機械じゃ無いから簡単には切り替えられないよね

どらねこは最近あまりテレビを見なくなりました。理由は色々あるんですけど、その一つとして、あまり器用なタイプでは無いからというのがあります。
例えば、教養番組風のバラエティ番組などで、目から鱗の知識みたいな感じでウソが垂れ流されているのを見たりすると我慢できないのですね、もう突っ込みロケットエンジンに火がつきます。。あと、自分が関連する分野だと腹も立ってきますので、娯楽が娯楽でなくなっちゃうんです。ソレはソレ、コレはコレで楽しめれば良いのでしょうけど、自分はそんな風に出来ていないのですね。
自分一人ならテレビを消してしまい万事解決なのですが、家族が一緒に見ていると簡単に消してしまうわけには参りません。我慢できずに突っ込みを入れると、「もおぅうるさいなぁ!」と怒られてしまう事もあります。いやさ、だってデタラメ垂れ流しは良くないよね?えっ、そんな事を謂っていたら楽しめない?まぁ、確かに・・・。そうして、どらねこは別の場所に移動したりするのですが、聞かないようにしても耳に入って来てしまうんですよね。

■テレビなどでデマが流れてきたとき
テレビでデマが正しいことの様につたえられる事があります。誤った情報が流れてしまうことを完全に防ぐ事はモチロンできません。でも、ちょっと不用意だな、と思うこともあります。不適切な情報が流れた後も直ぐに訂正されないと広まってしまうこともあるように思います。デマを広げてしまうおそれと、それを訂正できないワケは立場にも関連していると思わなくもなかったりします。

まず、身近なところから考えてみます。

子どもがテレビを見て勘違い発言をしちゃったとします。それに気がついた隣にいる大人がフォローを入れます。「あれは猫型ロボットだから良いんだよ」と。こどもの性格にもよりますが、大抵は「なーんだそうだったのか。有袋類だと思ったダヨ」と納得してくれることでしょう。
次に立場を逆にして考えてみるとどうでしょうか?親が初歩的な事を勘違いし、子どもがそれを指摘する場面です。勿論、親の性格により反応は変わるでしょうが、子どもの場合よりも素直に誤りを認めないケースが多いような気がします。(自分がそのタイプだからそう考えるだけの気も・・・)
親は子どもの前では正しいことを行う存在なんだ、そうあるべきだ、と謂うプレッシャーがあるような気がするのですね。子どもが親に盲目的に従う事を求められる場面は確かにあって、親の謂うことを信用しないと命の危険に晒されてしまう事でしょう。

親『走るのはアブナイからやめなさい』
子『法律で決まってるのか?』
親『法律じゃなくて、ここはアブナイの!』
ガラガラどっしゃ〜〜ん!

ちょっとわざとらしすぎましたが、こんな感じです。言葉で説明し、納得してもらう事よりも、発せられた時点で信じてもらえる事が求められると思います。なので、親は子どもから見て正しいことを述べる存在として見られる事がある程度求められるのだと思います。信頼される事が求められる立場という事です。
なので、そう謂った役割を演じているウチに、誤る事自体が非常に不味い事のように感じられるようになってきても不思議はありません。勿論、なるべく間違えないように・・・と気をつける事は大事ですが、間違えてしまう事は誰にでもあることです。ですが、親が子どもの前で間違えてしまったとき、普段の立場から考えると、それを認める事自体が認めにくく感じてしまってもおかしくありません。本当は誤りを誤りと認める方が、正解なワケなのですけどね。子供と謂うのはたいてい親の都合なんて斟酌しませんから、隙あらば反撃してくるわけです。

親『テレビばっかり見てないで・・・目が悪くなったらどうするの!』
子『なんだよ〜、いいところなのに〜』
と、注意した後に・・・
子『お父さん、まだツイッターやってるの?』
親『いや、あの、この人に返事を書いてからおわるからさ、ね』
『お父さんツイッターばっかり・・・何だよ』

説得力が無くなりますよね。
いざと謂う時子供に信頼される為と考え、関係無いところでも頑張っちゃうところはあるかも知れません。

まぁそのように頑張ってきた(?)親ですが、一度決めたスタイルを変えることは容易ではないと思います。ヒトって一度方針を決めたり周りに示した事に対して一貫性を保とうとする傾向があるみたいですからね。そして親にとって子どもは、いつまで経っても自分の子どもなのですよね。たとえ自分より体が大きくなって色々と知識をつけてきたとしてもです。成長した子供が親の発言にダメだししたとしても素直に認めると謂うのは中々に難しい事と思うのです。デマがデマであることをいくら説明しても認められないとしたら、こんな心理(?)が働いているのかも知れません。

■めっきり独りごとが増えたのよ
齢を重ねる毎にふえるものってな〜に?答えはいっぱい有ると思うけど、その一つにヒトリゴトがあるような気がします。職場のヒトタチをみていても、なんか年齢が上のヒトにヒトリゴトが多いような印象です。そして、女性の方が多いような気もします。
何でヒトリゴトが多くなるんですかねー?誰かその理由教えてくれませんか。そんなワケで、どらねこも気がつけばヒトリゴトを発していたりして愕然とする事もあったりします。
ヒトリゴトって、テレビを見ている場面で多く現れるような気がするんですよね。妻を観察していても、テレビを見ているときに良くぶつぶつ謂っております。あと、嵐が出るとヒトリゴトの出現率は激増します。
私の観測範囲ではオバサマはテレビを見ながら色々としゃべるのがお好きなようです。このヒトリゴトもデマをデマと認める事を難しくしている要因かもしれないというのがどらねこのトンデモ主張です。

■コトバに出したこと
一度コトバに出してしまうと、その事に責任を取らなければならないような気持ちになってしまいます。心の中で思いついたことを相手に否定された場合に比べ、一度自分が発言した内容を相手に否定された場合を比較してみましょう。なんとなく後者の方が悔しくないでしょうか。相手は自分を否定している・・・否定されているのは発言内容だけであるはずなのに、自分自身までも否定されているような気持ちになってしまう事もありそうです。
テレビを見ながらついつい、ヒトリゴトをしてしまうヒトほど、デマを真に受けたあとに内容を訂正される事に抵抗があるのかも?


デマを真に受けたおかんを説得できないのにはこんな側面もあるのかも知れません


・・・


あ、この記事は半分ネタですよ。