井上ひさしさんが亡くなった

井上ひさしさんが4月9日に亡くなったという記事を見た。
肺がんを患っていたという。
やっぱりタバコが・・・なんて、あたまによぎるけど、他にも要因はあるだろうし、そう思っただけ。
彼の著作をどれくらいよんだろう、と思いwikipediaを開いて確認してみた。

ブンとフン(1970年)
ドン松五郎の生活(1975年)
日本亭主図鑑 新潮社(1975年)
偽原始人 朝日新聞社(1976年)
新釈遠野物語 筑摩書房(1976年)
吉里吉里人(1981年)
ひさし・章二巷談辞典 文藝春秋 山藤章二(1981年)
モッキンポット師ふたたび(1985年)
十一ぴきのネコ 新潮社(1990年)
四千万歩の男(1990年)
コメの話(1992年)
どうしてもコメの話(1993年)
ニホン語日記 1-2 文藝春秋(1993年-96年)
日本共産党宣言(不破哲三対談、1999年)

思ったより少ないな・・・
もっと読んでいたと思っていたのだけど。もしかしたらタイトルを忘れたのもあるかもしれない。
自分には彼の事を語れるだけの知識もないし、含蓄もないからこんな記事を書くのも烏滸がましいのだけどね。
氏は稲作を大切に思っていて、コメの話という本も書いている。
私もその本に影響を受けたウチの一人なのだけど、皮肉な事に稲作偏向反対の反米(コメ)論者になってしまっている。とはいうものの、前政府や現行政府が行うような形の稲作保護策について懐疑的なのは氏と同じではあるが。治水制作としての水田保護という観点はこの本から教えてもらった。
先日、文体診断ロゴーンというプログラムに自分のブログ記事を放り込んでみたら、2番目に井上ひさしさんの名前が出てきてとても嬉しかった。
氏みたいに、読みやすい文章じゃないのになんだか申し訳ないキモチもしたけど、もしかしたら、助動詞に拘るところが効いたのかも知れない。
氏は助動詞を大切にしていたように、個人的には思っている。
お悔やみなんて、がらじゃあないので、氏の文章に影響を受けた事をここに記して、おしまいにしたいと思う。
ありがとう。