何も行動しないで見ている事はつらいこと

代替療法関連だったでしょうか、以前どらねこはブログでこんな内容のことを書いた記憶があります。

不安を持つヒトが自身では何もしないでいることはそれだけで苦行である

これは自分の経験を踏まえて書いた事ではあるのですが、周囲を観察していてもよく見かけるように思います。

■ついつい何かしてしまう
とるにたらないような事からこれはちょっと・・・と思ってしまうような事例など様々です。取るに足らないと思われる事例としては、こんなのがあります。

口内炎ができた−
あ〜、ちょっとほっぺたの内側赤く腫れてるかな(舌でコリコリ)
−しばらくして−
腫れてたところどうなったかな、あ真ん中少ししろくなってるし(サワサワ)
−またしばらく−
あー、まだはれてるなー(つんつん)あ、痛い!
−まをおかず−
無意識に(つんつん)

口内炎出来たときって、舌先で探ったり、ちょっと突いちゃったりしませんか?炎症なので、患部を必要以上にいぢるのは悪化の原因ですよね?でも、ついつい気にして触っちゃうんですよ。口腔用のステロイド軟膏塗って安静にしているのがいいのは分かっているんだけど・・・
まぁ、これは深刻な事態に陥る事はあまりないでしょうが、炎症が慢性化することで細胞のがん化というメカニズムがありまして、できものなどに継続した刺激を与え続ける事は確かに良くない事ではありますよね。あと、良性のできものだと思って弄っていたら、実は悪性腫瘍で転移を早めたみたいな事もありそうですから、ちょっとこわいですね。

■育児でも
育児関連でもこういった事はいっぱいあると思います。例えばこのような話はネット上でよく見かけます。

学校の先生から子どもの授業態度についてオハナシがありました。どうも、落ち着いてイスに座っていられないというのです。その他学校での過ごし方について先生の目から見ると色々不安なところがあるそうです。先生はこういいます、おかあさん(おとうさん)オタクの子どもさんにどんな食べ物をあたえておりますか?生活習慣はどうですか、テレビやゲームばかりであそんでないですか、最近子どもの低血糖が問題になっているとも聞いたことがありますよ、と。
両親は心配になりました。私たちの育て方が悪かったのかしら?それとも、何か子ども自身が問題を抱えているのかしら。近所の病院へ子どもをつれて相談にいきました。
病院の先生はこういいました。大丈夫ですよ、体には異常はみとめられません。生活リズムを整えて普通に暮らしていればダイジョウブだと思いますよ、時間が解決しますから・・・と。
先生はそういってくれましたが、学校での問題行動(といわれた)があるのは現実です。問題があるのは原因があるに違いないと考えるご両親は納得できません。それとはまた別のお医者さんをさがす事にいたしました。そうして、その活動は原因を指摘してくれる医療機関を見つけるまでつづきました。果たして本当にその原因が問題行動(といわれた)の切っ掛けであったのでしょうか、それは定かではありません。

自分の子どもが辛い思いをしている、問題を抱えている。そう指摘されて何も手を打たない親はあまりいないと思います。何かをしてあげようと思うのは自然な事ですよね。でも、目的は何かをしてあげることではなくて、問題を解決することであるのは勿論ですよね。ところがいつのまにかその事を忘れてしまったり、優先順位が違うのでは?と思うような事例を見かけることがあるんですね。

■結果が同じでも
ではこんなケースはどうでしょうか。

とある村ではここしばらく雨が降っておりません。ついに井戸の水も枯れそうになってきました。節水対策など現実的な対応は一通り行って来ましたが、それもそろそろ限界が近づいております。そこで住民は村長に対し要望をだしました。
もう限界だ!古くから伝わる雨乞いの儀式を村人総出で行うべきだ、と。
さて、村長は村人の要望を受け入れるべきでしょうか。

雨乞いの儀式を行ったところで、雨が降る確率に影響を与えないという点はいいですよね。では、村長が住民の要望を受け入れた場合とそうしなかった場合に何か違いがあらわれるでしょうか。天候には違いが現れませんが、住民の満足度に違いが出ることでしょう。結果が一緒であっても、雨乞いの儀式を行った場合にはやれるだけの事はやったという満足感が残るのに対し、行わなかった場合には不満感が残ることでしょう。現実的に考えれば、同じ結果になるのならそれに費やしたコストをムダにしないほうが良いのは明らかであるのにです。
村長はその事が分かっていても村人の要求を飲まざるを得ないと考えられます。

■基本仕様
それらはよくよく考えればムダである行為なのですが、問題があればそれに対処しようという行動それ自体は大切なモノです。危機が迫っているのに何も対応しないというのは命取りですものね。問題発生時には何かしらの行動をとりたくなるという欲求がおこるのはある意味人間の基本仕様だと考えて良いのかも知れません。
こうした人間の行動の癖は簡単に変容させる事ができるモノではないでしょう。こうした癖を利用して商売を行うヒトが現れるのもある意味当然といえそうです。そういった商売では、次のような煽り文句で私たちを不安にさせます。

今なら
今だけ
手遅れになりますよ
早くしないと
間に合わない
大切に思うのなら

何かをしなければ・・・と、不安を持つ人々がこのような言葉に飛びつくのを責めることができますか?
俺は引っ掛からなかった、嘘に騙される奴が悪いんだ!という主張をなんとなく思い出しました。

■客観的に判断すること
このようなヒトのある意味自然な欲求を利用した商売に引っ掛からない為には、状況を客観的に判断できなければ難しいと思います。しかし、精神的に追い詰められた人が客観的に判断する事が可能なのでしょうか。不可能ではないとは思いますが、難しいことでしょう。
問題が生じたときには誰か信頼できる人に話を聞いてもらい、客観的なアドバイスを頂く、という決めごとをつくっておくのが良いかも知れません。それは、専門家であってもよいですね。(信頼する相手が信頼に応えられる相手かどうかという難しいところもあります)
振り込め詐欺に引っ掛からないために行政などが相談窓口を設けたり普及啓発活動を行うのもそうした視点からの対策だといえるでしょう。
振り込め詐欺もそうですが、小さな子どもを持つ親も不安を持ちやすい状況にありますので、両親教室などでこのような客観的な視点を持つことの大切さをきっちり伝えるなどしてほしいなぁ、と思っております。相談窓口やパンフレットの紹介だけでは不十分かなぁ、と思っております。また、相談にのる方もそういった視点を持ってオハナシすることが大事かなぁとも感じております。
とはいえ、時間が解決することもいっぱいあるのだという事を説明するのは難しいですよね。

■自分も加担してはいないか?
などと偉そうな事を語ってきたどらねこでしたが、もしかしたら自分自身が不安による行動を助長してはいないか心配になりました。いや、既に色々やっていそうです。
仕事の現場で、みんながイソイソ動いているときに、表面上だまっているように見えるヒトに不満を持ったこともありました。もしかしたら、そのヒトは最優先に取り組む必要のある事は何か、じっくり考えてから行動しようとしたのかも知れません。もしかしたら、自分の力が本当に必要になるときの為に体力、気力を温存しているのかも知れません。自分が動いているんだから相手も動いて当然だ、そんな気持ちで反感を持ったりしてやいないか?
アイツは働いていない!そんな事を考える前に、自分の行動には本当に意味があるのか、今必要な事なのか?それ先ず考えることが求められるのかも知れません。
努力が足りない!そんな周囲の視線は不安商売を味方しているのかも知れません。





※注意※
このエントリはどらねこが怠惰な生活をしている事を正当化するために書かれたモノであるとの疑惑が持たれております。