欠如モデル関連とニセ科学親和性と予告編

自称ニセ科学批判批判者であるどらねこですが、非常に参考になりそうな記事がありましたので、紹介をしておこうと思います。この記事はちょっとめんどくさい話ですので、おもしろ知識を期待している方には不向きな内容となっておりますので、どうぞご了承下さい。

【PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味 】
P02-04-2 ニセ科学潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2012/02/p02-04-2.html

批判批判者云々は話半分に聞いていただくとして、上記のブログ記事とも関わる内容の記事を鋭意(?)制作中ですので、その前振りみたいなモノです。PseuDoctorさんの記事を先に読んでいただいていればスムーズかと思いましたので紹介した次第です。


ニセ科学を信用してしまう/取り入れてしまう人
ニセ科学とされるようなその妥当性が担保されていない言説を受け入れてしまうような場合、その人の知識が足りないからそうなってしまうのだ、と謂うように考えた時期がどらねこにもありました。これについて興味深いモデルの提示と結論(仮定に基づく限定された)が示されておりました。

P02-04-2 ニセ科学潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より
結論としては「社会を欠如モデル批判的に捉えている人の方が、むしろニセ科学批判を熱心に行う傾向がある」と言って良いでしょう。

そのこころは・・・

P02-04-2 ニセ科学潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より
例えば「ニセ科学にハマる人は、むしろ科学に対して不信感を持っている場合があるので、かえって受容度は低いのではないか?」とお考えの方がおられるかもしれません。
科学に対して不信感を持っているとすれば、それは科学に「裏切られた」という感覚が強いからでしょう。裏切られたと感じるのは、元々は受容度が高かったからです。そして、裏切られた時に替わりのものを探してニセ科学にハマってしまうのだとすれば、それはやはり、本質的には、未だ受容度が高い状態に保たれているからだと思うのです。そしてその事は、ニセ科学の中にある「現代科学を超越した画期的な理論」や「海外や著名な学者も絶賛」といった煽りに魅かれる心性にも現れていると考えています。

愛憎が入り交じった状態と謂うのは無関心どころか関心ありありとでも言い換えられるのでしょうか?とにかく興味がなければ知識を仕入れようとすら思わないことでしょう。

P02-04-2 ニセ科学潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より
よりクリティカルな批判としては「ニセ科学にハマるかどうかは、知識量と受容度のみで決まるのではない」というものがあるでしょう。確かにその通りです。特に重要なのは例えば「世の中にはそうそうウマい儲け話などない」とか「欠点が無く利点だけの方法など存在しない」などの「考えるコツ」に相当する部分です。こうしたコツは、知識と相互に補完しあう事で、いわゆる「リテラシー」を形作るものだと考えています。これはとても重要なポイントです。

コツって難しいですよね。勘所を押さえると深い知識を持たなくともそれなりにできちゃう事って多いでしょう。ところで、そう謂ったコツを身につける一つの方法に、コツを上手に使いこなしている人に教えて貰う事があると思います。ところが、知識はあるんだけど科学とかそう謂ったものに複雑な感情を持っている人が科学者とかニセ科学を批判するような人に、コツ教えて!とか、身につけようとか思わないですよね?感情的に反発すると思う。
このあたりが届かない所以じゃ無いかな?と、どらねこは思うわけ。で、最初っから知識も十分で反発はあっても距離をとっている人については関わってこなければ特に言及しなくても良いと思うのはPseuDoctorさんに同感。要するに対立軸を明確に示したり反発を強めようと謂う事をしないなら無関係みたいな感じかな。逆に謂えばニセ科学など妥当性に疑問符がつく言説に対し批判をするような人が、それらの反発を持つ人に言及しているケースではそこからの逸脱*1があると見なしているのだろうと理解できるでしょう。



■震災後の状況で実感
そのような事を強く感じるようになったのは、震災後の人々の不安とそれに便乗するニセ科学の問題が見えてきた事が関係しております。それについて言及したのが以下の記事です。

緊急鼎談!震災の不安とニセ科学(前編):ニセ科学問題はどう変わったのか?
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110912/1315825236

この中でPseuDoctorさんが述べている内容とリンクする部分を引用してみます。

どらねこ: それに加えて、ニセ科学にハマる人たちって、どちらかと謂うと平均的な方に比べて向上心が旺盛だったり、勉強熱心だったりするんですよね。そう謂う人たちがツイッターを媒介に情報を収集したり拡散したりしていると謂う状況なんではないかと私はみています。ですから、「ニセ科学にハマるのは情報リテラシー科学リテラシーがないからだ」と謂う様な批判は的外れだろうと思うんですよ。


むいみ: そうだね。不安に思ってる人ほどよく勉強してるので、コミュニティの情報交換でそういうネタを仕入れてくるんだろうね。放射性物質による汚染なんて、ぼくらにとってほぼ未知の状況なわけだから、科学的な見方からすると日常レベルでできる対策ってほとんどないじゃん。そうすると、その不安な気持ちとどうつきあっていいかわかんなくなってるんだと思うんだよね。

これはPseuDoctorさんがコツと述べた部分が大きく関わっていると思います。
そうしたコツを伝える部分では、対象者に受容してもらえるにはどのような方法が良いのか?と謂う対象の特性を考えた対応が必要になるのでしょう。全方位を対象としてではスジが悪い部分です。全方位を向けて発信する基礎知識に当たる情報は欠如モデル的な体裁に見えるモノでしょう。それとは別にもう一つ別の側面からのサポートが必要になると謂う話なのでしょう。
では、もうダマ書評シリーズ第4章をご期待下さい。

*1:個人的にそう見えると謂うものですが