小麦戦略でお米が衰退したのか【後編】その2

いよいよ最終回です。前回はキッチンカー事業がある食生活を生みだすきっかけとなったまで書きました。ではその食生活っていったいなんでしょう?

小麦戦略でお米が衰退したのか【前編】
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111122/1321960469
小麦戦略でお米が衰退したのか【後編】その1
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111204/1322967738



■日本型食生活の誕生
キッチンカー事業は、米と塩辛い漬け物ばかりバクバク食べるような偏った食習慣の人々に、麺類やパンを導入することで、多様なおかずを食べる食習慣を持ってもらいたいと意図して始まったものでした。ところが、ここにひとつの誤算があったようです。

同書 p40より
国の予想とは違い、米と一緒に様々なおかずを食べる新しい食習慣が生まれましたが、昭和50年代以降、日本型食生活(ご飯を中心に肉や乳製品などを取るバランスの良い食生活。)に発展し、世界有数の長寿国になりました。

えっ、日本型食生活ってそんなに新しいモノだったの?そんな風に感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。日本型食生活について書かれている資料から引用します。

舛重正一編 食と科学技術 ドメス出版 2005 p154−155より引用
一九八〇(昭和五五)年に八〇年代の農政の基本方向を農政審議会が答申し、ここで初めて、日本型食生活という言葉が使われた。
<中略>
農政審議会答申の第一章は「日本型食生活の形成と定着―食生活の将来像」である。前書きの部分は以下の通りである。
「従来我が国は欧米諸国の食生活をモデルとしてきたが、最近では欧米諸国の食生活は、栄養の偏りが問題となっている。一方、我が国の食生活は、欧米諸国に比べ熱量水準が低くその中に占めるでんぷん比率が高いなど、栄養素バランスがとれており、また動物性たんぱく質と植物性たんぱく質の摂取量が相半ばし、かつ、動物性たんぱく質に占める水産物の割合が高いなど、欧米諸国とは異なるいわば『日本型食生活』ともいうべき独自のパターンを形成しつつある。栄養的観点からも、総合的な食料自給率維持の観点からも、日本型食生活を定着させる努力が必要である。」

ようするに、現在推奨されている日本型食生活と謂うものは伝統の日本食ではなく、キッチンカーなどによるおかず普及事業が行われた後に達成されたモノなのです。どらねこが以前書いた記事を見ていただければわかると思いますが、太平洋戦争以前には、一般の人の普段の食事は穀類や芋類が中心に塩辛い煮物や漬物がつくようなもので、非常に偏ったものでした。このように、日本型食生活として示されるような一汁三菜の食事は一般の方の普段の食生活としては新しいものなのですが『昔ながらの素晴らしい日本食として、紹介されたりします。誤解であるのか意図的であるのかは定かではありませんが、食の欧米化から日本の伝統食を守ろうと謂う主張に利用されたりする例をどらねこは見てきました。

日本型食生活とは、ちょうどよくご飯の主食が定着してきた時期に、ご飯のおかずとしてピッタリのおかずを広める運動が行われ、十分な食材を購入できる経済力をつけてきた、そんな偶然から生まれたものと謂う理解*1で良いかと思います。伝統と偶然が組み合あわさり、新しくも素晴らしい食習慣ができたのなら、それを大事に広めていくことは悪いことではありません。

■ご飯食は不当におとしめられてきた?
キッチンカー事業による栄養改善政策はパンだけに偏ったモノでないことが明らかになりましたが、もう一つの『ご飯を食べるとバカになる』、『戦争に負けたのはパンを食べなかったからだ』と謂った、国によりお米のネガティブキャンペーンが行われたと謂う主張の妥当性はどうなのでしょう?はたして、そのような政府主導のキャンペーンは存在したのでしょうか。これについても荻原氏は細かな調査を行っています。

技術と普及2006 11月号 p40より
この小論を書くに当たり、戦後の雑誌を検索できる図書館で、週刊誌、農家や主婦向け雑誌等を、小見出しに至るまで検索しましたが、「国が、米は良くないと宣伝している」という趣旨の記事は見つかりませんでした。

すごいですね、主婦向け雑誌まで調べたんですね。国からの宣伝は見つからなかったものの、個人や民間からの情報発信はあった模様です。

同書 p40より
慶應大の林髞教授が、「頭脳」(昭和33年)と「頭の良くなる本」(昭和35年)を発行し、パンは白米よりもビタミンB類が多いから頭によい、と唱えて評判になりました。
<中略>
脚気の初期症状は脱力感や集中力低下で、パンのB1が効くのは戦前から有名でした。パンで脚気のだるさを克服し、勉学がはかどって「林説は本当だった。」と誤解する人がいても、おかしくない時代背景でした。

この林教授と謂うのは相当に多彩な人物だったようで、小説から本職の生理学の専門書など著書は多岐にわたります。引用文にある頭の良くなる本の主張を元につくられた頭脳パンのパッケージに登場するような、人気者の学者さんだったよう*2です。

同書 p40より
朝日新聞昭和34年7月28日の天声人語には「池のコイや金魚に残飯ばかりをやっていると、ブヨブヨの生き腐れみたいになる。パンくずを与えていれば元気だ。米の偏食が悪いことの見本である。」と書いてあります。こうした「米=灰汁」のマスコミ論調や、林教授の本を読んだ人々が噂する間に、国が宣伝したと勘違いしたのかもしれません。

それでも筆者はつぎのように続けます。

同書 p40より
もっとも、まだ私の調査が足りないのかもしれません。国が当時宣伝した証拠資料をお持ちの方は、情報をお寄せいただけると幸いです。

自分の見た範囲では、と断定しないところに非常に好感が持てます。
とはいえ、このような調べても見つからない状況で、政府がお金を出していたとか、証拠を残さないよう処理をしていたなどと主張すれば、それは単なる陰謀論になってしまうことでしょう。ごはん食が不当に貶められた事例はあるようですが、政府がアメリカの意向を受けておこなったようなモノではなく、敗戦ショックや欧米文化に対する劣等感から生まれたものであったのだろうとどらねこは考えます。

■不当におとしめること
アメリカの小麦戦略説は、今なお完全米飯給食を推進する食育の現場に登場し、アメリカの不当な介入に対する怒りの気持ちをあおり、更に、日本人はパンや牛肉や牛乳を沢山食べるようになってから生活習慣病が激増したのだ。だから洋食はやめて昔ながらの日本食を取り戻そう!そんな気持ちを高揚させるために使われたりしております。
ここで少し考えてみてください。アメリカの小麦戦略説に登場する、お米のネガティブキャンペーンに怒りをおぼえるのはどうしてなのでしょうか。それは自分たちの食文化や昔から食べてきた食材を不当におとしめるものであったからです。自分たちの食文化や愛する米食を推進するためとはいえ、自分がやられたらイヤなことをして良い理由にはなりません。それが、小麦戦略説に対してどらねこが抱く不快感なのです。

■荻原氏のねがい

同書 p41より
ここ数年の自給率地産地消、食育に関する書物を見ると、小麦戦略説を元に排他主義に発展している例も見受けられます。私たちはこうした説に気を取られているうちに、本質を見誤り、何か間違いを犯しているのではないでしょうか。
日本経済は、国土と資源の制約から貿易を前提として成立しています。排他主義から根拠の希薄な攘夷論を唱えていては、諸外国との交渉で不利になり、1億3000万人に現在の豊かな暮らしを提供できなくなります。だからこそ、農政の大転換でグローバル化の荒波にこぎ出そうとしているのです。

どらねこも同感です。食育の目指すものはいったい何なのか、原点に立ち返って考える必要があると思います。

同書 p41より
日本農業が大きな正念場を迎える今こそ、私たち公務員は、歴史と科学を学び、合理的な視点に立って、深く考え、よりよい未来を切り開いていかなければならない責任を帯びています。この小舟が、「べき論」船頭の手で海に沈まないよう、一緒に舵取りの手伝いをしてくれませんか。頼れるのは読者の皆さん一人一人の力です。

どらねこも荻原氏のそう謂った活動を支持したいと思います。

■まとめ



・小麦消費量は摂取エネルギーで見ると少し増えているだけ。パン食もさほど増えていない。


・パン食が増えたから肉の消費量が増えたというのも妥当性に乏しい。むしろろご飯のおかずに肉が合う。


・お米離れと謂う減少はパンのせいではなく、経済状況の変化、肉体労働者が減ったことが影響している可能性が高い。


・そもそも日本人の主食が日本全体に米になったのが戦後のつい最近のことである。


アメリカからの援助で行われたキッチンカー事業は小麦の栄養バランスの向上を目指したおかずの普及事業で、小麦を利用したおかずがその中に含まれていたに過ぎない。


・バランスがよいと宣伝される日本型食生活はキッチンカー事業や時代背景により偶然誕生したものである。伝統などではない。



■おわりに
長々とのべてきましたが、日本人がお米を食べなくなってきた主要因をパン食に求めるのは無理筋のようですね。また、アメリカの小麦戦略は確かに日本人の食生活に影響を与えたようですが、それも独自の文化に吸収するぐらいの逞しさを日本は持っていたようです。パン食を必要以上に目のかたきにし、完全米飯給食を目指そう!と食育にかこつけた運動がなされておりますが、それじゃあ米の消費量はほとんど増えないとおもうんですよね。

米飯給食とお米の消費
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20101208/1291796746
米飯給食を週に3.1回実施で計算したところ、消費されるお米の量は精白米で9.5万トンほどであると推測されます。完全米飯給食を実施した場合をこの計算方式で求めると、15.4万トンとなりますが、それでも平成23年産米の生産目標量を平成22年産米の目標量813万トンを維持するレベルに引き上げることも出来ない程度の消費量です。
完全米飯給食をお米消費の切り札と考えるのはちょっと無理があるようです。

じゃあ、小麦の消費を抑えて米の消費を増やすために米粉パンを普及しよう・・・しかし、そうなると待っているのは小麦粉との価格差です。すると、普及するために米粉用に安くお米を提供しろとの要求がなされる事でしょう。そうなれば、米農家の収入はどうなるでしょうか?ただでさえ、農業の担い手が高齢化し、新規就農が少ない危機的状態なのですね。何のための自給率なの?インフラなの?伝統を守るためなの?それとも?考えなければならないことは山積みだと思います。*3

伝統文化を大切にしよう、それ自体は良いのですが、その為に歴史や現実から目を逸らしてはいけないと思うんですね。誤った見方で感情的になっていては農業の抱える様々な困難にキチンと対応することができるわけがありません。
まず、現実を冷静な目で見つめ事態をなるべく正確に把握する事、そこがやっとスタート地点なのだとどらねこは思います。

*1:こちらのブログの記事なんかもオススメです。米飯悲願民族と謂う言葉についても言及有り。http://d.hatena.ne.jp/kuiiji_harris/20080930/1222783442

*2:こちらのサイトは面白かったですhttp://www.tonreco.com/zuno.htm

*3:大切なお米なら、それ相応の高額で取引されて良いものだと思いますし、インフラであると謂うなら、整備費として農家へ労働の対価を支払いましょう、そんな食育をすればいいのです。しかも、原子力発電所事故の件で福島周辺の農業従事者は今ほんとに危機的な状況です。こうした状況にある農家の人々を支えようと謂うのも食育の役目の一つだと思うんですけどそんな活動はできているのかしら?国産野菜は安全安心みたいな、輸入農産物との差別化で命脈を保たせてきた政策はこんな時に無力になるのだと思う。だからどらねこは有機野菜だ国産だから安全だみたいな主張を今まで批判してきたんです。長くなりましたすみません・・・