キセキがおこるネコ揉み療法

どらねこのぐじゃぐぢゃしたアタマの整理用エントリです。
このエントリはフィクションであり、登場する病名や固有名詞等は架空のものです。実際の人物及び団体等と直接の関係はございません。

ネコ揉み療法とは
『キセキがおこるネコ揉み療法』のキャッチフレーズで知られる代替療法である。
施術は厳しい訓練を積んだネコと講習を受け認定されたネコ療法士の手によって為される。受療者は安楽な姿勢でネコを膝などに載せ、療法士の指示に基づいた部位を揉んだり撫でたりを繰り返す。この行為により受療者の精神は解放され、癒しの波動を受けやすくなるとされ、ネコが発するスピリチュアルヒーリングパワーを効率良く吸収できるとされる。
ネコ揉み療法はキブン障害から流行性認知症まで幅広い効果が謳われているが、その効果を実証したエビデンスレベルの高い研究は知られていない。
ネコ揉み療法には様々な流派があるとされているが、ネコ原理主義者から支持を集める団体である、『ムニューダージャポン』は予防接種有害論など過激な言動を持つ事が知られており、公衆衛生上の問題を指摘する声もある。

健康被害
健康に不安を持っていた猫澤市在住のAさんは愛読する自然派雑誌『グーニャン』に紹介されていたネコ揉み療法を知り、数年前から実践していた。ある日、ちょっとした体不調を覚え、馴染みの療法士から施術を受けておりました。しかし、一向に良くなる気配は無いため、家族はAさんに病院受診を勧めたが、療法士からのこれは『荒天反悩』だから安心しなさいという言葉に従い、そのままネコ揉み療法を継続しておりました。しかし、病状は悪化を辿りAさんは自宅で倒れてしまいました。救急車により搬送されたAさんは肝硬変による肝性脳症を起こしていたことが病院で明らかになり、急性期を脱した後も日常生活に大きな不自由を持つ事になってしまいました。
Aさん家族はネコ揉み療法士を相手取り、裁判を起こすことを決意しました。

■新聞も採り上げた
この裁判が切っ掛けとなり、トアル新聞はネコ揉み療法の危険性を訴える記事を掲載した。その要約は次の通り。

1:今回の裁判は、ネコ揉み療法という代替療法を実践する療法士が、重大な疾患を抱える利用者に根拠無く治ると発言し、結果的に病院へ行くことを引き留めた事により起こったものであるとし、療法士を訴えたモノだ。
2:一部のネコ揉み療法団体には過激な主張を行うところもある。例えば、予防接種や抗菌剤の忌避などだ。それらを使用することでスピリチュアルパワーを阻害すると主張している。
3:ネコ好き有名人御用達という事で注目を集めており、『ムニューダージャポン』の会員数は1万人を突破しているという。ネコ揉み療法の利用者は全国で100万人ともいわれている。
4:ネコ揉み療法は精神療法とされているが、その原理にはアヤシイところも多い。ネコに触れることで心の安寧を覚える方が多いのは事実であるが、彼らの掲げるスピリチュアルヒーリングパワーの実態は確認されていない。
5:最も大きな問題点は、標準医療から患者を遠ざける点である。入院するとネコと触れ合えなくなりますよ?という殺し文句が受診を躊躇させるという指摘がある。
6:裁判の件以外にも被害の訴えは多い。ネコ揉み療法で糖尿病を治ると考え、インスリン治療を中断した結果、高血糖により運び込まれた時には既に手遅れであったという話がある。
7:ネコ揉み療法の効果については、ランダム化比較試験が行われ、効果が実際に確認されていると同団体は主張している。しかし、プラセボ効果を分離できるような質の高い研究は行われていない。それは二重猛犬法という効果判定法を用いると効果が逃げていってしまうと療法士達は主張するからだ。とあるネコ揉み療法の団体では、現代科学と相容れない概念により効果が発揮されている療法であるから、そもそも科学的根拠というもの自体が必要とされていない、精神世界には科学は踏み込んではならないと、述べている。
8:ニセ下顎問題にも詳しい犬髷教授によれば、ネコを揉むことにより放出されるスピリチュアルヒーリングパワーという概念自体があやふやなものであり、科学ではない。ましてや、猫の品種によりスピリチュアルパワーの種類が違うという理屈が理解できない。ネコを揉むだけでどのような病気も治るという主張がおかしいのは明らかだと指摘している。

■新聞へ反論
上記の新聞記事について、ネコ揉み療法団体である、『世界ネコ揉み医療協会』公式webサイト上に反論記事を掲載した。記事の冒頭にはこのように書かれていた。

当協会員が関与する今回の件についての報道にありましては、あたかも『ネコ揉み療法』自体に害悪があるような印象を与えかねないものが見られました。ネコ揉み療法では極めて安全な病原菌及びアレルギーフリーのキャットセラピストを用いており、万が一にも療法を行った事により体に危害を及ぼすことはあり得ない話です。新聞記事を読んだ方に誤解を与えかねないと考え、重要な点を補足しながら説明をさせていただきたいと思います。

1:について
当協会では、医療との連携を日頃から推し進めており、今回のケースについては誠に遺憾で御座います。西洋医学を否定せず、お互いの優れた面を融合させる事を目標に活動を勧めて参りましたが、療法士個人の判断に誤りがあった為に生じた問題であると考えております。病院での治療を望まないという判断は最終的には患者個人の選択であり、私どもではそこまで介入出来るモノではありません。今後とも誤解の無いよう説明できるよう会員へは講習会等を実施し働きかけていく所存です。

2と5と6:について
裁判に関連する記事中でのこの内容は、問題のある主張をする団体が当会であるとの誤認を招きかねないと懸念します。当会ではそのような主張を行っておらず、該当する団体の存在を確認しているところです。当会に於いてもそのような誤解を持たないよう、会員への周知徹底を図っていく所存です。

4:について
スピリチュアルヒーリングパワーは現代の科学では解明されていないものです。何でも科学で解明できるという思い上がりが我々の体をおかしくしているのです。現実に効果が上がっているのですから、それを疑うのは下顎者らしくない態度であると思います。ネコ揉み療法の起源は、船にネコを積むと災厄から逃れることが出来るという大昔からの言い伝えにあるとされております。このような不思議な効果を漁師効果と専門用語で呼ぶのですが、ネコ揉み療法の原理はおそらくこの漁師効果によるものと当会では考えております。今後、漁師論の発展により解明できるものと考えております。

7:について
ネコ揉み療法による治療効果を証明した論文は数多く発表されております。ネコ揉み療法に猛犬は禁忌であるため、西洋医学と同じ方法では検証できないのです。ネコ揉み療法は患者の状態を見極めながら療法士の判断によりネコを選びます。そして、患者の変化に応じ、ネコを適宜入れ替えていきます。西洋医学の評価法には馴染まないのです。

8:について
4でも述べましたが、実際に効果が存在するのですから、それを理論が不明であるというだけで頭ごなしに否定するというのは下顎原理主義者の悪いところでしょう。私どものところには、毎日数十件も今まで治らなかった病気が治りましたという感謝の手紙が届いているのです。

■その他団体の反応

『ムニューダージャポン』
公式には見解を発表せず。

『ネコモフ療法振興会』
西洋医学を必要とする病気に対しては、病院を受診するよう会員に対しては指導を行っております。また、スピリチュアルヒーリングパワーが予防接種や抗菌薬の代わりになるとは考えておりません。
今回の件は、正しい手法を守らなかった事によって発生した問題であり、療法そのものの問題ではありません。
私たちは今後とも正しい理解を推し進め、本来のスピリチュアルパワー解放を通じて、健全なネコモフ*1の普及啓発に努めて参ります所存です。

■反論から考える
まず、その他団体の考えはミエミエですよね。
ハブハンさんのエントリ、『「超能力者はすべてインチキです。私以外は」みたいな』で紹介されていたモノと似たような手法かな。

ムニューダージャポンの沈黙というのも一つの手でしょう。反論することで目立ってしまうより、体力が削られるのを覚悟の上で、ほとぼりがさめるまで放置という戦略はあるでしょう。

では、『世界ネコ揉み医療協会』の反応はどうなのでしょう。
どうにも中途半端な感じをうけますね。私たちは違うんです!と謂ってはいるものの、対抗言論である事がミエミエであります。もし、新聞を読んだ一般読者がこれを目にしたら、「何いってんだ此奴は?」と思うような内容だと思います。そして、ネコ揉み療法に批判的な方々に対しては格好の攻撃材料を提供したようにも見えます。それなのに何故、このような文章を掲載しようと考えたのでしょうか。
まず、どの団体の対応も、一般の方ではなく、会員や利用者に向けて行ったものであるという事が挙げられるでしょう。反応しないというのも含めて。
この違いは各団体が主張する内容と利用者の性質から現れていると考えられます。

■反論の意義、意味
『沈黙をまもる』
この団体の会員や利用者の多くが新聞掲載記事に載っていた内容に対し反発を持っているだろう事が予測できたから。つまり、常日頃からそのような批判をうけている事は承知で活動を行っているため、改めて、会員にアピールする必要は感じていない。敢えてアピールするとすれば、やり方の拙さを訴えるぐらいだろうね。要するにカルト集団ということ。
次に、『私たちは違うんですという反応』
新聞に書かれた内容のある部分について、明らかに自分たちの主張と違う箇所があるので、その部分について論理的にはおかしくない反論を示します。会員や利用者は新聞を読んでなんとなく不安をもつが、力強く反論する姿勢に安心感をもってもらいたいというところかな。一般へのアピールにもなるけど、其処まで求める段階ではないため、内部向きの反論に留めようという判断になりそう。
『対抗言論の提示』
これは会員や利用者が新聞発言に揺れるであろう事を想定したので反論を掲示したのだと思う。周囲から見れば、『墓穴掘ってるよ』にみえる内容かも知れないけど、内向きな文章としては十分意味のあるものだと思ったから掲載したのだと思う。というより、掲載せざるを得なかったのだと思う。
一番ラディカルな団体との距離を測りつつ、患者の自己責任についても言及しておく。今回の件で心が揺れ動くヒトが予想されるが、その状況で下顎の権威が理論を否定する文章を読んだらもしかしたら大きな不安をもってしまうかも知れない。なので、同じくメカニズムの妥当性に対する対抗言論を掲げる必要性があったのだと思う。
一般の人や批判的なヒトはそれでも納得しないでしょうけど、おそらく内部のヒトは納得してくれるだろうと思って掲げたのだと思う。
だから掲載した意味は確かにあったのだと思うし、効果もあるのではないかと予想します。

■それぞれの立ち位置
ネコ揉み療法を利用する方々には一人一人それなりの理由があると思います。その立ち位置もこの件では重要なんじゃないかと思います。幾つか考えてみました。

その1:予防接種を受けない、受けたくない。薬は危ないので使いたくない。それを支持してくれる考えの療法だから利用している。
その2:ネコ揉み療法の考えはともかく、病院へ行かなくてもお手軽に治るというので利用している。
その3:治療方法が確立されて居ない病気などに悩んでおり、それが治るというので利用している。
その4:ネコ揉み療法を業務としており、それが生活の糧なので利用している。
その5:ネコ揉み療法を業務としており、医者と同じような立場で患者に接する事ができる快感を味わいたいので利用している。

とりあえずこんな感じでしょうか。
切実さの度合いやコレまでの投資が大きければ大きいほど、新聞に掲載された反論内容を受け入れるのは困難であると思います。しかしながら、新聞という影響力のあるメディアに掲載されたという事実は、実際に彼らの心を揺さぶるでしょう。しかし、認めるわけにはいかないという苦しい状態に陥ると思います。
ですので、所属している団体はソレに対して、反論する事で、利用者の安寧を図る必要性が出てくるのだと思います。

■どうすれば安心できるのか
反論を認めてしまえば、これまでの自分を否定されてしまうことになります。『その3』について考えれば、治る希望がないという現実に直面しなければなりません。否定された瞬間望みがなくなってしまうと考えてしまうことでしょう。反論が事実であったとしても認めたくない状況では、反論が事実ではない保証を求めます。行動的なヒトでは自分の正しさを支持する論文をさがしたり、ネット上で肯定的な意見を検索したりします。不安で堪らない状態の方に対し、求める情報を提供してあげる事で、安心感をもってもらう事が出来るでしょう。だから、団体はあのような反論を掲示したのだと考えます。

■反論になっていない反論で良いわけ
それは前提の確からしさを疑っていない、若しくは疑いたくない方々へむけたアピールであるからでしょうね。
特異的な効果自体を否定する大前提否定はそもそも利用している人には受け入れられるものじゃあないですから。だから、どんなに反論されても大前提の正しさを疑わない人には通用しないので、それをわかっているから、この部分の反論内容なんて正直表面上尤もらしければどうでも良いのだと思います。但し、理論の原理が完璧に否定されるものじゃいけないから、証明が出来ないアリもしない原理が持ち出されることが多いのでしょう。スピリチュアルヒーリングパワーは現代科学では計測不可能、みたいな。
しかし、本体は揺るがなくてもその周辺の矛盾や問題点については疑問を持つのではないかと感じます。
例えば、ヒトによって言うことが違うという点や、療法の取り扱い方に問題がある場合などです。医療忌避なんかもそうで、ネコ揉み療法を正しいと考えることと標準医療も実施する事になんら矛盾は無いわけですから。だからその辺で齟齬があると、たとえ会員や利用者であってもおかしいな?となるわけです。
一つの文章中に論理矛盾があれば、それは確かにおかしいと謂う事については、注意深い利用者であれば、気がつけるはずだから、ある程度確からしい小前提を散りばめて、それを論理矛盾無くつないで反論をすれば良いわけです。団体や利用者にとっては、それで十分な反論なのだとおもいます。
なので、いくら利用者に問題点を指摘しても大前提を疑うことはあり得ない話なので、通用しないのです。(関連http://d.hatena.ne.jp/doramao/20100802/1280740454

■利用者への反論は不要なの?
それじゃあ、効果の疑わしい療法への批判的言論は利用者には無駄なの?
そう考えてしまいそうですが、そんな事はないと思うのですよね。上にも書きましたけど、個別の反論の中に矛盾を見出してそれをつくことは重要だと思いますし、ラディカルな団体に所属するヒトを穏当な主張の団体寄りの考えに引き戻す(?)効果はあるかも知れません。
例えば、ネコ揉み療法が、ネコの種類によってスピリチュアルヒーリングパワーのレベルが異なると主張していたとして、その序列はどうやって検討されたのですか?などと質問するのも面白そうです。科学の方法では確認できない理論の序列の根拠はどうやって導き出したの?です。一応、一般向けの体裁を整えた文章であれば、答えに詰まってしまうかも知れません。無理して変な回答を行えば、利用者も不信感を持つかも知れません。例えば、RCTで確認したと答えれば、じゃあ、それ以前はどうしてそれが正しいと分かったの?→経験則→じゃあ、あらたなネコ種が誕生したときにその序列をどうやって決めたのですか?みたいな。
科学は集団に於いて、意見や法則が事実であるのか否か共有する有効なツールであるのに、それを否定しておいてどうやって皆が法則の確からしさを証明するの?おかしいんじゃない?となるわけね。もしかしたら、慎重なヒトには届くかも知れない。原理を否定しなければね。

■根本的な解決は難しい
対抗言論だけでは解決できない問題なのは誰もが分かっていると思います。ネコ揉み療法が効くという考え方自体が根拠のないものだと、認めるだけで、利用者がそれまで費やしてきたお金の意味は無くなるし、病気の回復への望みもきえてなくなってしまう。ある意味世界の崩壊なのですよね。
自分が善意で行った行為が他者を不幸な目に遇わせていたという現実を突きつけられる・・・善意の人は耐えられるのでしょうか。こういった面へのフォローが無ければ、利用者には正論であっても届かないのだと思います。ビリーバーは説得できないという表現は微妙だと思いますけど、そういった精神状態になった方は心が壊れてしまわないように身を守るように働く自然な反応や行動の発露なのかも知れません。
崩壊した世界に取り残された個人を救う態勢は整っているのであればもしかしたら・・・という気はしないでもありません。少なくとも他者から突きつけられるものではなく、自分で気づいて自分が求めた情報の中に答えがあった場合のような気がします。

■色々おもつたこと
大前提が本当に正しいモノなの?という疑いを常にもって置くことが大切だよなぁ、と思うことが多いです。いつの間にかそれが正しいことだと前提になって話が進んでいる事があったりします。ご飯は健康食だ、日本人ならご飯を食べろ、自給率アップは必要だ、みたいな何処から何処までが妥当性があるのかよく分からないまま国民運動になっていたり、エコキャップ運動とか何がエコなのか理解しないまま学校全体で取り組んでいたり・・・と。
まず、何かを行うのなら、大前提が真であるのか、若しくは妥当性があるものなのか、それを確認してから取りかかる、という習慣をつけていく事が求められるのかなぁなんて思ってます。
妥当性のある情報をトンデモに嵌ってしまう前に提供する事も大切ですが、大前提の確からしさを疑ってみるという事も求められる手続きかなぁ、と何となく思ったどらねこでした。
だって、たいていのヒトは論理的に妥当だと考えているから、自分が代替療法を用いているのでしょうからね。

*1:この団体での呼び方で基本的にはネコ揉みと同じもの。患者が一方的に利益を享受するのではなく、ネコにも気持ちよさを提供するという、互恵主義を掲げている。