ヒトを好きになることは尊重されて良いと思うんだ

■同性愛差別についての反論を読んだ
みやきち日記
わざわざレズビアンの運営するサイトの掲示板で「ぼくのかんがえた、どうせいあいしゃをさべつしていいりゆう」を開陳したがる百合オタの皆さまへ
という記事を読みました。

この記事は、百合オタさん(のほんの一部の方)が得意げに開陳する「ぼくのかんがえた、どうせいあいしゃをさべつしていいりゆう」に対してつくられた反論のテンプレートらしいのですが、その内容は素晴らしく、サベツ一般の持つ問題点を浮かび上がらせている良エントリと感じました。

少し引用させていただくと

周回遅れ1:「同性愛は子供を作れない」
反論:異性愛者は子供がいなくても庇護されています。それに、同性愛者も子供を持てます。
異性カップルは子供がいなくても配偶者になれ、法的に庇護されるのに、同性カップルにだけ子作りを義務化するのはダブルスタンダードです。また、そもそも同性愛者は子供を持てないという発想自体が間違いです。実際には異性と子をなす人もいれば、人工授精や代理母で子供をもうける人も、養子を迎える人もいます。アメリカのセンサスでは、女性同士のカップルの3組に1組、男性同士のカップルの5組に1組が子供と暮らしていると報告しているし、英国のヒト受精・胚機構によると、同国では12年間で約6000人のレズビアン体外受精/非配偶者間人工授精を受けているそうです。

子供の有無を錦の御旗にしてのゲイバッシングはおやめください。

これは配偶者を持たず、子どもを設けるという選択肢をとらなかった方達も同じように晒されている圧力ですね。


他にも・・・

周回遅れ6:「同性愛は生理的に気持ち悪い」
「私が気持ち悪いと思うから、差別してよい」というのは非論理的です。
「気持ち悪い」というのはあなたの主観です。よって、「同性愛は生理的に気持ち悪い。だから差別してよい」というのは、「同性愛は、私にとっては生理的に気持ち悪い。だから差別してよい」と言っているのと同じです。

そして、この理屈が成り立つためには、「私が生理的に気持ち悪いと思うものは、すべて差別してよい」という前提が必要です。


うん、そうですねぇ。同性愛は生理的に気持ち悪いから差別して良い!なんて謂うヒトは生理的に受け付けないのですが、そんなヒトでもそれを理由に差別されて良いなんて思っちゃいけないですものね。とまあこんな感じでばっさばっさと斬って行くわけで、なるべく多くの方に読まれてほしいなぁ、とどらねこは思いました。私にもとっても参考になりました。

■昔考えていたこと
上記のエントリを読んで、昔考えていたことを何となく思い出しました。此処から先に書くことは誰かに「異議ありっ!」と突きつけるようなものでなくて、どらねこはこんな風に思うのね、というだけのものです。どうぞご理解下さい。

■きょうだいでもどうせいでも
どらねこは残念ながら(?)同性に対してこの人と一緒に暮らしたい!というように思ったことはありません。それはもしかしたら、素敵なヒトと出会えていないだけかも知れません。もしかしたら絶対に離したくないくらいに素敵なヒトが居るかも知れません。そんな風に最初に考えたからなのかは分かりませんが、同性愛については否定的な感情はありません。まぁ、趣味嗜好に貴賤なしみたいな?(PSBのニールもすきだしね)
ところで、どらねこは同性異性を問わず、『きょうだい』や近親者同士が結婚というか、恋愛対象になっても良いと思うのですね。それは個人の勝手じゃあないかと。一番好きな人がきょうだいだったとしてもそれだけで諦めなければならないというのは正解ではないと思うんだ。正解というもの自体が無いと思うのです。ヒトは何かのために生きているなんて類の話は幻想だと個人的には思っているから。
「ヒトは子孫をつくるために生きているんじゃないの?」そう考えるヒトも居るかも知れない、でもそれだって子育てを楽しみたいという個人的な願望が元になっているかも知れないし、それが当たり前のことだとして受け入れているだけかも知れない。もしかしたら、生きている事自体の素晴らしさを味わうことが出来ているのは親が自分を産んでくれたから・・・だから自分も子どもを作りたい、そう思ったからかも知れない。そう、個人の勝手なんだとどらねこは思う。自分には理解できないから・・・自分の考えとは距離がありすぎるからというだけの理由で他者を排除するというのは歴史上では民族間や宗教の対立などの原因にもなっていると思う。それは不毛な対立だよね。

■制限はあるとは思う
ええと、他に何か忘れているような・・・どらねこのアタマは自分が語っていることも分からなくなってしまう程度なので、どうもすみません。このまま次に進みます。
ところで、同性婚ではない近親婚の場合、問題となりそうな点があって、それは実の子どもを設けるか否か、という事じゃあないかと思うのです。有性生殖を行う生物は遺伝的に離れた個体と交配する事で、遺伝的要因の大きい疾患リスクを低くする事ができ、遺伝的多様性という面でも種の存続に有利に働くと考えられる。個体で考える場合では後者を無視する事が可能であるが、前者については真剣に考えなくてはならないと思う。リスクを承知の上で子どもを設けたとしても、実際に不都合をもって生まれてきた子供に対し完全に責任をとることはできないだろうからだ。なので、近親異性同士の結婚恋愛については、実子を設ける事については制限をされるのは致し方ない面はあるとは思います。また、親子での関係については、力関係が大きく影響される事が容易に予想されますので、子どもが成人する以前にそのようなアプローチがなされることは大きく制限される必要があるとは考えます。
■おわりに
同性婚、近親婚などに限らず、どんな例についても、異端であるとか、自分には理解できないというような理由で恋愛や結婚などについて差別されてはならないとどらねこは思います。このような例を認めるのは社会的に大きな問題があるのでは?という主張もわからなくはありませんが、日本では『いとこ婚』が禁止されていない国にも拘わらずいとこ婚がそれほど一般的で無い(よね?)事を考えればそんなに問題なさそうだと思います。菅首相になって、いとこ婚がブームになったという話しも聞きませんし。
子どもを作るのも自由、子どもを作らないのも自由。子どもを作らない自由というのはとっても人間らしい自由だと思います。恋愛対象が近親者だったり、ネコ*1だったり・・・それは遺伝子の乗り物であることを放棄できる自由を手にした人間ならではの特権かもしれません。そんな風な妄想を抱きながら終わりにしたいと思います。にゃん!

*1:猫が迷惑する可能性もありますので、猫権は尊重しましょう