もうダマされない為の読書術講義(?):その3

『もうダマされないための「科学」講義』書評シリーズ三回目です。今回は2章について、黒猫亭、みつどん、どらねこの3人が激論(?)を闘わせます。

・・・これまでの遣り取り・・・
もうダマされない為の読書術講義(?):その1
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111016/1318728079


もうダマされない為の読書術講義(?):その2
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111023/1319367371



■2章の前に
みつどん:では、河岸を変えて...と。先日はドイツビール飲み過ぎて予算が枯渇したので、チェーン店で申し訳無いけど。

どらねこ:どんちゃん*1がよければいいですよ。

黒猫亭:オレは何処でも良いですよ。

どらねこ:本題が片付くまで飲むのはダメですよ。

みつどん:そうですね。さて、デザートは―――(っ!!)

どらねこ:モフ?


黒猫亭:これは戴けないなぁ。

どらねこ:にゃんじゃこりゃぁ!



■2章に思った事
みつどん:さてと、では気をとりなおしまして。びしびしっと議論しちゃいましょうかね。

どらねこ:ええ、早速。では、お二方は2章についてどんな感じに読みましたか。まずはザックリとした感想を。

黒猫亭:オレ的には、感想を謂う意欲自体もうありませんね。

どらねこ:え、それはなんでまた・・・。

黒猫亭:なにを謂っているんですか、どらちゃんの記事*2が原因ですよ。

どらねこ:原因って、そんなぁ。どらねこは番外編で気になったところを吐き出して、本編では前向きな話をしようとですね・・・。

黒猫亭:本文と謂うよりもコメント欄の件ですよ。執筆者とされる人物から、本のタイトルや趣旨にそぐわない等の問題があるのはテキスト化の段階で混乱があったからで、その読解は自分の真意とは違うなどと謂われれば、「そうですか」としか謂いようが無いでしょう。書籍の文章からオレたちがどんな問題点を読み取ろうとも、それは「口述筆記の問題です」とか、「違う趣旨での発言です」で済まされてしまう虞がある。

どらねこ:いやそんな事は無いと思いますけど。

黒猫亭:あの本だけを読んだ読者は、どらちゃんが指摘したような問題を含んだ情報として伊勢田さんの章に書かれた内容を受け取っているわけですよ。あのレベルで不正確なら、それは「間違った情報」だと謂っても好いでしょう。シノドスで一回、「もうダマ」で一回、著者校正を取っているはずなのに、二回とも著者がそれをスルーしたと謂うのであれば、あそこに書かれている内容の何処までを著者の意図通りの記述と受け取って好いのかわからない。そこは読者に対する誠意の問題で、その手続を怠ったのであれば精読するだけ無駄ではないでしょうか。オレはこの章については、横から見物させてもらいますよ。どんちゃんとどらちゃんで議論してください。

どらねこ:まぁいいですよ。きっとどんちゃんと遣り取りしていれば黙っていられなくなって入ってくるに違いないのですから。それがおしゃべりの宿命ってモノですからね。と謂うわけでどんちゃんお願いします。

みつどん:なんとなく嫌な振られ方だねぇ。まあそれではざっと感想をば。科学哲学の話だとおもったら、いきなりサッカー用語が出てくるのはどうしてなんだろう?と考え込んでしまったよ。

どらねこ:えっ、そんな記述有りましたっけ?

みつどん:ディシプリン(規律)って、Jリーグ中興の祖にして近代レッズの生みの親、ホルガー・オジェック様が日本に持ち込んだ言葉でしょ?

どらねこ:なるほど、現代サッカーに於ける重要概念なのですね。でもそれ違うから。

みつどん:美味しそうだからすぐに覚えたのだけどなぁ。

どらねこ:そのA型ジャンボプリン美味しいですか?次は『プリン・ア・ラ・モード2の科学!』なんて謂いだしはしないですよね?

みつどん:(ぎくっ)まさぁ、はははーーー。あの、ええとさ、ところで真面目な感想の話にもどりますが、モード2科学とかローカルな知や周辺領域のお話は素直にフムフムと読み進めましたね。

どらねこ:一般に広まる『科学』のイメージだけでは取り扱えない部分についてのお話しを最初に持ってくることは重要ですよね。単に『科学』を勉強するためにこの『講義』を聞こう(読もう)としているワケじゃあないですからね。科学で何をするのか、科学は何をもたらすのか、などの自分たちはどう向き合えばよいのかと謂ったニーズがあるのでしょうね。

みつどん:うん。どらねこさんが最後にいった、自分たちはどうすりゃいいのさ?の部分がちょっと弱いかなぁ、と思ったんだよね。

どらねこ:といいますと。

みつどん:講義では、ローカルな知やモード2科学の紹介に重きが置かれていて、結果として全体的に主旨が「ダマされない」ことと関連性が薄くなっているような。ニセ科学疑似科学)との違いや相対主義との関わり、科学の基準など、最後にまとめてサラッと触れられている部分こそが一番美味しい所だと思うんですよ。言ってみればカラメル部分(ぱくっ)。

どらねこ:なるほど、この点について伊勢田さんが詳しく書いた記述がもうダマにあればより良かったのかもしれませんね。どんちゃんの感想で思い出したけど、どらねこも最後の方をもっと盛り込んで欲しかったなぁと感じたかな。

みつどん:他にもモード2科学について気になるところがあるんです。といっても伊勢田先生の主張では無いけど、人文科学がすべて「モード2」でエビデンスベーストではない、と言うのは流石に違和感を持つなぁ、と。例えば歴史はどっちだろう?そもそもなぜそうやって分ける必要があるのか。

どらねこ:このあたりをもう少し掘り起こすと面白いかも、本題からそれるかもですがつづけましょうよ。黒猫亭さんは何かご意見はありませんか?

黒猫亭:・・・はて、今何と仰いましたかな? 歳のせいかすっかり耳のほうが遠くなりましてのう。

どらねこ:・・・いえ、何でもありません・・・ダメだ、すっかりヘソを曲げているな・・・えーと、どんちゃん、その辺についてもう少し伺いたいのですが。

みつどん:例えば歴史では、諸説が決着つかずに並列している局面がある。解釈で意見が分かれる部分もある。でも、だからエビデンスを蔑ろにしているかというとそんな事は無くて、新資料が出たらそれに合わせてアップデートしていく訳ですよ。仮にタイムマシンか何かで直接歴史を観察できるようになったとして、それで歴史は大幅にアップデートされるだろうけど、歴史学の枠組み自体は変わらないんじゃないかな、と。

どらねこ:精度を高めていく努力についてはどちらも同じですよね。

みつどん:単純に対象による制約でストレートな結果が出せないだけで、学問的な手法自体はさほどカワンナイのではないか、と。じゃあ何でわざわざ分ける必要があるのかな?という違和感がありますね。ただ、こうやって感じている違和感の大部分は僕の科学哲学に対する無知に由来しているんだろうなと思うんです。思うんですが、逆に言うとこの本の読者は私よりかはマシでしょうけど基本的にこう言う事を知らない層であるだろうから、納得させるような話の造りで無いのはどうなんでしょうね。

どらねこ:人によって読み取る内容は大きく変わってしまうのかなぁ。どうなのでしょう。ただ、役に立ちそうになかったらその時点でアップデートが止まってしまう可能性が高いのがモード2かな・・・なんてどらねこは考えたりするのだけれど・・・。やっぱり『科学』自体が敷居が高いとか謂われるわけだから、『メタ科学』についてのお話しを一般向けにすると謂うのは非常に難しい事なのかもしれませんね。

みつどん:読者としては、ダマされない為の話でメタで終わってしまうのはちょっと寂しいかもね。

どらねこ:確かにタイトルにつられて本を買った人にはそうかもですね。あと、ローカルな知の活用については大事な場面もあるのだけど、それを見極めるのは誰なのかな?なんて事も考えました。科学者の問題に対する態度を素人が見極めるのって非常に難しいですよね。もう少し足がかりとなる事例を紹介して欲しいところでしょうね。

みつどん:そうなると伊勢田先生の章を読み終えたところで、もう一度菊池先生の章に戻るのが良いのかもね。2章で大枠を捉え、もう一度1章に戻ると豊富な具体例が役立つかも知れない。

どらねこ:なるほど、それは読み方として良さそうですね。

みつどん:ちゃんと読めば菊池先生の章はどの章とも関連がある事が分かりますね。エライ!

どらねこ:菊池教教典ですね、信者乙(笑)。少し話は飛んじゃうのですが、そもそもローカルな知を積極的に活用することについてどう思います?

みつどん:信者というと、ローカルな知と聞いて真っ先に思い付いたのは、実はオカルトなんですよ。オカルト的な知識体系が役立つ局面というのは、結構あるんじゃないかと最近思ってるんです。ただ、それを他の知識に優先させて良いのかどうか。

どらねこ:なるほど・・・。では、黒猫亭さんは?

黒猫亭:・・・現状の読解で何か言っても、また軌道修正が入るんじゃないんですか?(笑)

どらねこ:そうなったらそうなったときの話じゃないですか。意地悪しないで少しは参加してくださいよ(笑)。



■黒き猫参戦す
黒猫亭:まあいいや、黙って人の話を聞いているのにも飽きてきたし(笑)。えーと、伊勢田さんが書かれているような意味でのローカルな知と謂うことでは、代替医療なんかもモロに当てはまってしまいますよね。じゃあ、伊勢田さんは代替医療も意義のあるものだと思っているのかと謂う話になるけど、それは結論がすでに出ている問題です。

どらねこ:それはもう、これまでの似非代替医療批判で散々指摘されていることですものね。でも、伊勢田さんはモード2科学と疑似科学の間のグレーゾーンについて「二重基準にならないような一貫した判断基準が必要になる」と謂う話をされていますよ。

黒猫亭:それは要するに、個々のローカルな知の妥当性を検証し担保する基準は、モード1科学の方法論しかないと謂うことでしょう。ローカルな知にはそれ自体の信頼性を検証し担保する機能が欠けているわけですから。それが冒頭で触れた霞ヶ浦の件なんかとも関係してくるわけで、粗朶の消波堤がローカルな知なんだと謂うのなら、それは代替医療と位置附けが変わらないし、伊勢田さんが訂正された通り伝統的生態学的知識だと謂うのなら、それは単に情報収集の効率性の問題にすぎない。

どらねこ:そうかもしれませんね。謂ってみれば、現代科学の手法でも長年月を掛けて観測しなければ判断材料が得られないことを、それよりも精度の低い経験則的手法で継続してきた、と謂う話ですから、その知の信頼性の保証は「それで何とかやってきた」と謂う事実しかありません。そこに観測バイアスや呪術的思考が紛れ込んでいない保証なんてないですね。

黒猫亭:そう謂う意味で、「伝統知には科学と同等の権威がある」かと謂うと、これはかなりアヤシイと言わざるを得ないと思うんですね。科学の「権威」って有効性や有用性ではなく信頼性に依拠するものですから、個人的にはローカルな知と謂う概念そのものに疑わしいものを感じます。捨て去られた未科学にも何か有益なものがあったんじゃないか、みたいな考え方の変奏にすぎないんじゃないかと。粗朶消破堤の件については、伊勢田さんはそれが採用された時制の問題にも触れておられたけど、それで粗朶流出の問題があったと謂うことは、「やっぱり未検証の知は信頼性に欠けるんじゃん」と謂う結論なんではないですかね。

どらねこ:おお、すごいな、なんか一気に文字面が黒くなった・・・なんだ、結局語るんじゃないですか(笑)。・・・と、驚いている場合じゃないか。まぁ、その例はおいときましょうよ。

黒猫亭:この章全体を読んだ感想にもなるんですが、最終的に伊勢田さんが「二重基準にならないような一貫した判断基準」として挙げておられる要件は、普通に謂われる「科学の方法論」そのものですよね。だとすれば、「科学とは何ぞや」と謂うところから出発して科学の概念を拡張してみたけど、最終的にはオーセンティックな科学の方法論に戻ってきて、「科学とは科学である」みたいな結論に落ち着いたと謂う循環的な論理を感じるのですね。

どらねこ:うーん、伊勢田さんが仰りたかった事は、科学の方法論を使用するにしても、一つの分野の専門家では周辺領域に詳しくない事も多いから、広い視野を持つ科学哲学者の出番なのですよ、と謂う話だと思いましたけどね。で、その手法はやはりまっとうな科学の手法によって為されるモノだ・・・と読みましたけど。結局従来からの科学の手法を用いる事は必須だという事ですよね。では、どんちゃんからはそれについて何かありますか?

みつどん:危ういな、と思ってしまうのはニセ科学とか代替医療とかの問題で「わからないならまだしも何もやらない方が良い事例」をイヤって程知ってるからでしょうね。

どらねこ:うん、ローカルな知に魅力があるのは否定しないけど、自分たちはまだ上手にそう謂った未科学を採り入れて巧くやっていくようなシステムをまだ手に入れていないんじゃないかな。今はまだ積極的に手を伸ばす時期じゃないのかも知れない。能力を超えた利用は破滅をもたらしかねないし。

みつどん:周辺部分の切り捨てと言うより取り込みと言った感じですかね。どこか良いとこ取りを目論んでいる節も...。

どらねこ:だってそんなシステムが完成していれば、インチキ食育なんて蔓延っていないだろうからね。市民の積極参加を促す大きな効果は期待できるだろうけど、今はまだ制御の難しい諸刃の剣であることを忘れちゃイケナイと思ってる。で、結局導き出される答えは、通常の科学の方法論に則って判断をしましょうよ、と謂う事なんですね。

黒猫亭:そう謂う事ですね。

どらねこ:繰り返しになるのだけど、社会の問題に取り組むことを考えるのなら、ローカルな知とつき合っていかなければならないのは間違いないと思います。それらに直面した時に我々はどのように振る舞えばよいのか?そんな答えを探す学問もあるんですよ、と謂う紹介としてこの章を読めば良いのかもしれませんね、それがどらねこの感想です。

みつどん:その線引きは誰がやるのか、それに伊勢田さんが手を挙げたワケね。

どらねこ:そうそう、科学哲学者による線引きの今後に期待してね、と謂う章だったのかな、と。

みつどん:一つの見極めに時間がかけられなかったり、余裕がないときなどに簡単に弁別をする事が求められたりしますよね。そんな時は「これは有用なローカルな知が混ざっているかも知れない」、と悠長に眺めていられない。だからある種の切り捨てを覚悟した線引きが求められると思う。それがもうダマされない為に必要なこと。

どらねこ:そして、応用と乱用のあいだに線を引く専門家の方には非常事態の後にゆっくりと検討して頂きたいと思います。その中に輝く資源を見つけ出したなら、利用しない手は無いですから。

黒猫亭:個人的にはそこに危うさも感じますがね。「どのようにして行うのか」と謂う具体的なHOWの部分については霞ヶ浦の事例しか挙げられていないわけですが、その部分で最初に挙げたような評価の曖昧さや揺らぎのようなものがあった。生態学についての理解に専門家から批判もあるやに聞いています。科学哲学の専門家ではあっても科学の専門家ではないのだから、そこは本当に大丈夫なのか、と謂う不安も残しつつ、今後を見守りたいと思いますね…さて、そんなところで、なかなかどらちゃんも上手に纏めたじゃないですか。この調子で次回も楽をさせて下さいよ。

みつどん:やっと半分かぁ、いつ終わるんだろう?僕お腹空いて来ちゃったよ。



・・・次回に続く。