無用の問答最終回:個と公衆と代替療法

無用の問答(その1)
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110227/1298790723
無用の問答(その2):八方美人かダブスタ
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110424/1303632702
無用の問答(その3):がんといのちと代替療法
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110521/1305957365


ダラダラと続けてきた帯津氏シリーズですが、なんとか最終回を迎えることが出来ました。お付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございます。
今回は本文からの引用は無しにして、健康問答を読んでどらねこが考えた事を書いてみようと思います。どちらかと謂うと感情に重きを置いた文章になりそうですので、背景などを抑えるためには黒猫亭さんが書かれたホメオパシーに対する私的総括*1を読んでもらえれば、と思います。

ホメオパシーに効果があると思わなければ、効果なんて無い
まず、これは最初に主張しておきます。ホメオパシーと謂う代替療法など広まって欲しくないし、無くなって欲しいと思っております。通常医療を忌避しようがしまいが・・・です。そして、私自身はお守りなども身につけません。そう謂ったモノへの親和性は全くと謂って良いほどありません。

■信じてない?勝手な想像
帯津氏の本を読み終えて、このヒトはあんまり代替医療を信用していないな、という印象を持ちました。特に侵襲的であったり、特定の成分が体になんらかの影響を与えるおそれのある療法については慎重な姿勢を見せているように感じました。全部ではないけど、カイロプラクティックとか温泉とかマクロビオティックなどに対してものめり込むのは良くないと謂う表現で仄めかしているんですね。それでも、その療法を信頼している人が読めば、このセンセイは○○療法を否定していない、と謂うように読めるように書いてあって、この辺りが巧妙だなぁ、と思うのです。要するに、帯津氏は代替医療にすがる心を持つ患者さんを積極的に自分の病院へ取り込む為、それに必要な活動を一貫して行っているのだとどらねこは考えます。

ホメオパシーと帯津氏
広い範囲の代替療法を指向する帯津氏ですが、その中でもホメオパシーを絶賛し、積極的に活用しようとしている様子が伺えます。真意は勿論分かりませんが、ホメオパシーに使用するレメディ自体に有効成分が何も含まれておらず、それ自体が体に影響を及ぼさない事を知っているからこそ、安心して使用できるから、そんな理由が大きいように感じております。
帯津氏と謂えば代替療法のイメージですが、標準医療の殆どを否定しておりません。患者が望めば提供を行いますし、患者が渋っても必要とあれば説得をするぐらいに標準医療を肯定しております。この事がホメオパシーの活用に繋がると考えられます。

例えば・・・
ポニョ子「いた〜い、ポンポンいた〜い。アンタなんとかしてよぅ」
医師「う〜ん、ぱっと見たところ悪いところはなさそうなんだけどなぁ、ハイ、魔法の錠剤です。これはききますよ〜」
ポニョ子「うわぁ〜ん、全然効かないじゃない、なによこれぇ」
医師「あれ、効かなかった?じゃあ他の検査してみるね。・・・ハイ、じゃあ薬出しておきます」

実際の治療の現場ではこんな事は無いのだろうけど、とりあえずレメディ与えておいて、心理的でもなんでもいいからなにがしかの薬様のものを飲む行為だけで良くなるのだとしたら、それに越したことは無いですよね。薬効成分があれば副反応も心配されますけど。コレ一本で治りますと謂うようなヒトとは違うので、代替療法の処方自体に特異的な効果がない方が扱いやすいと思うのですね。
ただし、自分が信用していないとホメオパシーを心の底から信用している人に怪しまれてしまう事で効果が減ってしまう心配もありそうですから、自己暗示ぐらいはしっかりかけているような気もするんですよね。

代替療法は誰のため
ここからが本題です。『帯津氏のように、医療の現場に積極的に代替療法を採り入れる行為は全く肯定できないモノなのか否か』と謂う話しに入ろうと思います。この問題を考える上で外せないのは『個』『公』で見た場合に利害が対立すると謂う構図でしょうね。公衆衛生的に問題となるような予防接種忌避を植え付けようとする代替療法は論外ですが、狭い範囲にとどまる場合には個の要求*2は尊重されて良いものなのか否か、と謂うのは中々に難しい問題だと思うのです。
こんな場合はどうでしょうか?

Aさんの大切な身内がガンである事が明らかになった。しかし治療を薦めるも、手術や化学療法は体を痛めつけるだけで根本治療にはなり得ない。知り合いのホメオパスに相談しているから大丈夫であると拒絶されてしまう。今ならまだ手術で取り除けると謂う・・・一刻の猶予も許されない。身内の心は変わらない。
Aさんは考えた。もしかしたらホメオパシーも実践しているお医者さんの謂う事なら聴いてくれるかも知れない。そう思い立ち、身内にホメオパシーを採り入れているお医者さんのお話をしたところ、「おはなしをするぐらいなら・・・」、と了解をとりつける。
さて、診察の場でお医者さん、「これは手術をするべきですよ、アナタにはホメオパシーがあるじゃないですか、手術の後の抗がん剤による副作用を抑えるレメディも用意しますよ」、と。それでも躊躇するのをみて、「標準医療と代替医療は車の両輪なんです。お互いに相容れないモノじゃあないのです。大切なのは手術を終えた後の人生なんです。アナタを心配してくれる大切なヒトが隣にいるじゃないですか。自然治癒力だけに頼って苦しい思いをしているのを黙ってみているのはそれは辛いことなんですよ。今手術を決めて、これからの人生を考えましょうよ。苦しみはレメディが和らげてくれます、大丈夫です」このコトバはとろける様な極上の笑顔と一緒に提供されました。

さて、これ以外の方法で手遅れになる前に身内を手術に向かわせる事がAさんには出来たでしょうか。ホメオパシーへの傾倒度にもよるでしょうけれど、難しかったんじゃないかと思います。
ホメオパシーを必要とするヒトは確かに存在すると思うのです。ホメオパシーの治療理論や団体の態度などには許容できないものが多いのですが、今現在すでにホメオパシーを正しいモノであると誤解をしてしまったヒトに対して、自己責任だからあきらめろと謂えるモノでも無いと思うのです。見捨ててしまって良いと謂うものでもないと私は思うんです。

■どんな対応が必要なのだろう?
正解と呼べるようなモノは無いと思うのですが、やっぱり軟着陸を目指すのが良いのかなぁ、と思います。切羽詰まった状態にあって、相手の主張を受け入れる余裕の無い人に対しては、ホメオパシーの使用を容認するのも致し方ないのかな、そんな風に思います。この点だけについては、帯津氏の目の前の患者を最優先にしたいと謂う考え方を許容できるのかな、と思わないでもありません。
そうであっても、前提として家族に対して、ホメオパシー療法が病気に対しては有効性が無い事を伝えるなどの配慮と快復後にホメオパシーで治療できたと宣伝をしない旨の誓約が求められると思います。

■帯津氏のホメオパシーはどうだろう?
患者に寄り添う帯津氏の姿勢自体は否定しませんが、それで代替医療を薦めることが許容されるモノではありません。どらねこが最も問題視するのは、彼が代替療法を広めようとしているところです。過剰な幻想を与えるような書籍を精力的に執筆し、ホメオパシーの効果を事ある毎に喧伝して回るのは、更なる被害者を生み出しかねない行為です。全国に情報を発信した結果、彼個人がホメオパシーを信用したヒトタチ全てに対して最後まで責任をとれるはずが無いからです。
標準医療を否定しない穏健なホメオパシーであっても、現代科学と相容れない思想である事はかわりありません。ホメオパシーというコトバが一人歩きして、一般に浸透することで、標準医療を忌避するタイプのホメオパシーへの親和性が高くなることも予想されます。こうした代替医療自体を不特定多数のヒトに宣伝している時点で、許容できるモノでは無くなると謂うのがどらねこの見解です。

■いつかサヨナラできるために
最後の手段として紹介される知る人ぞ知る闇医師、彼の扱う代替療法は数知れず。彼の正体は誰も知らない・・・。現代医療と相容れないタイプの代替療法を医療として提供する場合には大きな舞台は用意すべきでないと考えます。そして、悲劇をなるべく起こさない形でゆっくりと自然消滅に導ければ・・・そう考えます。
標準医療に不信感を持つヒトタチの駆け込み寺は必要かも知れない・・・しかし、それは代替療法を商売として宣伝するヒトが担うモノでは無いとどらねこは思います。

*1:http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2011/03/post-a284.html

*2:個人の要求が尊重されると謂う事は社会のルールを逸脱する個人を産みだす事とそのまま繋がるモノでも無いと思うんです。集団も個々人のあつまりであり、そのひとりひとりの権利が尊重されるものと謂う理解にまで達すれば、他者の権利を侵害しない方向でシアワセを模索することになるはずだから、けっして相容れないものじゃ無いと思うんです。でも、それはとても難しい事ですね。