なんとかムラ

原子力ムラと謂う言葉があります。原子力発電に関連する利権によって結びつけられた集団の閉鎖性や疑義を呈した者は村八分とされるような体質を揶揄を込めて表した言葉のようだ。この言葉が持ち出され批判をされる場面を最近よく見かけます。こうした言葉を上手い表現だなぁと思うと同時に、その用いられ方などに対し慎重になる必要があるよなぁ、なんてどらねこは思ってます。

■個人の問題は?
ムラ社会の問題はジレンマ問題とも謂えるでしょう。ヒトの行動は基本的に状況のチカラに大きく影響を受けます。別のムラから見れば望ましくない行為が日常的に行われるムラが有ったとします。別の集団に居るヒトは、アイツらはオカシナ事をやっている、実にけしからんと謂う感想を持つかも知れません。もし、文句を謂っているヒトが文句をつけた先のムラに生まれたとしたら、その望ましくない行為を行わなかったでしょうか? おそらくそのムラの習慣に合わせた行動をとるように成長をしたことでしょう。そうでなければ、そのムラで上手く立ち回ることが難しいからです。こうした問題を持つ集団に属する個人を採り上げ、糾弾したとしてもなんの解決にもならないでしょう。集団の構造を変えなければ同じ事が繰り返される可能性が高いと考えられます。
悪いと分かっているのに指摘しないのはオカシイ!と部外者は思うかも知れません。しかしながら集団の方針に疑問をぶつければ発言権を奪われたり、罰を与えられる等の不利益を受けることがわかりきっていれば、本当は問題点を指摘したいのに恐ろしくて出来ない場合が殆どでしょう。もし指摘したとしても、ムラから追い出されたり、投獄される強力な鎖のチカラを周囲に見せつける事でしょう。誰だって命や安定した生活は大切なものです。個々人の最低限の生活すら犠牲にして悪に立ち向かえなんて他者が要求できるものではありません。一度出来上がってしまえば容易に解消できないのがムラ社会だとすれば、そうならないように予防に努めることが大切であると思います。問題点の指摘や上層部への批判の自由、権力者の命令が不当なものであれば拒否できるよう、疑義を申し立てる権利の確保等々、自由に意見を謂える雰囲気を大切にする事が、所謂ムラ社会をつくらない為に必要な事でしょう。

■分断
こうした誰もが自由にモノを述べる事のできる権利は非常に大切に大切なものであるとどらねこは思います。原子力発電所関連団体などに問題があったとしても、その関係者が述べる意見や発言などに対しては是々非々で考えて欲しいところです。原子力ムラの住民黙れと言論を封殺してはいけないと思うのです。気にくわないヤツ、優遇されている(ように見える)ヤツらの権利なんて制限されてもかまわない、なんて考えは社会全体をムラ的な抑圧の強い社会へと向かわせてしまうおそれがあるように思うのです。
最近では公務員バッシングにそのような不安を感じております。公務員憎しの風潮を利用し、軽微な問題行為に過剰な罰を与えたり、公務員にも当然認められる筈の人権や内心の自由を侵害するような命令を見過ごすような事にも同じような危険が有ると思います。従わない職員に強硬な対応を・・・その行き着く先には今批判まっただ中の原子力ムラ的なものが待っているように思うんですね。内部では上司の顔色を伺い、オカシイと思っても心の中にしまい込み、問題が先送りされ、失敗は強烈に罰せられる事から発覚は絶対に避けなければならなくなり、隠蔽する体質が育ちます。
ある公務員の不祥事に対し、過剰な罰を与えようと画策する首長の行動をニュースで見ました。アイツらは優遇されているみたいな分断を煽る言葉に大切な事を見失ってしまわないよう、どらねこも気をつけようと思います。