通常医療として行われている処置よりも効果のある代替療法は存在するか

■害のある医療行為
過去に目を向けると医療として行われていた行為自体が患者を傷つけてしまった事例が存在する。過去に広く行われていた、瀉血という方法がそれにあたるだろう。病気は悪い血液が引き起こすものという考え方から生まれた方法であるが、その理論自体が過去の誤った理解を基にしており、当然ながら期待した効果は得られない。効果が得られないばかりか、血液を失うことに拠る体力の消耗など、却って病気を悪化させてしまうものである。
当時通常医療として行われた瀉血を拒否し、効果の無い代替療法をうけた者の予後が良好であったとしても一向に不思議はない。
では、現代医療に於いてはそのような事は無いのであろうか。

■実証を重視した医療
新しい治療法を導入する場合には、その効果を検証し、確からしさが実証されたものでなければならない。旧来から行われてきた医療についても同様で、効果を検証し、治療効果が見出されないモノについては、標準医療から除外される。それが実証的な医療であり、現代医療の現在進行形で目指しているモノであると思う。此処では、その作用機序の解明も重要であるが、効果が確認されたものについては作用機序が不明である事を理由に標準医療から除外されるものではない。
では、現代医療として実施される標準的医療全てが、効果の確認された医療であるのか、と言う疑問がある。実証された治療法だけが医療ではないのだ。実際の処は日常の診療に於いては、エビデンスレベルの高い治療ばかりが実施されているワケでない。例えば、糖尿病治療を例に説明すると、食品交換表に基づいた食事療法が処方されたとする。しかし、食品交換表に基づく食事管理には所謂エビデンスが存在しないとされている。その他、検証が十分でない治療は臨床の現場に存在するし、検証が行われていないからといって直ちに排除されるモノでもないだろう。
つまり、現在は過渡期であるという事で、現在標準医療とされている手技の中には、知見が集積されることで効果が無いと結論されるモノもあるだろう。COX-2阻害剤などはその類だろう。これほど大きな事例でなくとも、今後の追跡調査により治療を施すことに拠る有益生よりも有害性が上回る事が明らかにされる治療法も見出されるだろう。そうやって実証が行われ続け、実証に基づく医療が段々と進んでいくのだろう。(と思う)

代替療法推進側が指摘する標準医療の問題点
代替療法を標榜する方々によく見られる標準医療を批判する文言にはこのようなモノがある。

・予防的ではない
・対症療法であり、根本原因を除去できない
・薬害問題、過剰な薬の投与などの問題
・患者本位の医療ではない

指摘するのは勝手であるが、その根拠を明確に示したものは少ないようだ。例えば、対症療法に過ぎないというのは、ウイルス感染による高熱に対する解熱剤処方については当てはまるが、細菌感染に対する抗生物質投与は対症療法ではない。まぁ、彼らが謂うのは免疫力アップで風邪をひかない体を作る!というものだからその点からの指摘だとすれば分からないでもないが、免疫力アップの根拠を示してから行って貰いたいという話だ。
しかし、それぞれの主張が代替医療を享受しようとする方にある程度届いているようなので無視はできない。
残念ながら、過剰な薬の投与という点については結果的にそうなっている事例は多くあると考えられる*1だろう。これは感覚的にも頷ける問題で、例えば爺さんばあさんに薬が7つも8つも処方されていたりするのを見て、コレ飲み過ぎなんじゃない?と、感じてもおかしくない。実際問題、高齢者の多剤併用は薬物有害反応の危険因子である。本当にそれだけの薬が必要とする可能性も勿論有るのだが・・・

■誠実さと安心
治療を受ける事というのは患者にとっては本当に切実な問題であるから、大抵のヒトは信頼できる相手に、安全で安心、確実な方法で実施して貰いたいと思っているはず。相手がもし、お金儲け優先で高い治療法ばかり奨めるとか、興味のある治療法を患者相手に実験してみるとか、薬屋からお金を貰って必要もない薬を処方するとか、もしそんな事があるなら信頼できないと考えてしまっても不思議はないだろう。
だから、不誠実な代替療法推進者は、そういった方法で標準医療を批判し、自分たちの施術に目を向けて貰おうとするのだろう。
それらは火のないところに煙を立てるようなものが殆どなのだが、中には不信を招いたとしても仕方のない事例があると思う、残念ながら。

■過去の過ち
医療提供者も人間であるので、今まで自分が行ってきた治療法が誤りである事が分かったとしても、それを認めることはなかなかに難しいという話である。過去に於いては、産褥熱を清潔作業で予防する方法を示したゼンメルワイスの実証を無視した医師達が、多くの妊婦の命を犠牲にしたという事例がある。
医療統計、疫学的手法が発達した現代に於いては、ここまで顕著な事例が放置されることはまず無いと思うが、命に関わらない自然治癒も期待される疾患などについては、今後も起こりうる問題であると考えるし、現実問題起こっている。
それは、傷を消毒して渇かす治療法の事だ。
最近は市販品の創傷被覆材にも傷口を渇かさないで治す商品(傷パワーパッドとか)が登場したように、湿潤療法の認知度は急速にたかまりつつある。しかしながら、旧来からの傷口を消毒し、ソフラチュールで覆うような治療法が未だ廃れていないというのが現実だ。消毒薬は粘膜や細胞が露出された状態に塗布する事で細胞を傷害し、傷の治りを遅くするというのは消毒薬の作用機序を考えれば明らかなことだ。つまり、何もしない場合に比べても、消毒処置を行った事で、傷の治りが遅くなるという事態が起こりうるのである。
元気な人であれば、消毒により痛めつけられた傷口もいずれは治ってしまうから問題が大きくなりにくかったのだよね、きっと。だから、未だに医療の現場から傷口の消毒が無くならない。
暗黒猫の私が代替療法の推進者だったら、この事例を上手に利用して、現代医療を糾弾するかも知れないね。消毒行為が無くならないのは、ヨード系消毒剤メーカーからお金を貰っているからだ、とか、誤った治療法を認める事が出来ないのが、EBMとか謂われている現代医療の現実だ、とかね。

■悪徳猫
例えば、火傷について標準医療でも行われる消毒薬入りの軟膏+ガーゼ処置と代替療法の馬油塗布とキャベツ添付の効果の大きさを考えてみよう。
先ほど述べたように、消毒効果のある薬は細胞を傷害するし、ガーゼをのせてしまえば、ガーゼは浸出液を吸収し、乾燥させ傷の治りを遅くするばかりか、傷口と固着して治りかけた皮膚を破がしてしまうことも考えられる。
対して、馬油をぬった治療では、品質にも拠るが細胞への障害度が少なく、創部表面を覆う事で湿潤環境を保ち表皮の再生を妨げない事が考えられる。キャベツ表面の形状はガーゼよりもくっつきにくいかもしれない。これを利用して、○○を昔ながらの馬油に配合した火傷に良いと謂われる△△療法の伝統薬です。な〜んて、奨めるかも知れない。
「ホラ、痛みがひいてきたでしょ?他にも色々と良い治療法があるんですよ・・・」ってね。

■結論とは謂えないけど
現実問題、代替療法の中には今現在標準医療として提供されている治療よりも効果のあるものが存在しそうだという事を書いてみた。だけど、それは代替療法が標準医療より優れた面があるという話として示した訳じゃない。
代替療法はそのままでは標準医療とそっくり入れ替われるモノではないと思っており、標準医療がわに問題点が有ったとしても、代替療法の価値が高まるわけではない、というより標準医療の信頼を必要以上に損ねるようなヤリクチは感心できないし、そのような団体は無くなってしまえばよいと思っている。とはいえ、代替療法を無くすことは出来ないと思うし、それが現実的とは思わない。
でも、標準医療提供者側が招いた問題だってあるんじゃあないかな。
自分も医療従事者に対して幻想をもっているかもしれない、こうあるべきだという。医療従事者だって普通の人間だし誤りだってするはずだ。誤りを認めた相手にこそ、信頼感を持つことが出来るのだというのを、共通理解にできれば、世の中だいぶかわるんじゃないかな、うーん、そうでもないのかな。
過ちを過ちと認めたヒトがフルボッコになりかねない状況になっていないだろうか?医療提供者側だけの問題では勿論無い、私はそう考える。

*1:Incidence and preventability of adverse drug events among older persons in the ambulatory setting. Gurwitz JH, Field TS, Harrold LR, Rothschild J, Debellis K, Seger AC, Cadoret C, Fish LS, Garber L, Kelleher M, Bates DW.JAMA. 2003 Mar 5;289(9):1107-16.