義務を果たしたってアンタネェ

 何を今頃な話なのだが、ある国の内閣総理大臣がこんな意味合いのことをいった。
 「私は子供を二人うんだから義務は果たした」(←産んだと漢字をあてた記事をみたけどちょっとおかしいよね?)
 で、すぐに撤回したそうなんだけど、そう思っていたことはまぁ、事実なんでしょう。細かいことを言えば、2人では人口を維持することはできないから、人口を維持することを定義としての義務とすれば、それではほんのちょっとだけど十分ではない。どうでもよいが。
 で、生みたくても産めない人もいるなどいろいろな理由があるから不適切だったという事を語ったそうなのだけど、その中に生みたくない人に対する配慮はあったのかなぁとも。

 義務を果たすという考えに立ってみる。ある程度人口増が必要で、それは国策であるべきだ、と大多数の人が望んだとしよう。
 その場合でも、子供を産めば産むほど良いのだろうか。たとえば、ある夫婦が10人子供をもうけたとして、その夫婦は別のところで、人を大勢殺しました。極端な例だけど、この場合は人口増に貢献していないことになる。またある人は、子供を産みたくなかったのですが、いろいろな事情で中絶を考えていた人に対して、援助をするから安心して産んでほしいと申し出た。本人は一人も産んでいないが、生命誕生に貢献したことになる。2人産んだ後、3人目を迷っていた人に、ポンとお金を渡すのだってありだ。仕事と家庭のことが大変だから、すばらしい保育サービスを提供する事だって立派な貢献だ。
 ある総理大臣が変な発言したとして、それで子供を生むことを躊躇した人がいたとしたら・・・それでも義務を果たしたといえますかねぇ。

 まあ、義務とか貢献とかそんなのはおかしいんだけど、義務があるとしたって、本当の意味で果たしたかどうかなんて正確にはわかりはしないのだよね。あくまで産んだか産んでいないかだけでしか判断できない。それに、何のためにそんな義務を想定したのかも問題だよ。国の先行きを気にしての判断だとしても、その目的は幸福追求が前提になってのことだ。その義務を課すことで個人の幸福が侵害されるのだとすれば、個人はそのことに対して抵抗したっていいはずだ。
 生まれてきてよかった、子供が幸せに育ってもらいたい、そんな気持ちを無にするような生むことが義務である社会なんてまっぴらだ。

 どんな選択肢があったっていいじゃないか、それが生きるということだから。強制されなくても子供を生みたくなるような社会でないと生まれてきた子も楽しくないと思うのだけどね。