子供が無防備に悪意に晒されるような状況は望ましくないだろう

読者の皆様はご存じとは思いますが、どらねこは性格が悪いです。例えば、他人の成功を妬ましいと思う事が多いですし、自分の事を認めてくれないヒトには敵意を抱く事もあります。また、自分が気にくわないヤツにはコノヤロー、あんな奴酷い目に遭えば良いんだ! そう思ってしまうような輩なのです。そんなわけで、そうした心の機微については敏感(素朴心理学的理解)だったのかなぁと思います。
子供の頃にはテレビ番組をよく見ておりました。ワイドショーとかバラエティー番組などを見ているとなんかえらそーな調子に乗っているような芸能人が良くでてくるんですよ。そいつを見ているとなんとなく腹がたってくるんですね。おそらくそれは妬みのような感情であったと思うのですが、当時はそんな風に考えたくないから理由をつけて相手を貶める事でその気持ちの正当化を図っていたりしました。スポーツ新聞などでそのヒトの醜聞が伝えられたりすれば、調子に乗っているからだよざまー見ろと思ったものでした。ええ、醜いのは自分ですが。
さて、そんな嫌なヤツですが、だんだんと人気が落ちてテレビでの露出が減ってきていつの間にかほとんど見かけなくなりました。久しぶりにそのヒトを見かけた時には毛嫌いしていた気持ちが嘘のようでした。ああ、自分が願っていた通りになったのに何だろう、このモヤモヤ感・・・。嫌なヤツの不幸を望んでしまうボクの中の嫌な事、それは決してなくすことはできませんが、その余りの不毛さに相手が不幸に陥る事でようやく気がつくことができました。

このような相手に対する不当な評価をしてしまうような感情は他にも色々あります。例えばドラマなどでは主人公をいじめるような悪役が良く登場しますが、アレは厭くまで役を演じているわけで、本人の性格等とはなんら関係ない筈なのですがどうしても役者さんに悪感情を抱いてしまう事があります。勿論、演技だとは分かっている筈なのですがそう思ってしまうんですよね。隣で一緒に見ている祖母に至っては、役者の名前で「○○って憎たらしいわね、嫌いだー」みたいな事を述べていたことを憶えております。実はこうした感覚と謂うのは一般にも見られる傾向でして、観察できる行動のみでその人はどんな人であるのかを推測してしまう傾向が人にはある事*1が知られております。例えば、出題者役、回答者役、観察者役に実験参加者をランダムに割り振り、出題者役にはできるだけ難しい問題を出すようにつたえ、それを回答者役がなるべく正解するように設定し、観察者役はどちらが知的能力が高いかを推測するように、という設定で行われた実験があります。観察者は正答できる割合が少なかった回答者よりも出題者の方が知的能力が高いと推測をする結果となりました。よくよく考えてみるといくらでも難しい問題を作成する事が可能であり、圧倒的に出題者有利な条件だとわかります。そんな状態であっても観察者は答えを出せない回答者よりも出題者の能力を高く評価してしまったと考えられます。


■なまいき
こうした傾向について良くない事だとは認識しておりますが、わき上がってくる感情までは抑えることは難しいですね。今でも年少者がなんだか生意気な事を述べているのを見ればそれが正論であったとしても、「こいつぅ〜、何分かった風な事いってんだよ!」みたいな考えがアタマの中に渦巻いたりします。じゃあ、自分が若いときどうだったんだよ、と考えて落ち着きを取り戻すのですが、やっぱりむかついちゃうんですよね。で、逆ギレして「オマエそんなにアタマが良いんだったらそうした周囲の評価にも配慮した言い方しろよ」みたいな事を考えてしまうんですね。強弱はあるにせよ、こうした傾向は多くの方にあるとは思います。こうした感情に邪魔されず、何のわだかまりも無く意見を聴く事のできる人はすごいなぁと思います。


■子供が不特定多数人と関わると謂う事について
矢鱈と前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
子役と謂うモノはそうしたバイアスや妬みの感情から同世代からも反感をもたれやすい存在だと思います。不特定多数への露出は同世代の子供も目にします。大人と違い、演技としての振る舞いである事を切り分けられなかったり筋違いな妬みや感情をコントロールできない割合は高いと考えられるからです。なので、子役については保護者や周囲の大人がそうした問題が生じうる事を念頭に置いて、予防的な対策をとる必要があると思います。
演技だとわかっていても本人評価に影響するのであれば、演技ではないと考えられるような本人の意見を聞くような事についてはどうでしょうか?事前に子役に対し番組制作者から演出だからちょっと生意気な事を言ってよと打ち合わせがあったとしてもテレビを見ている側からは判断がつきません。それによりその子の印象が不特定多数の人に固定化されてしまうのだとしたらどうでしょうか?もしかしたら子供にとって不利益になりはしないでしょうか。そうした不利益から子供を守る義務が親にあるのだとどらねこは思います。
以前はこうした子役の問題は仕事上で直接関わりを持つ大人やテレビで目にする同級生などとの関係が主であったと思います。しかし最近ではインターネットへのアクセスの容易さから子供本人が不特定多数人の意見を直接目にしたり、双方向のやり取りが可能になってきた事で問題は多様化したように感じます。
台本やキャラクター設定に基づく振る舞いであったとしてもその人のパーソナリティによるものであると認識してしまう傾向があり、自分より成功している人に対しては妬ましく思い、生意気な子供に対してはコイツゥと思うような感情はある意味自然なものだと思います。それが以前のような一方通行な状況であれば子供がそのような感情に直接的に接する場面は限られていました。しかし、不特定多数人と双方向のやり取りができる環境ができている現在は違います。そうした悪意を持った人と子供が直接やり取りをするというのはどんなものでしょう。例えギャラリーの前で議論に勝ったとしてもそれが本人にとって良い影響を与えるのでしょうか。ネットの世界での振る舞いは現実のソレとは異なります。なぜなら行動を束縛する状況が大きく異なるからです。それを見て大人はこんなモノだ、と謂う認識を持つことも望ましくないでしょう。やり取りを見ていたギャラリーに、やっぱりナマイキな子供だ、という印象が固定化されてしまうのも望ましくないでしょう。恥をさらされた議論の相手が直接的な危害に・・・なんて心配もありそうです。
そうした理由から子役であれば特に大人は子供をそんな場所に放り込まないよう、配慮してあげる必要があると思います。子役というのはルールを守って行うだけでも子供には十分大きな負担になっていると思うからです。


■何を謂おうとも
大抵の子供は表面上はともかく、親の期待に応えたい、そして褒められたいという欲求を持っていると考えられます。親が願って始めた芸能活動などであれば、期待に応えて成功したいと考える事でしょう。例え、本人がやりたいと述べているとしても、その気持ちの根源は親の期待に・・・と謂うものである可能性が高いでしょう。それを切っ掛けとして仕事に愉しさを見出す事もあるでしょうし、プライドを充足させることに生き甲斐を憶える事もあるでしょう。しかし、それにより犠牲となるものがなるべく少なくなるよう、環境を整える事が周囲の大人に求められる態度だとどらねこは考えます。それが期待に応えようと頑張っている子供に対して必要な配慮だと思います。


■まとめ

・わかっていても現れる認知のバイアスには気をつけろ
・子供の権利を守るためには親の理解が大事
ソーシャルメディアでの子供の接し方について大人の配慮は大事、変に持ち上げたり利用を考えるのはもってのほか
・生意気な子供にむかついてしまう気持ち自体はしょうが無い
・すぐに解決できる問題じゃ無いのだから踏み込まないのがカシコイやり方
・そんな人はネット上では子供とやり取りをしないのもアリ
・子供が持つ親の期待に応えたい気持ちを利用するな

わかりにくいエントリで有ったと思いますが、特定の事例を参考にしつつ、一般論として語ってみたものです。こうした問題は当事者だけでなく社会としてどのように対応していくことが望ましいのか、コンセンサスを作っていくことも大事だとどらねこは思います。皆様はどう考えるでしょうか。

*1:対応バイアス