食の安全にあれこれ思うこと

肉の生食問題を切っ掛けにして、食の安全などの問題に関する話題を色々なところで見かけるようになりました。最近は日常の会話でもたびたび登場するほどです。そんなの規制しちゃえば良いとか、そもそも食べるのが間違っているとか、個人の自由じゃね?など人によって意見が大きく違ったりで色々と興味深かったりします。でも、この問題は正解なんて無いと思うんですよね。考慮しなければならない事柄が多すぎるとも思います。
今回は肉の生食問題に絡め、食と安全の事について少し乱暴な感じで個人的に思うことや観じた事などを書かせてもらいます。このエントリでは少々の逸脱・飛躍についてはどうぞご容赦下さい。

■食中毒はどこまで許容できるのか
現在、日本には約一億二千七百万もの人間が住んでおります。それぐらいの人口規模であればどの程度の食中毒発症人数までなら許容できるモノなのでしょうか。
食中毒は0にするべきモノなんだ、そんな意見もあるかも知れません。少なくとも死者は出さなければ良いだろうと謂う意見もあるかも知れません。ある程度は起こるモノだから今までの水準には抑えれば良いだろう、とか大規模な事件を抑えるべきだなど色々考えられると思います。
ここ数年の年間食中毒事件数は、1000件を少し超えたぐらいで、患者数は20000〜25000人程で推移しています。人口10万人あたりで考えると、15〜20人程度です。5000〜6000人に一人の割合と考えるとなんだか低いような気*1がしますよね。次に宝くじを考えてみますと、年末ジャンボ宝くじで1等に当選する期待値は一千万分の一である事を考えると、食あたりは一等よりも随分と当選しそうな気がします。でもまってください、食事を一年に一度だけしか行わない人は居ないですよね。たった一食の食事であたる確率は更に低いものとなりそうです。1日3食とするとだいたい1100回の食事をしますから、1回の食事で食中毒患者になるのは550万人から660万人くらいに一人と謂う事になりそうです。
目の前にある食事を食べて食中毒統計に載る可能性は、どうも年末ジャンボ宝くじに当選する確率とあまり変わらない*2みたいです。
さて、この状態から更に進んで食中毒を撲滅しよう、若しくは大きく減らそうと謂う考え方は妥当なモノでしょうか?どんなものでしょう・・・

■プロなら許されない?
食品の衛生的な取り扱いに疎い家庭で食中毒が起こってしまうのならともかく、食品、食事を提供して対価を得るプロが事故を起こしてしまうのは無くさなければならない、と謂う考え方はどうなのでしょう?確かに尤もな意見ではあると思います。身近なところでは学校給食の現場を考えてみるとその徹底ぶりがよくわかります。食品の加熱については、中心温度計で所定の温度に達したのを確認し、そこから決められた時間以上の加熱を行い食中毒菌を殺します。また、生鮮食品の取り扱いとして、長ネギであればばっさりと葉っぱの枝分かれした部分で切りとり、その手前部分しか使用しない場合もあります。枝分かれの部分には泥が入りこんでおり、異物混入となるおそれがあるからです。また、ノロウイルス対策として、調理職員本人だけでなく、同居家族についてもカキの生食やそれに類する食べ方は控えるようにしているなど、衛生面に対する配慮は徹底しております。学校や病院などでは同じ献立を同じ材料、調理器具を使い、特定の大勢の方に対して提供するという特徴があり、抵抗力の少ない児童生徒や体の弱った人に提供する事もふくめ、万が一食中毒に罹った場合、大規模化、深刻化の懸念が大きいと考えられます。衛生面への特段の配慮にはこのような背景があります。
このように学校、病院については、給食の目的に食べる楽しみを満足させると謂う視点はある事はあるのですが、必要とする栄養摂取や安全面に重点が置かれていると考えられます。
では、レストランや居酒屋などの飲食店はどうなのでしょうか。安全であることは勿論大事なのですが、学校給食や病院給食に比べて求められるレベルは違うように思います。飲食店では食べる楽しみを満足させる事に力点が置かれているからです。これが満たされていないと、いくら安全で栄養バランスが良かったとしても食べに来てくれるお客さんはいないでしょう。安全対策にいくらでもお金をつぎ込めるのならまだしも、値段を抑えながらも満足のいくモノを提供したい・・・その為には何かを犠牲にしなければ難しいことでしょうから。
貴方なら安全対策にお金をいくら払いますか?

■もし・・・が・・・だったら?
仮定の話と謂うのは微妙なものだと思いますが、結構好きなんです。例えば、どらねこは茄子嫌いなのですが、茄子が○○に悪影響を与える、なんて話があったとして、茄子規制!なんて話になれば、心情的には賛成してしまいそうです。でも、そこでまてよ・・・、となるわけです。大好きなキノコが同じような規制にあった場合を考えてみましょう。『そんなの断固反対だっ!!』と謂う気持ちになるに決まっていますよね。こうやってトンデモネコも主張の構造がおかしいことにようやく気がつけるわけです。
牛肉の生食は昔からあった文化では無いから、生食禁止でいいじゃない?うーん、どうなのでしょうかこの主張は。
昔からあったものでは無いから・・・そんなに美味しいものではないから・・・。うーん、昔からの伝統であったり、もの凄くおいしければ許容しても良いのかしら?色々考えてしまいます。
肉の生食の危険性は病原性大腸菌およびカンピロバクター汚染の可能性が高いからと説明されます。このうちの一つ腸管出血性大腸菌O157については、1980年代アメリカで発見されたものですが、それ以前は広く存在していなかったと考えられます。国際的な肉牛の取引が活発化されたことにより、世界各地に広がっていったのでしょう。また、この大腸菌がベロ毒素をつくり出すようになったのも、赤痢菌から能力を獲得したためで、昔は存在しなかった脅威であるとも考えられています。
では、生の魚に付着している細菌なりが強力な毒素を産生する能力や、胃の酸に耐える能力を獲得するなどして、生肉の腸管出血性大腸菌と同程度の危険性を持った場合を考えてみたらどうでしょう?この場合には刺身は店で提供するべきではないと謂うような方向に話が進むのでしょうか?
そんなに簡単な問題じゃ無いんだよなぁ、そんな気がするんですよね。

■食料消費の動向
食中毒や食の安全の問題を考えるうえで、社会の動向も忘れてはいけないと思います。
農林水産省が発表している『食料・農業・農村白書』というものがあるのですが、この中に食料消費と食品産業の動向などがまとめられております。次の資料は平成21年版のp60より抜粋したモノです。

1980年と2009年の世帯員一人あたりの消費支出を比較したものですが、注目して欲しいのは、30年前に比べて消費支出自体は増加しているのに対し、食料消費支出は減少していると謂う現実です。さらに支出の中身をみると、生鮮食品への支出が大きく低下しているのに対し、調理食品及び外食は増加している事がわかります。
同資料のp64には次のような記述があります。

さらに、調理食品、なかでも弁当の価格が下がる一方で購入金額が伸びていることや、外食では購入金額が全体として減っているなかで価格が低下しているハンバーガーの購入が増えているなどの動きが見られます。

どらねこは食料分野でのデフレスパイラルと食の外部委託化の進展が食中毒統計にも表れてきているようにも感じます。

■食中毒統計の動向
厚生労働省がまとめている食中毒の発生状況を抜き出してみました。
この表をみると、ここ30年ほどの間に、食中毒の発生場所は家庭から飲食店にうつっている事が見えてきます。病院や給食などが低い水準で抑えられているのは流石だな、とも思います。

次の表では、食中毒の原因物質について、魚は減少傾向が続いており、肉が上昇している事が見て取れます。

もちろん、この表だけ見て何かが分かったような気になるのは危険ではあると思いますが、いくつか推測できそうです。

調理の場が家庭から外部にうつる事によって、魚による食中毒は減少傾向にある

家庭で魚を衛生的にさばくのは中々難しいと思います。キチンと講習を受けたプロがつくったお造りを購入したり、お店で注文する機会が増え、魚による食中毒は減少している可能性があります。

生肉を食べる機会、肉を直接取り扱う機会は増えている?

どらねこが子どもの頃は肉と謂えばステーキか炒め物か焼き物かぐらいの狭い選択肢でした。生で出しているお店も少なかったです。肉を生で食べなくても、バーベキューなどで肉を皆でわいわい突く習慣や焼き肉やさんで自分達で焼く機会が昔に比べて増えているように思います。それが肉の食中毒割合が増えていることに関わっているように思います。
外食をする場合は大抵、店員が衛生的な基準を遵守して最終調理段階にまで仕立てる事がほとんどだと思いますが、焼き肉屋などの提供形態は、素人であるお客さんが大事な加熱調理手順を踏む事に危険があると考えられるでしょう。今の提供形態のままで良いのか?そんな意見もあるかもしれません。

■値段と責任
色々と見てきましたが、食と安全の問題を考える為には、まず、食に何を期待しているのかと謂う議論が必要なんじゃないかな、と思うのです。安全性、美味しさ、国産であること、健康、安さ・・・などひとそれぞれかと思いますが、それら全てが満たされて当たり前なんて考え方自体が有害(ちょっといいすぎかも)だと思うのです。安さについては効率化などである程度は両立できると思うのですが、美味しさを求めれば、それだけ値段は高くなります。ここ数年の流れを見ていると、極端に値段を抑えて尚かつ、その他のニーズも満たそうと謂う、かなり無理な状況になっている様にどらねこには感じられるのです。
美味しさと安さを両立させながら価格を抑えたい・・・その結果、従業員の賃金を抑えなければならなくなる、それが全国的なトレンドとなれば食品産業全体がデフレスパイラルに飲み込まれ、安い値段で提供されるモノしか食べるのが難しい層が結果的に増えることになり、価格低下圧がとまらなくなります。それだけでも問題であるのに、全面価格戦争と成った場合に、一人勝ちするためルールを逸脱するモノが現れても不思議はありません。賃金だけでなく、安全の為に必要な手順を省く事で他者との競争に勝とうとするモノがあらわれるかもしれません。また、従業員の過度な削減により厳しい労働環境での過失や事故なども増えるかも知れません。それらは誰の責任になるのでしょう?
安全な食べ物は必要な手順を経て提供されるもので、達成するためにはお金がかかります。安全性へのハードルを高くすれば、その分余計なコストがかかります。それなのに、今までと同じ値段で提供されるとすれば、やっぱり何処かに無理が起こっていると考えられませんか?
求める水準に見合った対価を払わない・・・そして、何処かで大きな事故が起こって、医療・原因究明の調査費・再発防止手順などなど公的なお金が投入されます。誰かが不当に得た利益は別の誰かが支払う事になる、そんな事も考えて欲しいとおもうんです。
安全の大切さ・・・とても大切で皆が協力し達成されるべきものではあると思うのですが、対価も払わず当たり前に提供されるものでは無いのだとどらねこは思うのです。

*1:お腹が痛くなったり下痢や嘔吐をして病院に行かないままそのまま治ってしまうものの中にはかなりの割合で食中毒があるような気もしますが、はっきり分からないものはしょうがないですね。このような暗数がでてしまうのは自然に治ってしまう病気を扱う統計調査では仕方の無いものと謂えるでしょう。

*2:ランダムで当選が決まる宝くじと同列に置いている事に注意してください。頭の体操ですので。