どらねこツイッター語録

どらねこはツイッターも同じdoramaoのIDでやってます。基本くだらないことばかり囀っておりますが、一見まともに思えるような事も流したりしてます。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、どうぞ覗いてやってください。

■科学コミュニケーションとかメモ
継続中のシリーズエントリを意識してツイートしたものを抜粋してみました。これらをヒントに意見を発信する予定です。

社会科学、とりわけ社会心理学的な知について、多くの方が共有できるようになれば、おそらく認知の偏りについて自覚できる人の割合が増えることだろう。そうなると、リスクコミュニケーションについて、相当にやりやすくなると思う。自然科学系の研究者が余計な労力を費やすよりも遙かに建設的だろう?

専門じゃない部分にリソース割いて疲労するのは勿体ないし

研究だけでなく、学部生への手厚いフォローにつづき、地域社会への還元を求められた大学教員は更に、市民への科学コミュニケーションを要求されているらしい。自分にはむりだわ〜

愚痴じゃない感じにしてつかう予定

自然科学分野や科学関連技術者を敵視する人からの支持を受けてしまえば、そこから抜け出すのは難しいのかも知れないね。まんべんなく冷静な支持をもらうよりも、名指しでの熱狂的な支持って、ある種麻薬的な喜びだと思うんだよね。

自分に期待してくれている人を裏切るような事って案外ムズいよ

根拠無きレッテル貼りを行う事を目的とした活動があったとして、その活動に対し、好意的若しくは肯定を社会科学の研究者が行っているとしたら、どらねこはその方の活動を全く信用できませんね。社会学で行う、事象に名前をつけて分析する行為がレッテル貼りと思われてしまうんじゃないの?

エア御用学者の話ね

もうダマされない為には、誰が信頼できる人であるのか見極める能力も大切になるのだろう。信頼できる人物か否かを見極める能力は、『不特定他者は基本的には信頼できる』と考えている傾向の強い人ほど高いとされる実証研究が存在する。科学者は信頼でき無いと決めつける事の害悪がここから伺える。

社会心理学研究の成果の話ね。

社会的に大きな課題や問題などにそう謂ったバイアス(内集団贔屓と集団心理)や葛藤が大きく入り込んでしまい、それ自体が解決を大きく阻害する事が震災後の状況なんじゃないかな、と謂うのがどらねこの意見。

政府信頼できないとかデマとか

一つだけはっきり書くと、科学技術の問題じゃ無くて、技術を適切に運用する為に欠かせない社会をコントロールする術を手に入れていないことが問題なのだよね。それが正しいとすれば、科学技術の問題を自然科学に関わる科学者の問題であるかのように指摘する事は所謂ブーメランと見なすことが出来る。

政治的の前に科学者が問題とか指摘する事例とか見て

身近にあろうが、昔から慣れ親しんで居ようが、脅威は脅威だよ。そして、それらの脅威に対しては個々人で対処法が違うのは当たり前。必要な情報を収集し、自分が行う必要がある対応は何かを考える必要あり。さしあたり行動が必要でなければ、更なる情報収集をしつつ、通常の生活を続けるべし、だよね。

自然だから安心、人口だから危険みたいなのにも通じる話。これが整理できていないのに放射性物質についても・・・と謂うのはちょっと難しいとは思うよ。天然人工問題は解決できていれば良かったと思う

絶対に安全ではない限り認めない、みたいな態度で建設的な議論に応じない人ばかりであれば、絶対に安全ですみたいな態度で実現を推進する人がでてきてもおかしくない。実は売り言葉に買い言葉みたいなモノなのじゃないかと思っている。

後で出てくる隠蔽体質話と一緒

冷静に事態を分析するヒトが居て、それを参考に対応を行うヒトが居て、そんなヒト達が冷静に作業を続けられるようにバックアップするヒトが居ればいい。そんなバックアップができるように、ほとばしる感情を受け止めるヒトが身近に居れば尚良い。

ひとりで抱える必要はないけど、そうなることも・・・。そんなヒトにはやっぱり援助が必要

やっかいだと思うのは、一見合理的判断に見える非合理だよね。統計的な判断により切り捨てられるものも多い。あと部分最適全体最適で無い場合も現実には溢れてる。

むずかしい・・・

無理が通れば道理引っ込む・・・何事も・・・ね。感情的何が何でも反対論は無理を通そうとする行為であり、相手も同様の対応をとる切っ掛けになるのですよ。だから、反対をするとしても戦略、戦術を以て行おうよ、と消極的反(脱)○○派のヒトは謂ってるワケですよ。

仄めかし・・・

どらねこはアホなので、利他的な行動をとる人をみるとつい応援したくなってしまいます。でも、応援の結果その人が損をするのが目に見えているときには単純な応援はしないようにします。ただそれだけ。

ブログもそんなスタンスです

放射能不安は食品添加物不安よりも遺伝子組換え作物不安のような形で残るのだろうな。意外なところから摂取している事を知らないまま、気にする必要の無い部分にまで心配する構図などなど。口にしたくないと謂う自由を尊重できる仕組みは大事だとは思うが、気にしない人口を増やす取り組みも大事だね。

それぞれが到達できる範囲で不安を除去できればいいのかな?一律に行えるほど資源はないから

自分が冷静でいられない時、相手が冷静だとムカつく、と謂う気持ちも分かるんだけどね・・・。

わかったら同じようなことやらないようにしたいのだけど、コレは自分もやっちゃう

欠如モデルと謂うコトバが乱用されるのは、欠如モデルに対する知識が不足しているからに違いない。欠如モデルについて知識を与えれば解決するだろう。(??)

これが単なるジョークとして楽しめるのならそれでいい

少数意見も尊重しろは分かるけど、『少数意見でも内容を考慮して尊重せよ』が当たり前にならないと断絶を産んで終わりなんだ。そうならない為にもマスメディアの協力が必要だと思う。どうしたら良いのかなぁ・・・

個人の主張、感想でおわらない情報発信をマスメディアに期待します

自分に都合の良い意見が専門家から出たぞ、ひゃっほぅ〜う。と謂うのと、自分の述べたい事の言語化されたものとして、うんうん、と受けとるのは表面上は似ているけど、ずいぶんと意味が違うわけで。

うん

科学技術と社会について系統立てて学んだ経験が無い自分が謂うのもなんだけど、科学と社会の前に、科学教育と個人についての蓄積が多い、教育心理学認知心理学当たりはしっかりと抑えていなければ、片手落ちなんじゃないかな?なんて、気がしないでもないが、勘違いならゴメン。

抑えていると思うけど

科学者をシャーマンに見立てると、社会的な役割と畏れがくっついて来てしまう。すると、科学者に対する不当な要求(?)の根源が見えてくるかもしれない。なーんて。

うむむ

被害者の怒りの矛先を上手に煽ることで、自分の目的を達成しようとする人もいるよね。そんな人にこそ要注意なんだけどね。

そのような言動と一線を画す主張をメタ科学に期待したいわけで


■思ったことだだもれ
その他、最近のツイート

少なくとも、稲作に拘らなければならないと立ちゆかない(ここポイント)状況をつくってしまった農業政策が歪。消費者のニーズに応えるよりも消費者のニーズを国策で作り出そうとしているのが食育。で、それで誰が得するの?と謂うのが問題。

これからも偏った食育の問題を指摘し続けます

自分の為だけを考えたら、まんべんなく嫌われておいて、その上で思っていることや考えをツイートして、その評価を参考にするのはスジが良さそうだ。ちやほやされて自分を見失う危険も少ないしね。

まぁ、むりだけど

例えば、はてなブックマークなどを見ていると、ブコメなどで軽口叩いて、深刻な問題を揶揄しているようなモノに出会うことは良くあるのだけど、単発ではなくて、何年間もそんな事を続けている方については、実は問題にコミットし続けてるんだなぁ、と思ったり。

継続の力?

抜け出す為にもがいているヒト達が居たとして、そこに紐を垂らせば、我先にと紐を掴もうとする行動は当たり前の事だろう。非難されるのは、奪い合う人々ではなく、紐を垂らすような手法であろう、と謂うのがどらねこの考え。

最初から利他的なヒトも居れば、得にならないとわかって利他的になれるヒトもいるよね。多くの方が望ましい行動ができるような環境を提供する事が大事なわけで、追い詰めて本性出させて罰を与えるなんて、そんなの醜悪だよ

自分は大事だよ。くだらないなんて事は無い。でも、みんなそれぞれ自分が大切で、大切なモノを持っている。それは忘れちゃいけない。そんな大切な領分を侵さないような自覚は持ちたい。勿論、自分に向けてもね。

自分大好きです

長期的視野で自分を大切にしようと考えたら、大事な人を大切にすることの必要性に気がつくよね。

自分を大切にすることは自分だけ大切にすることじゃない

子供に十分な食事を与える事もできない状況を作り出す戦争なんて二度と行ってはいけないと思う。

切に願う

猫の数だけ正義はある

猫は正義

誰かが大切に抱きしめている何かを貶めるような言説を突きつけるような事をしたくは無いが、それが命をかけても抱きしめる価値のあるものなのかどうか検証する事の必要性は忘れてはならないと思っている。

検証することと引きはがすことは別

仄めかしの良い点悪い点は色々挙げられるだろう。例えば、面と向かって指摘される事になれていないヒトは多いはず。そう考えれば使いようだろうな。自覚が大切だが。

認定ホノメカスの心得その1

仄めかしの悪い点は今更謂う必要なんてないよね。沼は自分の前にも広がっているんだ。

認定ホノメカスの心得その2

アンタ、忘れ物無いの?と面と向かって謂われると反発を覚える子は多い事だろう。ソレ自分の事だけど、テレビで忘れ物無いですか〜、なんて朝の番組で謂って貰えると素直に、ああ忘れてた!と受け入れる事が出来たりする。ソンナモノですよ。

認定ホノメカスの心得その3

素直になれない人でも受けとって貰いたい、それが基本スタイルです。

認定ホノメカスの心得その4

様々な違いはあるが、一つ挙げてみよう。アテコスリーは想定する対象にすれ違いざまに擦り付けるように行う言論です。それに対し、ホノメカシーは想定した対象を希釈し、攪拌することで効果を発揮する言論です。

ホノメカシーとアテコスリー、似ているようでちと違う

たまごくらぶひよこくらぶめいくらぶ

たまごもひよこもまずつくるところから

何か不安が駆けめぐる度に不十分な危機を煽る報道が流れるのだとしたら、妊娠授乳婦は怖くて多くのものに手を出せなくなる可能性がある。マグロも水銀が怖くて×、ヒジキはヒ素怖くて×、昆布はヨウ素過剰リスクで×。これらも、どの量なら絶対安全みたいな簡単な線引きは出来ない。

ゼロリスク話ともつながるかんじ

ようするにさ、言論の自由を守る為にはその大切さを疑わせるような事例をつくる事無いよう、一人一人が気をつける事が大切なんだ。

言論の自由を脅かす発現が言論の自由の上に成り立つ様をみて

(個人的意見です)根拠に基づかない善意の空回り・・・それは勿体ないと思うこともあるのだけど、怖いと思うこともある。なんでこんなに頑張っているのに良くならないの?と思い詰める危険性だ。世の中を恨む気持ち、誰か足を引っ張っているに違いない、陰謀では?とかね。善意は大切だから色々心配。

専門用語では魔女化と謂うらしい

安全デマとか謂う前に完全デマをなんとかしてくれ。

ゾンビのように蘇る・・・

本当につらいときは我が儘いっても良いと思いますよ。でも、それすら許されない社会が当たり前に思われている場所もあるような気がします。疲れたら休んで良い・・・それが当たり前になれば良いな。

自分が辛い思いをしているのだから・・・とかね

扇情のメリークリスマス

たのしんでー

集団にとっては些細な状況だけど、個人から見れば大問題なんて事はザラにある。で、集団にとっては些細な投資でその個人の問題が解決し得るとしたらどうだろう?皆で生きると謂うのはそんなものなんじゃないかなと思ってる。

被災地とか

隠蔽体質を招く切っ掛けには、失敗や問題点についていくら丁寧に説明しても理解をしようとしない相手の存在がある。分かって貰えない事が明らかなら問題が無かったことにしないと先に進まないから、先に進ませる事を謂いつけられた現場の人間に隠蔽と謂う選択肢が生まれる。

子供に注意するときも必要以上に責めちゃだめなんだよね。話を聞いて解決策を一緒に考えることが重要。どらねこもこれがまだ出来ていません。本当に難しい話なんです。それが社会となると更に複雑になります。非難をしないだけでは解決できるような簡単な話じゃないですが、何も良い方向には向かわないでしょう。
こんな感じで色々ツイートしていますが、自分に出来る事ってホントに限られてますね。こんなどらねこのたわごとですが、何かしら参考になるものがあれば・・・と思います。今後とも宜しく。