個人としての美味しさ

(減圧乾固中の暇つぶし文です)
いまとっても腹が減っているので、何を食べても美味しく感じそう。でも、ちょっと鼻がつまり気味だから、香りを楽しむ食材じゃないほうがいいなぁ。香茸とかはもったいない。
個人が感じる美味しさはその日の体調とか、口の中の様子とか、気温とか雰囲気とか様々な要素に左右される。おそらく、二度と同じコンディションで味を感じることはできないのではないか。そう思うほどだ。
分かりやすい例えだとやっぱり水かなぁ。所謂飲用適な水は味を感じる要素は少ないし、料理とは違って再現性があることが大きい。水は体調や環境に依存して美味しさの感じ方が大きく異なる事を実感させてくれる。これを水からの伝言と謂いたいが、先約があったようなので棄却することにした。
人間の記憶なんて曖昧だし、そのときの状況によって感じ方も異なるし、料理はいつも同じ品質とは限らない。だから
「おい、おやじ。なんだこのソバは!!腕が落ちたんじゃないか?」
なんて言葉はよくよく考えてから発したほうが良いようなきがするのだ。
そんなにブレなく判断できるのはテクスチャーと味のバランスかなぁ。明らかに不味ければそうなんだろうけど、ちょっとの違いを判断するのは容易ではないと思う。
食の薀蓄を垂れる美食家は大変な仕事である。彼らはスポーツ選手のように体調管理をして、いつでも同じように味を確かめられるよう、裏では血のにじむような努力を積み重ねているのだろう。
彼らの前では決してタバコをすってはならないのはそういう理由なのだ。きっと、そうに違いない。