健康食と危険食⑦−石塚左玄の食養

河内省一氏の主張を例にマクロビやその大元である食養の考えを紹介してきた。それらは共通して明治時代の軍医石塚左玄の食養を教義に掲げているが、彼の主張は当然の事実であると疑いもなく受け入れており、自説の根拠となっている。原典に基づき展開した取り組みに歪みが発生したとしても、それは解釈の問題であったと修正を続け、今日まで生き延びてきた。果たして、石塚左玄の食養や陰陽の原理はどのようなものであったのだろうか。

※今回のエントリはハッキリ言って、どらねこの推理だ。だから今まで以上に『憶測』の割合が高くて乱暴なハナシになっているのでそこは注意して欲しい。※

石塚左玄『化学的食養長寿論』『食物養生法』という本を出しており、彼の食養理論を窺い知ることが出来る。当時の若しくは彼の科学知識によって書かれたこの本ではどのような主張が為されていたのであろうか。少し紹介してみる。
食物養生論では、人類は穀食動物であること、カリウム(加里鹽)とナトリウム(那篤倫鹽)の平衡が身体及び、精神状態を規定することを説明している。
では、彼の謂うナトリウム・カリウムの平衡とはどのようなものだったのであろうか。

夫婦アルカリ論

彼が栄養素として重視したのは、窒素・炭素・カリウムであった。彼が参照したイヌを用いた栄養学論文では、塩分を取り除いた肉に、カリウムを添加したものと、ナトリウムを添加した食事を与えた場合、カリウム添加食事に顕著な体重増加が見られた。これを以て、筋肉の形成にカリウムが必須であると理解した。と、同時にナトリウムもはカリウムとの摂取割合が大切であるとも述べ、夫婦アルカリ論(ナトリウムが陽でカリウムは陰)を展開した。
カリウム源となる食品は穀類菜類果実類その他海草海苔類などの植物性食品、ナトリウム源となる食品は食塩の他、海や川の魚介類や鳥獣の肉やタマゴであるとしている。その意味するところは野菜と肉類の摂取割合の比だとすれば現代にも通用する考え方であるが、その根拠はあくまでもカリウムとナトリウムの比をもとにしているに過ぎないのだ。では、彼が理想とする比を持った食品、それは何だろう。誰もが予想できたと思うが、それは玄米であり、玄米は丁度良いバランス(中庸)であると持て囃している。

Na:K比

理想のNa:K比は玄米の1:5であると、食養系のトンデモさんサイトでは良く目にします。これが玄米が理想的な食品であるとする根拠としてよく用いられるけど、本当に1:5なのかなぁ。まずは食品成分表を確認してみる。

おりょっ。ぜんぜん、1:5の比じゃないじゃん!むしろ、精白米の方が彼らの云う良いバランスじゃあないの?
それでも、トンデモさんはめげません。
「近頃の農業はカリウム肥料をやたらに播くから玄米のナトリウムが増え過ぎちゃったんだ。昔ながらの無農薬、無化学肥料の田んぼからは素晴らしい玄米が採れるんだい!!」
そんな声が聞こえてきそうです。ふ〜ん。でも、元々のカリウム・ナトリウム比を重視すれば、現代では白米が良いって事になりそうだけど・・・、それ以前に、昔の分析よりも現在の分析精度の方が正確だと思うけどなぁ。

あ、そうそう。石塚左玄は動物性食品をNaの元であると分類したけど、お肉やお魚のカリウム・ナトリウムは実際のところどんな比率なのかなぁ。

うほぅ。肉とか、マグロは中庸に近い食品じゃないですか、なんで陽性の食品に分類するの?
肉を食べちゃダメな理由が無くなってしまったよ。

石塚左玄が肉類やNaに厳しくする理由などを考えてみた

まずは、日本に西洋文明が入りこんで来た事に対するカウンターとしての性質が挙げられる。食養の後継者は石塚の科学よりも思想や哲学、反西洋としての性格をより強く受け継いでいるように見受けられる。しかし、それだけでは無いんじゃないかな、というのがどらねこの見解である。だって若い頃の彼は西洋医学や栄養学を勉強していたみたいだからね。そこで彼の生来患っていたとされる病気に注目してみた。

桜澤如一著 石塚左玄 p46
彼は生まれ乍らにして恐るべき皮膚病をうけていた。四才の頃すでに全身にヘブラ氏掻痒症を発し、その為に五才の時急性腎臓炎にかかった。この腎臓炎は終生、彼の生命を脅威し、遂にyはその生命を奪ったのであるが、その原因はこのもぅっとも頑強なる皮膚病プルリゴ*1であって、その皮膚病は胎毒の延長ともみるべく、母親が彼の妊娠中に辛味及魚食に偏したる結果なりし事は後日彼が食養学完成の暁に知る処であった。

石塚左玄は出生時から皮膚病を患っていた事、そして腎臓にも病気を持っていたことが書かれている。そして、実際彼はその病気を克服すべく、西洋医学の治療を受けるが効果はみられず、やがて東洋の古典医学に注目し採り入れていく事に成ったようだ。ではなぜ、当時の西洋医学は効果が無く、東洋的思想を採り入れた石塚式食養に効果を見出したのだろうか。
これは本当に憶測でしかないんだけど、かれの皮膚病は今で言うアトピー性皮膚炎だったのではないか。そうであれば、彼の肉を廃す食生活が、偶然にもアレルゲン除去食になり得たのではないか。そして、腎臓病ではたんぱく質制限食の役割を果たしたのではないのか。
彼の食養理論は個人的成功体験に基づくものであり、その結果を基に理由を後付けしたものに過ぎない。繰り返すが、自分を良くした食事療法を当時の知見と自分の思想を用いて説明したものが彼の食養の原型となったのだろう。彼の孫弟子である二木謙三氏も皮膚病と腎臓病を患っていたが、食養により克服し長生きができたとされている。なんの事はない、単なるアレルゲン除去食と腎臓病に対するできの悪いたんぱく質制限食だったのだ。

宗教としてのマクロビ及び食養の原典を探ってみた最終回、如何でしたでしょうか。当時の知識としてはトンデモではなかった石塚氏の食養論だけど、知見が集まり、分析精度もたかまると彼の主張は科学では説明できないことになってしまった。彼の主張こそ真理であると教えてきた後継者は不都合を握りつぶし、科学とは違う独自の理論を構築する必要性が生まれてしまった。波動であるとか千島学説と結びついたのはそういった必要性があったからだろう。原典を自明のものとせず、おかしな処には疑いを以て検証をする。それが科学というものだよね。
石塚左玄氏は医者であり科学者である。そんな彼が、自説の誤りを指摘されないまま、今なお健康被害に遭われる実践者が生まれ続けているとしたらどう考えるであろうか。本当に氏を尊敬するのであれば、やるべき事は見えてくるはずだ。

もちろん、以上の文はどらねこの憶測に過ぎない。だけど、案外いいとこ突いているんじゃないかな、と自惚れてこの項を終了したい。

  • 健康食と危険食シリーズはこれで一応の区切りです。気の向いたときにおまけエントリをあげる予定です。おつきあいありがとうございました。

*1:おそらく、Hebra's prurigo(ヘブラ痒疹)の事と考えられる。再発性の激しいかゆみを持つ小丘疹が発生する病気。アトピーとも関連性があるとの記述が見られる。因みに名前のヘブラは皮膚科学の大家ヘブラ氏で、ゼンメルワイス物語にでてくるヘブラとは同一人物です。