既製品でよい

かあさんは夜なべをして、手袋を編みそれを息子に送ったのだそうな。
そんな歌詞の曲があるのだけれど、どらねこはどうしてもこの類の歌詞を好きになれない。
「アンタには人の心がわからないんだろう」とか、「捻くれモノめ!」なんて云われてしまいそうだが、事実そうなのだからどうしようもない。別に子を思う親の気持ちを否定するとか、この曲自体を否定するわけではない。
勿論、時代背景が違うのだから現代にそのまま当てはめるワケにはいかないのだが、現代でも手作り、とか苦労して造り上げた○○みたいなのがもてはやされているのようなので、まだまだ通用する考え方とみて差し支えないのでないか。
とにかく、『苦労して造り上げたモノだから』、『手作りだから』感情が籠もっているみたいな話はどうも好きになれないのだ。
まず、夜なべだ。
日中は仕事に勤しみ、空いた時間は夜だけしかないのであろう。睡眠時間を削って息子のために手袋を編む・・・
勿論、その気持ちは酌んであげたい気がしないでもないのだが、そのような状況を良しとする風潮をうみやしないか?
どらねこが見たいのは親の苦労する姿じゃないのだ。
どらねこ的にはこうであればよい。
母親から手袋が届いたよ。最近仕事を効率よくこなせるようになって、余った時間に趣味として編み物を始めたんだって。練習がてらに作ったモノだけど、良かったら使ってほしいんだって。良くできているから嬉しいな。
繰り返しになるが、親に苦労して貰いたくないのだ。親だって子供に苦労させたくないのだろう?そんな事もわからないのかい?
アンタを大学にやりたいから私は苦労して・・・
そんな言葉は聞きたくない。確かに子供に良い教育を。その気持ちはわかるが必要以上の苦労はして欲しくないんだ。寝る間も惜しんで働くぐらいなら、隣で一緒に寝て欲しいんだよ。そんな事もわからないのかい?
大切な人が苦労する様は見たくないんだよ。
子を思う親の気持ちを苦労で表す作品は好きになれないのだ。