ビタミン信仰

■不足から過剰へ
2010年現在、日本に暮らしている人々の多くは、自分が必要とする栄養補給にはどのような食事をどの程度食べればよいのか教育等がなされており、望むのならば必要十分量の栄養素を確保できる状態にあるといえるのではないでしょうか。
栄養素欠乏により引き起こされる欠乏症は恐ろしいモノだけど、欠乏症を起こすほどの栄養不足は普通に生活していれば殆ど起こらない状況にまでなっています。これはとても素晴らしい事だと思います。
かくして、栄養摂取の重要性を訴える公衆栄養施策から、過剰摂取の害を説く公衆栄養施策に転換することとなりました。
そうした流れと、過剰摂取が引き起こすとされる生活習慣病予防と美容的観点から強迫観念を煽る所謂ダイエットの流行などにより、食べ過ぎに対する罪悪感を煽られるようになりました。それと商業的な面などもあわさって主に女性をエネルギー過剰摂取忌避へと向かわせたのだとおもいます。
そのような状況にあっても、ビタミン摂取についての幻想は廃れるどころが、逆に高まっているように見えます。ジャンクフードや肉や油物、お菓子は悪いモノ、野菜やビタミン、ミネラルそして、食物繊維はカラダに良いモノという印象の二極化が生まれてしまっているようなのです。

■ビタミン神話
昔はビタミン欠乏によって多くのヒトが命を落としました。極々微量なビタミンやミネラルがヒトの健康維持に無くてはならないものであると発見されたのはたかだか100年程前のことなのです。多くの命を奪った謎の病気が、ほんの少しのビタミン補助で劇的な回復をしてしまう。精白米を玄米に変えただけで、脚気はウソのようにおさまってしまった。
「ビタミンとミネラルすげー」
確かに凄い事だと思うし、素晴らしい発見であると思う。そうして、人間が生きていくために必要な栄養素は次々と発見され、そのおおよその必要量までもが明らかとなりました。
船乗りを悩ませた壊血病は食事の量から比べたら極微量のビタミンCがウソのように回復させました。脚気やペラグラ、悪性貧血など細菌感染が原因と疑われていた原因不明の生命に関わるような難病を劇的に改善したのもビタミンでした。
ビタミンの発見とその代謝が明らかにしたブレークスルーはその功績が偉大すぎたため、ビタミンというモノに対する過度な期待、その根拠の及ばない部分に対しても無批判に受け入れてしまうような素地を作ってしまったのではないか。
いや、劇的なビタミンの効果に夢を見たのは一般人よりも寧ろ専門家で有ったのかも知れません。
ライナス・ポーリングはビタミンの多量摂取で様々な病気を予防、治療できるという概念を提唱した。1980年代には、活性酸素フリーラジカルが発がんに関わる事が多く知られるようになり、抗酸化ビタミンへの期待が高まった。抗酸化作用を持つβ-カロテンを投与することでがん予防出来るのではないか、そういった観点から介入試験が行われた。その結果はβ-カロテンにがんを予防する作用は認められなかったが、寧ろ喫煙者に於いては肺ガンリスクを高める*1かも知れない。という衝撃的(?)結果が報告されたのは記憶に新しいところです。
β-カロテンでは否定的な結果が得られましたが、抗酸化作用を持つ食品成分は実験室レベルの結果では大変有望な結果が得られておりました。理論は確からしいし、細胞実験でも効果が現れているのだから少しばかり否定的データが得られたからと謂って立ち止まってしまうのは勿体ない話です。その後はビタミンだけでなく抗酸化作用を持つミネラルにも注目が集まり多くの研究が行われ、そして現在も続いています。さらにはアンチエイジングという魅力的な言葉とともにテレビ等のメディアで盛んに喧伝され、すっかり一般の方にもお馴染みのモノとなってしまいました。
しかし、メディアでの持ち上げられ方とは裏腹に、抗酸化作用を持つ微量成分を採り入れる事により、不特定多数人に対して健康をもたらすという信頼に足る報告はもたらされていないというのが現状なのです。

■等身大(?)のビタミン
だいたい平均的な食事をしている日本人であれば、ビタミンの欠乏はあまり無いと考えられております。実際、国民健康栄養調査の結果を見る限りでは問題のない摂取量を確保できているようです。勿論、不足が懸念されるヒトは一定割合居るようですが、サプリメントの持て囃されぶりを見ていると過剰反応のような気がします。それは、マッスメディアや個人ばかりの問題なのでしょうか。

ビタミンは体に良いモノ、というのは日本人に於いてはほぼ共通認識になっているとどらねこは思います。この事を利用した栄養教育が小さい頃からなされている、それがビタミン信仰再生産に繋がっているのでは・・・というのがどらねこの憶測です。
子どもには野菜嫌いが多い、では野菜嫌いな子どもに野菜を食べて貰うにはどうしたらよいだろう。野菜にわかりやすい付加価値を・・・そうだ、ビタミンが豊富な野菜を食べて元気いっぱいという教え方が良いんじゃない!!
かくして、全国の栄養教育に於いて、野菜や果物を食べて大切なビタミン補給を、という黄金パターンが作られたのではないでしょうか。
子どもの頃から多くの方はビタミンは大切なモノとすり込まれているわけだから、ソレを利用しない手は無いわけです。そして野菜とそれに含まれるビタミンの大切さを耳にタコができるくらい聞いて育ったお父さんお母さんは家庭でも子どもに説明することでしょう。
「野菜をしっかり食べないと健康に育たないのよ!」、「野菜には大切なビタミンが含まれて居るんだから残さず食べるんだ!!」なんてね。
肉や牛乳を悪く謂うヒトは多いけど、野菜やそれに含まれるビタミンを悪く謂うヒトなんて殆ど見かけない。でも、まぁ家庭で食べ物のことを子どもに話すのであれば、このレベルでも良いと思うんだ。どらねこが気になるのは専門家と考えられるようなヒトのこと。

欠乏症や体内での働きを強調した商品宣伝
ビタミンサプリメントなどは欠乏した場合に予測される不都合や体の中での働きを売り文句に販売されている事が多いと思います。
これらは厭くまで不足した場合に問題になるわけで、多くのヒトにとっては殆ど心配する必要の無い事柄です。
例を挙げてみましょう。

ビタミンCは肌にハリを与えるコラーゲン合成に関わるビタミンです。欠乏すると壊血病など重篤な疾患を招く重要な微量栄養素ですが、人間は体内で合成する事はできません。

ウソはありませんが、何となく自分は不足していないか、不安になりそうです。お肌が気になる方々ならば、ビタミンCを飲みたくなるかも知れません。

とある栄養成分を宣伝してみる

生命活動に必要不可欠である大切な栄養素です。糖質に比べてビタミンB1を節約でき、とても効率良くエネルギーを産生することが出来ます。また、ビタミンA、E、Dなどの大切なビタミンの吸収を助ける効果もあります。重要な生理活性物質であるイコサノイドの合成に必要不可欠な物質です。

答えは必須脂肪酸を含む中性脂肪ですね。

糖質、脂質、たんぱく質、ビタミンにミネラル・・・どれも、ヒトが生きていくためには必要不可欠で、ヒトそれぞれ適量があるけど、その正確なところは分からない。でも、たくさん摂ったからといってそれが健康増進に結びつくとは限らないのです。特別な活動をしている、欠乏症が明らかである、不足が懸念される病気を持っている等の理由がない限りは、学校で習った程度にまんべんなく食事を食べていれば大丈夫なんですね。

ビタミンは栄養学の重要性を訴えるのにうってつけな便利なツールであるけど、専門家までもがそれを盲信、或いは頼りすぎてしまったのではないのでしょうか。
ビタミンを語らない栄養指導はあり得ないほどに・・・

『管理栄養士○○先生』
「○○はビタミンCや葉酸を豊富に含んだ健康野菜です」

こんなテロップを見る度に胸を痛めるどらねこでしたとさ。

理解を促すためのアナロジーに自分が絡め取られてしまって居ませんか?メディアが求めるからと謂って、ビタミンとか健康野菜を必要以上に持ち上げたりしていませんか。
専門家のビタミンへの過剰な期待が怪しげサプリメント業者やトンデモ健康法に利するような風潮を作り出しているのかも知れません。

*1:Omenn GS, et al. Risk factors for lung cancer and for intervention effects in CARET, the Beta-Carotene and Retinol Efficacy Trial. J Natl Cancer Inst. 1996 Nov 6;88(21):1550-9.