多様な食文化を大切にしてる?

※この記事は一見真面目ですがネタです
先日、都道府県を食べ物にしてみるエントリが好評を頂きましたが、地域と食文化の話題には、普段は冷静な論者でも何かヒトコト謂いたくさせるような不思議な力があるようです。
B級グルメや県民性をテーマにした番組が人気を博しておりますが、狭い日本の中によくぞコレだけの食文化や拘りが詰め込まれているモノだなぁ、と関心をしてしまいます。

■主食の多様性
日本人の主食は?と聞かれれば、たいていの人は「お米」と答えると思いますし、どらねこですら、「お米」と答える事でしょう。では、日本人の主食は昔から「お米」でしたか?と聞かれたらどうでしょう。やっぱりお米でしょうか?
昔からお米は代表的な主食穀物であるのは間違いありませんが、今のように日本全国どこでも誰もが主食としての「ごはん」が食べられるようになったのは案外最近の事なのですが、様々なシンボルとして登場したり、『瑞穂の国』などと形容される事も影響してか、昔からお米を主食にしてきたような印象を持っている方が多いような気がします。

■お米は誰の主食?
一般市民がお米を主食として食べるようになってきたのは江戸時代に入ってからで、主に江戸、京都、大坂などに集められた年貢米が流通する都市の町人が主食として食べるようになったとされております。当時は一日に一度炊くスタイルで、冷めたものは湯づけや粥にして食べられていたようです。

それに対して、農村地帯では年貢としてお米を納めてしまうため、お米を十分に充足することは難しく、主に麦や雑穀と合わせて食べる事が多かったとされております。これが明治初期までつづいていたようです。

■地域と主食
さらに職業などによる違いだけでなく、地域によっても食べられている主食作物には大き違いがあることが知られております。

明治初期の資料から全国の主食状況を調べた文献*1 によると、基本的には米に麦を混ぜ込んだ飯、もしくは雑穀と謂う主食スタイルが全国的に多く見られます。
しかし、地域差は大きく、沖縄が顕著であり、米麦以外の主食が全体の90%以上を占め、主に甘藷(さつまいも)が食べられていたとされます。沖縄ほどでは無いですが、鹿児島や長崎でも、主食として甘藷が果たす役割は大きかったようです。また、米に麦ではなく、雑穀が主食と謂える地域もあり、岩手では雑穀の割合が比較的高く40%以上を占めていたとされます。
このように、歴史的に見ても江戸時代はおろか明治に入っても全国的に一律日本人の主食をハッキリ米であると謂う状況になかったことがわかります。

■米以外の主食用作物
では、お米以外の主食用作物はどのように食べられていたのでしょうか。簡単にみてみましょう。

大麦:精白された大麦をそのまま利用する丸麦は、前日から煮ておき(えます)これを米に加えて炊いたり、炊いたお米にまぜたりしました。また、茹でないで蒸す地域もありました。最近でも健康を考え麦ご飯が食卓にあがる事がありますが、大抵は押し麦と呼ばれる、蒸して平たく加工されたものを使用します。これは比較的近代に入ってからの技術ですが、民俗学の研究では一般に広まったのは昭和に入ってからと考えられております。

雑穀:粒食としての雑穀はあわ、ひえ、きびがあり、お米と一緒に主食として食べられておりました。

粉食穀物小麦は稲を刈り取った後の農作物(2毛作)として作られていましたが、江戸時代以後の日本でも粉食の中心であったと考えられております。おやき、団子、すいとんほうとう、せんべい、めん、饅頭などがあり、小麦粉や小麦に雑穀を混ぜたり、雑穀を粉にしたものなどで作られておりました。二毛作地帯の讃岐平野ではめん食が発達しております。うどん県の歴史(?)を感じますね。

甘藷:甘藷(さつまいも)は病害虫や干害、塩害、風に強く、安定した収穫が期待でき、西日本で広まりました。しかし寒さに弱く、冬の貯蔵が困難であると謂う特徴があり、東日本ではあまり食べられておりませんでした。食べ方は蒸したり焼いたり、雑炊、芋汁など。

馬鈴薯甘藷とは異なり、寒さに強いので東北で広く栽培されました。蒸したり茹でたりするほか、団子や汁の具などにして食べられています。

山芋:各地に自生しており、粘りを活かした料理につかわれました。これぞ日本の伝統的食物(?)

■日本はお米の国なの?
確かに、白飯は昔から日本人の憧れの食事でした。しかし、米だけの飯はハレの日に食べる特別なモノでした。日本の主食は米であったと謂いきるのはちょっと乱暴ではあるようにどらねこは思います。憧れであったものが手の届くところに来た事で、日本全国こぞって米を買い求めた。そうして、一気にお米は日本の主食になりました。しかし、一度手に入れあることが当たり前になれば、熱もやがて冷めてくることでしょう。その流れはこんな感じかも知れません。

あこがれ→収入・収穫増→消費増→日常になる→消費落ち着く→定着

そう考えると、今の状況はオカシナものでは無いように思えませんか?他にも美味しいモノが出回れば、お米ばかりに集中した興味が拡散して行くのは当然のことです。その割には健闘している方だと思うのですが、それはきっと白米がとても美味しいからなのでしょうね。米にかける情熱はホントたいしたものです。

■ごはん食運動
ここ最近、国や自治体などが食育の名の下に、ごはん食推進運動を色々なところで展開しておりますが、どらねこはそれに対して疑問を抱いております。

明治以後、さまざまな場面で日本文化の画一化が進みました。そのわりに食文化については、比較的地域性は温存されてきたように感じますが、それでも戦後の高度経済成長を切っ掛けに、その特徴は急速に失われ、都市と農村でも食料構成に大きな違いは見られなくなってきているように思います。

日本の伝統であるごはん食を・・・と謂う理屈は分かるのですが、上記で述べてきたように麦や雑穀、さつまいもなどは米と同様に主食として重要な役割をになってきたモノであり、日本の食文化を大切にと訴えるのであれば、同様にその他の穀物や芋類も大切に扱われて良いはずであると思うのです。現状のごはん食運動は、日本の伝統を大切にと謂うかけ声とは裏腹に、長きにわたり日本人を脚気から守った素晴らしい大麦や自然災害による米の不作時に空腹を満たしたサツマイモなど、日本の伝統主食作物をないがしろにしたイビツなものであると謂えるでしょう。本当に日本の伝統を大切にするために行われている運動なのでしょうか?本当に伝統食を大切にと謂う運動なら、【やっぱイモだろイモイモぉ〜!!運動】とか、【仕事はほどほど家でそば食おうプロジェクト】とかも並行して行う必要があるでしょう。

■今こそうどん県につづくときだ
どらねこはこのような『稲作』偏重政策を糾弾する動きが見られないのは残念に思っております。そんな中、うどん県は日本が一律ないわゆる瑞穂の国でなかった事を現代社会に広く知らしめる大役を担っていると勝手に信じております。
うどん県につづけー!麺食は正義だ!コナモンは伝統食だ!優しい声でイモをくれっ!!

*1:鬼頭宏『明治前期の主食構成とその地域的パターン』上智経済論集,1986