文化よりも優先されるものがあると思う

ECO JAPNA というサイトに掲載されていた6月18日の記事、いつまで続く「魚食民族日本人」という記事を読みました。

昨年、農林中央金庫が30代主婦に行ったアンケートでは、70%の主婦が「自分で魚をおろすことはない」と答え、その理由として「おろし方がわからない」「料理が面倒」「後片づけが面倒」「魚の匂いを残したくない」「魚が気持ち悪い」をあげている。とりわけ「魚が気持ち悪い」には驚かされた。日々苦労して大海に魚を追う漁師たちがこれを聞いたらどう思うだろうか。食の新人類出現、などと言って済まされる話ではない。もはや出刃包丁も煙も立たない台所が多数派で、「尾頭付」「年取り魚」「サンマの煙」などの言葉は死語と化している。小中高生にアンケートをとれば、相変わらず嫌いなメニューのNo.1は「魚料理」。魚を気持ち悪いと感じる親から魚好きが育つわけはないのである。
しかし一方で、健康ブームや食育の影響か、子供をもつ母親の3分の2が「子供に魚をもっと食べさせたい」「魚料理のレパートリーを増やしたい」というデータも多い。データが矛盾しているのではない。人間が矛盾しているのである。頭では魚を食べさせたいと思いながら、手は動かず、心は面倒だと魚を遠ざけている現代の母親たち。

引用部分以外に海外の輸入量増加による日本の「買い負け」などの要因を挙げ、日本の魚食文化の衰退を憂うという論調で書かれておりました。衰退を憂うキモチは分からなくもないが、責任は家庭にあるのだろうか。また、魚食文化の衰退とはいったい何だろうか?
初出が『日経エコロジー』2007年8月号ということなので、今更感があるのだけど、アタマの整理として推測をまじえながら『魚ばなれ』について思いつくまま書いてみます。例によって回りくどいです。

■魚食文化
日本人は農耕が行われる以前より、魚や貝を食べていたという話は、貝塚の話で習ったように記憶しているし、日本の食文化に於ける魚の占める位置は大きく、その技巧は華であるといっても良いと思います。多種多様の魚を捌くために特化した包丁を見ているとそれを実感しますよ。だから、魚食文化の素晴らしさは否定はしません。
でも、魚を食べる量が減る事がそのまま魚食文化衰退に結びつくのかどうかは今ひとつ分からない(これはどらねこがアホなだけの可能性も高いですけど)のです。何故かと謂うと、魚離れを嘆かれている若い世代の魚介類摂取量は、明治時代から大正時代初期の魚介類摂取量に比べても十分に多いからなんです。

これに対して、1970年代から2000年頃までの一人当たり魚介類摂取量は90gを超えておりました。確かに最近の魚介類摂取量は急速に減少しておりまして、平成20年の国民健康栄養調査によりますと、78.5gと魚離れとも謂えそうな状況なのですが、それでも、昭和初期に比べても2倍以上の魚介類摂取量にあります。さらに、魚離れが顕著とされる子どもに於いても、同調査によれば、7-14歳で53.8g、15-19歳で62.0gなんですね。
魚介類摂取量と魚食文化に関連性があるという立場をとるならば、近代日本の魚食文化はかつて無い栄華を極めているはずですが、あんまりそんな気がしません。
大正時代以前の日本に於いては、現代に比べて魚も贅沢な食品であったのでしょうね。だからこそ大切に扱われ、隅々まで利用する工夫が為されたと思うのですよ。もう一つ、供給量も安定していなかったと思うので、とれる時期には大量に供給されるけど、とれない時期には殆ど出回らないとか。現在は冷凍できるけど、当時はなれ鮨みたいなpHによる保存とか、塩などの水分活性を利用した保存法しかなかったでしょうから、保存の工夫は今よりも切実だったでしょう。そういった緊張感も文化に貢献していると思うのです。
だから、魚についてはたくさん食べる事、常食する事が文化を育てるという考え方には違和感を覚えるのですね。

■お母さんのせいじゃない
食育というとお母さんに責任を帰す論調が多くて、その都度反論してきたのだけど、引用した記事でもお母さんの役割が強調されています。勿論、魚を調理できる若しくは調理が苦にならないというのは、そうあって欲しいけれど、出来なくてはならない事かと謂うとちょっと疑問なのですよ。だって、家事については、今も昔も必要に迫られて行うものでしょう。(勿論家事労働自体に楽しみ、やり甲斐、生き甲斐を持つのはそれはそれで良い)収入増に伴い外部委託出来るモノは外部委託されるようになってきたのでしょう?それを否定するなら、そうした産業自体を否定することになるでしょ?違うの?
あともう一つ、面倒だと魚を遠ざける母親・・・主婦と読める書き方をされているが、元のアンケートで主婦とされた方が皆専業主婦という事は無いだろう。農林中央金庫の実施した調査(同じかどうかわからないけど)を見ると、所謂専業主婦の割合は30%程度であり、過半数の方は仕事に就いているのようだ。仕事を終え、買い物をしてから魚を捌くというのは現実的に難しい層も多いだろう。子育ては母親の役割ですみたいな心的負担をこれ以上負わせる事が食育というのなら、そんな食育必要ないと思う。アタマでは魚を食べさせたいと思いながら実現できない時点で心的負担となっている事は容易に想像がつくとどらねこは思うのですけど、記事を書いたヒトは気づかないのかしら。

■給食で○○嫌い
家庭が無理なら学校給食で魚を消費・・・食育関連話では見かけることが多いのですが、これにも色々問題があるように思います。
『○○嫌いの原因は給食』という話は良くあって、ウチの母親からもよく聞かされた。鯨肉の話が良く出るのだけど、鮮度が悪かったからなのか、食べるのが苦痛というか食べることが出来なかったみたいなのね。
全部食べ終わるまでは席を立ってはいけない・・・そうして、嫌いな食べ物を前に睨めっことか、食が細い子が無理して完食しようと気持ち悪くなりながら口に押し込んだりという経験がトラウマになったという話も給食エントリを書いたときにブクマなどで頂いたりもしました。美味しくないモノを無理矢理食べさせられれば誰だって嫌になりますよね。当時のことを考えると家庭で十分な栄養が供給できているとは謂えない状況で、給食が果たした役割は大きかったのですがやり方には拙い部分が多かったのでしょうね。一度嫌いになった食べ物を自分から好きこのんで食べようと思わないのは自然なことだと思いますからね。
今ではそう謂う押しつけは改善されて来ておりますが、それでも給食をきっかけに嫌いな食べ物ができてしまうというのはやっぱりあると思います。だから、美味しいものを提供できない状況で魚を無理矢理給食に出すことで、魚嫌いを助長してしまう可能性もあるとおもうのですね。
栄養士などはなるべく良い給食を・・・と努力していると思うのですが、構造的な問題は個人レベルでは改善しようもありません。給食で美味しい魚を提供するためにはハードルが沢山あるとどらねこは思うのです。だから、簡単に給食の問題にして文句をつけるのではなく、給食でどうして美味しい魚を提供することが難しいのか考えて欲しいのですね。そう謂った事を考えないで、『魚離れけしからん!!』などと文句をたれるのはご勘弁願いたいのです。

■給食で美味しい魚は難しい
子ども達が大好きな魚介料理と謂えば、お寿司とか刺身などをまず思いつきます。骨をより分けないで口に放り込めますし、何より新鮮なお魚は美味しいですからね。でも、学校給食では食中毒がコワイし、予算も足りないから定期的に出すというのは無理な話です。
では、加熱した魚と言うことになるのですが、今度は骨の問題が出てくるのですね。小魚を焼いたり煮つけたりする調理法で給食を出すと骨が喉に突き刺さるリスクが生じます。そういった危険性に対する理解が保護者と共有されていないと、事故を恐れる教育機関が骨なしの魚を給食に導入したいと考えてもおかしくありません。
骨なしの魚について少し書きますと、骨をとるにはコストがかかりますから、基本は労働コストの安いアジアの国で加工・冷凍されたものを輸入して使用することになります。メーカーは美味しいと謂いますが、生を使用した場合に比べて、身のパサパサ感は気になりますし、旨みも抜けてしまっております。魚はこんなモノなんだ、と思った子どもが魚を積極的に食べるようにはあまりならないような気がします。
そういったハードルを乗り越えて、生の魚を提供しよう!という取り組みも為されておりますが、特殊な事例に過ぎないと思います。何故かというと、給食の予算は限られているからです。
給食費というのは、保護者からは食材費の実費を徴収しており、簡単にその金額を上げる事が難しいからです。給食費自治体により差があるのですが、小学校で概ね200円から260円の間に設定されております。平均の金額なので、メリハリをつけてある程度豪華な食事を出すことも出来るのですが、毎回良い魚をつかうのは無理がありますよね。
魚の値段を考えてみましょう。スーパーで美味しい魚を買おうと考えると、一切れどれくらいのお値段でしょうか。魚の種類にもよりますが、150円以上出さないと手に入れるのは難しいのでは無いかと思います。給食費で考えると、主食と魚を合わせてほとんど使い切っちゃうから提供するのは難しいかも知れません。じゃあ、今の値段設定で出せるものは、と考えると、小さくて市場では価値の低い魚、海外産の冷凍魚、季節外れの塩蔵品などが思い浮かびます。

■安いお魚
市場では値打ちの無い小型の魚(幼魚)を消費できるのは良いように思いますが、いくつか気になる点があります。まず、市場価値の低い小さい魚は本来の旨さを持たないと思います。子どもが食べて、○○ってこんな味なんだね、骨を取る手間を考えるとイマイチだよね、なんて事がありそうです。もう一つは、学校給食への供給の道筋が立てば、そういった小型の魚の乱獲に拍車が掛かるのでは?という心配です。只でさえ漁業資源の枯渇が心配されているのですから、小さい魚をなるべく捕らない方向に進んで欲しいと思うのです。
次に冷凍魚を考えてみます。冷凍魚にもグレードがあって、金目鯛とかカジキといった魚はお値段も高いのです。学校給食では予算の都合上高いのは難しいので、予算に収まるような魚を献立に使用することになるのですが、冷凍魚も実は値段が上がってきているのですね。理由は色々あるみたいですが、世界的に魚の需要が増しており、価格が上昇傾向だからです。どらねこが子どもの頃は、メルルーサという輸入魚は国産魚の安価な代替品だったのですが、今では給食にはちょっと贅沢な魚になりつつあるのが実情です。予算が少ないところでは、メルルーサ→スケソウダラ、キャットフィッシュ(ナマズ)といった安価な魚に置き換わってきております。美味しければ良いのですが、比べてしまうと・・・

■魚離れは悪いことか
美味しい魚の提供が難しい状況で無理に使うと却って魚離れを助長しかねないと思います。そのような状況をキチンと説明し、納得を頂いた上で実費若しくは補助金を上乗せし、美味しい魚を提供できるようにするのも一つの手だと思いますし、魚を無理して使わないのも選択肢だと思います。
厭くまでどらねこの意見ですが、漁業資源の枯渇が心配されている昨今ですから、魚離れのこの時期に資源回復を図るというのもアリじゃないかと思うのです。資源は有限なのですから・・・(素人考えかな?)



■おまけ
産白書平成21年度版を読んでいて思ったこと。
水産白書では、全般に渡って獲る漁業から作り育てる漁業の転換を謳っているんだけど(第1部第Ⅱ章第3節とか)、素人目には全然進んでいるようには見えないのですよ。p56より

OECD加盟国では1位と謂ってるんだけど、中国加盟してないんだよね。

中国の養殖業生産量に占める割合が凄すぎる。あと、日本の養殖生産量の成長率マイナスだし・・・
勿論、栽培漁業とかもあるだろうからコレだけでは何ともいえないのかも知れないけど、作り育てる漁業への転換が進むまでは、漁獲量を抑えても良いんじゃないかと思うのです。
スーパーに並ぶ小型のゴマサバ1尾98円を見ると色々考えちゃうんですよ。



※漁業の現状等については、勝川俊雄 公式サイトを参考にさせていただきました。