うそ

どらねこは結構な嘘つきである。思えば物心ついた頃から嘘ばかりついてきたように思う。事実と反する事を相手に伝える事を広義の嘘、事実と反する事を意図的に伝える事を狭義の嘘と仮定した場合、かなり小さい頃から狭義の嘘をついていたように思う。もちろん、その嘘をついた理由は色々あるのだけど・・・
今回はそうした「嘘」をテーマに何かしらを書いてみようと思います。


■子どもが嘘を

そうした嘘つき子どものどらねこでしたが、子どもができると今度は自分が嘘をつかれる事になります。とはいっても他愛の無い嘘なのですが。
ある日、家に帰ってくるとガムのつつみ紙が落ちていました。これはどうしたのかと子どもに聞くと、「知らない」と答えます。近くにあったガムのケースを見ると、きたなく破かれてすっからかんになっておりました。のどに詰まってしまっては困るので、普段は許可が無い場合食べないように伝えてありましたが、美味しそうなガムが台の上に出しっぱなしになっていたため、思わず手が出てしまったのでしょう。それでも、正直に食べたと伝えてくれても良さそうなものだが・・・と思いましたが、食べた事を伝えれば「食べてはダメだといったのに!」としかられる事は子どもにも容易に予想できたことでしょう。なので、なんのためらいも無く「知らない」と答えたのだと思います。
親としてはこうした場面に出会えばとても哀しいのですが、一応本当に怒っている様子をつくり説教的なお話しをしました。実はどんな対応が良いのか今ひとつ分からないんですよね。わからない理由の一つに、自分が同じぐらいの年頃についていた嘘とはだいぶ質が違うというものがあります。


■一貫性
どら息子がついた嘘の質(?)はとても表面的なように思います。

美味しそうなガムがあり親の姿は無い食べてはいけないと謂われていた事はおぼえてる欲望に負け食べた自分の中では完結なぜか食べたかと聞かれた食べたと答えたら怒られるだろう食べてないと答えた

だいたいこんな感じで、よく分からないけどガムを食べたかと聞かれ、食べたと答えれば怒られるだろうから食べてないと答えたのだろうと予想されます。一貫して嘘をついてやろうと謂う意図は特に無いので、紙くずを隠すという発想が無いのだろうと思います。これがどらねこの幼少期であれば随分と違ったように記憶しておりまして、例えばこんな感じでしょうか。

美味しそうなガムがあり親の姿は無い食べてはいけないと謂われている事は十分承知しているそれでも食べたいからチャンスだと思い食べる証拠を隠滅しなければならないと考えるガムの存在を消してしまえば良いと考える土に埋める等、家から存在を消し去るガムについて聞かれる知らないと答える態度に表れバレる


どちらにしてもバレてはいるものの、後者では約束を反故にした事で怒られるだろうからそれを回避するために証拠を隠滅しようと画策している事と、無くなったことを聞かれ、正直に答えると怒られるだろうからそれを回避する為に嘘をついている事がわかります。さらに嘘をつくこと自体が悪い事なのだという自覚があるため態度に表れバレたワケです。あらためて書いてみるとかなり悪辣に見えますね。また、バレた理由を考えると態度に表れたのが原因と分かりますから、今度は態度に表れないよう工夫をするようになるわけです。こうして嘘つきどらねこができあがっていくのでした。


■嘘をつく理由など
嘘をつく目的はなんだったのだろう? ちょっと当たり前の事のように見えますが、どらねこにとって嘘は目的では無くて手段でした。嘘をついてそれに踊らされる周囲の反応を見て愉しむような性癖は幸いありませんでした。嘘はつくものの、嘘をつく自分を見て身の回りの人が哀しむのも嫌いでした。なので、隠蔽の方向に走ったのだろうなぁと思います。子どもなので目の前の欲望に我慢できない、そんな自分がしでかした事も理解していて、だから隠してしまう。で、それを成就するために嘘が用いられたんですね。そういえば昔から自分の気持ちにも嘘をついてきたようにも思います。
どらねこは両親が離婚しており、父親の記憶はありません。母親はその事について自分から話すこともありませんでしたし、色々と大変そうな事をなんとなく察していたのでこの話しについて言及しない方が良いだろうなと考えていました。聞けば母親を哀しませるだろうと予測していたからです。なので、父親の事は気になっているし、欲しいような気持ちはあったものの全く興味が無いようなふりをしていました。聞かれてもどうでも良いと答えてました。コレも嘘ですね。


■現状を壊したくない
何かに熱中しているときに邪魔が入ると非常に苛ついたりします。穏やかな気分でいる時に急かされると腹が立ったりします。今の環境に満足しているとき、それを邪魔するものに対して不快になるのだと思います。どらねこにとって「嘘」は環境の変化を回避する為の簡便な「手段」だったのかもしれません。
そういえば、容易に嘘をつくジャーナリストの方がいらっしゃって、ツイッターなどでよくその話題になることがあるのですが、その人の「嘘」もどらねこみたいな理由の「嘘」がエスカレートした結果かもしれませんね。他の人から注目される自分、周りの人の期待に応えたい自分があって、そのために「嘘」をつくのだとしたら分かるような気がします。一度自分が発言した内容を支持してくれる人が現れたのなら、その人の期待に応えるために嘘が必要な場合には「嘘」のハードルが下がってしまうのだろうと思います。周囲の期待に応えたいという気持ちがやけに強い人を追い詰める事の危険性とも通じるんじゃ無いかな、そう思います。その際、「嘘ごと」の話しの中に部分的に「真実」を織り交ぜていたり、「真実」に「嘘」を混ぜ込むヤリ口を多用しているのであれば、嘘をつく自分に対して罪悪感を持っているのだと予想もできますね。嘘をつかざるを得ない状況にはまり込んでしまっているのだと考える事も出来るでしょう。もし改善*1を考えるのであれば、近しい周囲の人がその「嘘」を支持しない事を明確に示す事ぐらいではないかなぁと思います。
現状を壊したくない事が目的であるのなら、そんな大切なものを取り返しのつかないくらい壊しかねない「嘘」はつかない方が良いに決まっているのですからね。


■嘘はつきたくないけど
さて、こうして「嘘をつくこと」の話しを自分の例をひきながら色々としてきましたが、やはり「嘘」はつきたくないものです。なるべくなら「嘘」はつきたくありませんが、そう簡単にできるものではありませんので葛藤が生まれるわけですね。どらねこはようやく自分と向き合えるようになってきたのか、この葛藤がある状態がある意味自然なんじゃ無いかなぁと思うようになってきました。
「嘘」をつきたくないという気持ちが強くなりすぎると、「嘘」自体を悪として、嘘をつかない自分というのが目的化してしまうなんてこともありそうです。しかし、人間が社会の生きていく中で「嘘」をつかない事なんて無理だと思うんですよね。本当に自分にそれが出来ていると考える人がいるなら、それはきっと自分に「嘘」をついているのだろうと思います。そこまで極端な例で無くても、「嘘」=「悪」だと考える余り、嘘をつかなければならないような状況を過剰に排除するなんて事もありそうです。例えば、何か自分の事について書くときに匿名性を保ちたい、でも嘘をつきたくないと謂う状況があれば、その部分の情報だけ不自然になると思うんですね。「嘘」をつかない事が目的化してしまうとでも謂うのでしょうか。これってどうなのでしょうね。
自分の気持ちに「嘘」をついていませんか?
自分の気持ちは案外分からないものですね。勿論、ここまで書いてきたのも分からない自分の気持ちを分かりたいからだったりします。皆さんはどう思いますか?
因みに、どらねこは「嘘」をつく嫌な自分も含めて自分が大好きです。

*1:人格障害とかでなければ