間性というあやふやな能力を鍛えるメソッドなどはどこにあると謂うのでしょう? そうした懸念をどらねこに強く持たせたのが文中にある「資質能力」という単語でした。


■資質能力ってなんぞ?
資質能力という聞き慣れない単語ですが、その意味するところは天性のモノである「資質」とは区別されるもののようです。

新たな時代に向けた教員養成の改善方策について (教育職員養成審議会・第1次答申)より
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_shokuin_index/toushin/1315369.htm
 昭和62年12月18日付けの本審議会答申「教員の資質能力の向上方策等について」(以下「昭和62年答申」という。)の記述(注)等をもとに考えてみると、教員の資質能力とは、一般に、「専門的職業である『教職』に対する愛着、誇り、一体感に支えられた知識、技能等の総体」といった意味内容を有するもので、「素質」とは区別され後天的に形成可能なものと解される。

そして、教師に求められる資質能力は次のようなものだそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/needs/index.htmより図を抜粋

教養や知識、技能については専門教育で養う事ができる、というのはどらねこには十分理解できます。しかし、「愛情」「情熱」と謂った内心に関わるようなもの、「個性」、「感性」、「創造力」と謂うような生得的や幼少期に培われるような能力などが示されている事に不安を持ってしまうのです。それらは「素質」として示される類いの能力ではないでしょうか? そして、大学院に於いて、それらの能力が養われたことをどうやって確認、評価するのでしょうか?色々と疑問です。


■問題点の在りか
昨今話題になっているような教育現場の不祥事ですが、その中には教師として向いていないような人間が教育現場にたった為に生じた問題がいくつもあるようにどらねこは感じております。例えば、児童の着替えを撮影するような事件に代表されるような性的嗜好の問題です。こうした性癖を教育でどうただすのかどらねこには想像もつきません。また、どらねこは自分の気に入らない子に対しては平等に扱える自信がありませんし、気が短いので生意気な生徒に対して憎しみの感情を持つ事なんてありそうです。こうした性格を持つ人はどらねこだけではありませんし、悪いと思いつつも直せない人格的なモノなのです。残念ですが、持って生まれた性格や成長過程で培われた性質によっては職業に向き不向きが現れてしまうものです。そうした人が不幸にも向かない仕事に就かないと謂う事が大切であろうと思います。
「教員に修士以上の学歴を」という答申に示されたあり方では、解決できない類いの問題でしょう。これらを解決する為には教師としての資質*2を残念ながら持たない人を選抜段階で見抜くことが求められると思うのです。不幸にも「資質*3」を持たない人が教職についた後、「資質能力」を高めろと大学院へ進学するというのは理に適っていないとどらねこは思うんですね。教員として採用された場合でも、必要に応じて配置転換を行い、教員に向いている人が教職に就けるようなシステムを作っていく方が大事だと思います。


■状況の改善を
教育者に求められる能力に対する水準が上がる一方、待遇は向上せず、公務員バッシングや公教育に対する世間からの不信など教員を取り巻く環境は悪化しているのでは無いかと思います。それでも尚、教員を目指す人がいるというのはたいした物だなぁとは思います。
「教える」と謂う行為にはそれだけ魅力があるのでしょうね。これは、人間が子供を持ちたいと謂う欲求を持つのと似たようなものかもしれません。自分が他者に影響力を持つ、自分の考えを相手に受け入れた貰うという行為はとても魅力的です。それがエゴであったとしても、公共の福祉に資するならばそれは望ましいことでしょう。
しかしながら、大いに魅力を感じ教育の現場を選んだ有望な人たちが、努力をしても誰にも理解されないような状況であればどうでしょう? いじめが発生しても、公表すれば学校の評価が落ちるから穏便に・・・という雰囲気が待ち構えていたらどうでしょう? 若い有望な教員をつぶすような風潮が現場にないでしょうか?
そうしたやる気を失わせるような状況を改善し、夢に見た魅力のある教員生活を続けられるような環境で働ける事が、大学院で学ぶ事よりは求められる資質能力とされる項目を向上させる切っ掛けになるとどらねこは考えます。
そんなワケで、養成課程に手をかけるよりも職場環境の整備が先だろ?というのが結論でした。


(色々と暴論すみませんでした)

*1:過去にも存在していたが顧みられることが無かっただけと謂う可能性もあるでしょう

*2:本来的な意味で

*3:本来の