タイトルはうしろ

今日もてきとうな事をテキトーに書いただけの記事です。最近、こんなのばっかでスミマセン。真面目な方は読むだけ時間の無駄ですよ。時間を無駄にしたい方はどうぞ。
※※※レッテルは便利※※※
レッテルが貼られていないと、次の作業に進まない。例えば、試薬瓶にレッテルが貼られていなかったらどうしようもない。
試薬棚に茶色い試薬瓶が置いてありました。入れ物には何も書いてありません。蓋を開けてみたら、謎の透明の液体が入っていて少し刺激臭が感じられた。
さて、これは何だろう?怖くて何にもつかえない。なんだか分からないから捨てるのも憚られる。自分だったら、めんどくさい事は目につかない処に押し込んでしまおう、と考えるので、多分棚の奥にしまって先送りにするだろう。判断を留保してはいけないという状況であれば、自分で判断せずに判断できるであろうひとに判断を仰ぐという判断をするだろう。判断してでも使いたい場合は、様々な手段を用いて検証するだろう。
pH測ったり、減圧乾固したり、吸光度測ったり、アミノ酸反応見たり、もしかしたらNMRデータを測定しちゃったする必要が有るのかも知れない。
これは何も書いていないから、慎重に調査をするのですよね。次に何かが貼り付けてあった場合。
同じ瓶によれよれのレッテルに汚い字で、『99%めたの〜る』と書いてあったらどうだろう。これも怖くて使えませんよね。いや、もしかしたら使っちゃうヒトがいるかも知れませんが、大抵はちゃんと確認してから使う事になると思う。
さて次は、奇麗なレッテルに丁寧な字で、「MeOH HPLC用、1/25開封」と記されていたらどうか?もしかしたらそのまま使っちゃうヒトが居るかも知れない。このレッテルを書いたのは、生化学の○○先生だよ、と謂われれば安心だけど、定食屋どらねこの店員さんが書いたものであれば、そのまま使う気にはならないはずだ。
最後に、信頼のおけるメーカーのレッテルが貼られている場合はどうか。開封されていたとしても、よっぽど不自然な状態が無ければ使ってしまうと思う。
レッテルがなければホント先に進まない。レッテルに書いてある内容が信頼できるからこそ仕事になるのだ。
レッテルって便利だよね。
さて、話はかわる。
レッテルを貼ることで、それがどのようなものであるのか容易に判断することができ、円滑に物事が進むわけで、実際の生活上でも、コレは○○、アレは△△と札をつけて遣り取りをすることがある。
それが科学的(化学じゃなくてね)手続きを踏まえて決定されたものであれば、『定義』と呼ばれるだろうし、根拠無く分類したものであれば、『レッテル貼り』と呼ばれるものになるのだと思う。
で、何が謂いたいのか自分でもよく分からなくなってきたけど、これって連続体のようなものなんだと思う。厳密な『定義』と明らかな『レッテル貼り』にはグレーゾーンがあって、使うと便利だけど、不利益もあるよね、みたいな感じの分類がそれだとおもう。
レッテルの貼られていない事象が有ったとすれば、素人には判断できないし、使うときは専門家に相談し、専門家は丁寧に分析し、判断をする。それに対し、見た目は奇麗なレッテル(ニセ科学)が貼られていれば、素人はその通りに解釈しちゃうかも知れない。これは、汚い字でかかれたボロボロのレッテル(トンデモ)よりもたちが悪いといえるだろう。
しかし、いくら奇麗なレッテルが貼られていたとしても、国のお墨付きを与えられたレッテルが貼られたものが並んでいたら、どちらを選ぶかは自明の事。それでも、手書きを選んで貰いたい場合はどーすればいいの?うう〜ん、むずかしいなぁ。実は国は業者とグルで、お墨付きはお金で買ったものなのだ・・・みたいな話を尤もらしく話すかなぁ。それで、過去に一度くらいはそのような特殊な事例が無いかどうか探して、こんな事が有ったヨ。とくっつければ良いのかな?こんな話をされても大抵のヒトはなびかないかも知れない。でも、手書きのレッテルに書かれた内容がお墨付きの物よりも優れた効能を謳っていたとしたらわからない。
ある程度政治が機能している国のお墨付きが与えられたレッテルが貼ってあるものを疑う事は難しい。陰謀論を持ち出さないとそれこそ無理なのだろう。おそらくそう謂うことなのだろうなぁ、なんとなく・・・
レッテルに定義があり、書かれた内容の射程距離を理解できていれば、レッテル貼りは有用なのだろう。しかし、レッテルの内容を過度に一般化してしまえば、それは詭弁として利用され、自分たちに不利益をもたらすことにも成りかねない・・・かも知れない。
『ビリーバーと呼ぶ事はレッテル貼りか?否か』おしまい