健康食と危険食④

さて、早くもシリーズ第4回目です。前回、どう考えてもそうは見えないだろうという統計データを、自分の都合良く解釈する河内氏の独創性を紹介いたしましたが、その答えを同じ本の中に見つけることが出来ました。
彼の偏見に満ちたイタイ文章を我慢して読んでね。

石塚左玄の食養体心論について語る
p35-36
人間の生命の根本が食物であり、健康も病気も、頭のよくなるのも、悪くなるのも、美人もデブさんも、色の白いのも黒いのも、一切がその人または、その人が母の胎内にいたころの母の食物次第で決まるものであることなどを、いろいろの角度から論じています。
<中略>
左玄は万病の一元である事を、陰陽という二元論的一元観で統一的にその学説を展開したのであります。
近年まで食養の両巨頭といわれた二木謙三博士と桜沢如一の両氏は、ともに左玄の食養学をそれぞれの個性と学歴にふさわしい形で、自ら実行しながら現代化し、一般に普及されました。
医学や栄養学の改革が大きく叫ばれるようになった今日、その原動力となり偉大な推進力となったこの三巨人の足跡は、永く日本の医学史に輝くものと思います。

もしかして、遺伝というものを理解していないのかなぁ、この人。それは次回以降に明らかになるかもデス。
母の食事次第でコドモの健康が決まってしまうという考え方はマクロビ系でよく見られるオハナシですが、やっぱり石塚左玄の教えのようです。あと、裏で批判した桜沢氏についても褒め称えているところに注目だ。

肉食と西洋科学文明
p38-39
肉食万能の栄養思想は欧米からやって来たものですが、今日の欧米人は、極めて陰性な北欧に住んでいた民族です。北欧は北海道やカラフトと同じような寒い土地で、昔は小麦など全く生育しない不毛の原野でありました。今でも同じ広さから取れる小麦の量は、日本などの三分の一か五分の一位であります。
仕方がないのでチョボチョボ生えている草を牛や羊に喰って貰って、その牛や羊の肉や乳を食べて生き続けて来たのであります。
欧米人の肉食の習性はエスキモーのトナカイ食と同じような理由で、止むなく始まった食習慣であります。そして、エスキモーほどでないにしても、何千年の肉食が欧米人の脳ずいからは、偉大な宗教(陰性)を生み出す能(脳)力を奪い去り、何でも目に見えるもの、聞こえるもの、手に触れることの出来るものでなければ承認できないという陽性の思想を生み出しました。

これは真弓定夫先生の食育講座でも似たような説が語られておりましたね。どっちがオリジナルなんだろ?それとも誰かの教え?こうやって根拠のない言説が語り継がれていくところが恐ろしいのよね。チョボチョボ生えているぐらいの草で十分な畜産なんてできるのかなぁ?という当たり前の疑問すら抱かないのが彼らのクオリティ。
さて、前回抱いた疑問、その答えはこの引用文中にありました。そう、陽性思想の反対、陰性思想の為せる技。目に見えるものすら信じられないで自分の見たいものを見てしまう。統計だって全部自分なりのトンデモ解釈を生み出す偉大な陰性を生み出す脳力だ。これを専門用語で、『陰性脳の恐怖』という。だれか本書きませんか。

牛の天国インド
p41-43
インドという極めて陽性の自然環境で、人の食物が陽性の肉食に偏れば、民族は陽性過剰のために、陽性の精神病(凶暴性)や熱望や炎症性疾患で、一大狂乱の巷を現出して、やがて民族は滅亡の運命をたどるでしょう。仏教やヒンズー教が、何千年の昔から牛を神聖なものとして、肉食出来ない習慣を生み出したのは、民族の英知であり、人間が自然の秩序を生きた体で学び取ったものと考えられます。
<中略>
インド民族の独創的な深い思想はかれらの陰性な大脳が生み出したものであります。
<中略>
古くは釈迦の断食が伝えられていますが、近くはガンヂーの生涯が知られています。断食は「捨てること」であり、陰性の行為であります。人間の肉体(陽)から、生きていくのに必要な最低限度までモノを捨て去る行いであります。
陽性は物を引きしめ、しばりつける力でもありますから、肉体という陽性を生きられる最低まで棄て切ったときに、大脳は陽性の呪縛から解放されて、大脳本来の陰性を発揮して、無限という大陰性の中にとけこんでいる自分を発見することになるでしょう。陽は求心力であり陰は遠心力です。

インドは仏教生誕の地だからって無理矢理陰性にするなよな。インドの人って菜食の人が多いのは認めるけど、牛乳やヨーグルト、パニールやギー等、乳製品をたっぷり使った食生活だって知ってるのかなぁ。ラクベジタリアンって言うんだぜ。

中つ国・日本の風土
p47-48
今日の欧米文明は肉食民族の陽性な脳ずいと肉体の生み出したもので、陽性に片寄ったビッコの物質文明ですから、文明が進むほど人々は砂漠のような、うるおいのない人生を押しつけられて窒息するか、狂乱に陥る外ありますまい。
<中略>
どうすれば物質文明の砂漠の中で文明のギセイ者にならなくてすむか、その原理と方法を身につける必要があります。その一つの根本的なものが東洋に伝わる「陰陽の原理」です。
それは中庸を教え、調和を作り出す原理でもあります。中庸の風土に国家をつくり、発展して来た日本民族は、調和のとれた、世界に誇りうる立派な食生活の習慣をつくり上げ守り続けて来ました。現代栄養学を信奉する人たちは、日本人の過去の食生活を迷信扱いしてうちこわしつつありますが、民族の食生活がそれほど不完全なものであったとすれば、日本が二千年近い発展の歴史を残し、世界の識者に感銘を与えるほどの宗教や文化を残しているはずがありません。

欧米文明は偏った文明?じゃあ、調和のとれた素晴らしい文明のある国って何処なのよ。え、『日本』?根拠無く他国を批判し、素晴らしいのは日本であると仰いますか。世界の識者っていったい誰なんでしょうねぇ。

p50
「食物」をただ単に、「物質」としてしか認めることの出来ない陽性過剰の脳ずいに比べると、よほど高級で奥ゆかしい民族であったわけです。
「喰う」という動物的・本能的な行いを、「頂きます」というつつましい、やさしいコトバで表現している民族は広い世界のどこにもありません。
大自然、大生命のリズムと一体になっていたわれわれの祖先の澄み切った頭脳を、未開迷妄な後進民族とする人々の脳ずいは、すでに肉食の陽性にこり固まって、モノの一面しか見えなくなっている証左です。

結局言いたいことは、日本の文化や民族性が世界に比べて優れていると言うことだけのようです。それに比べて欧米各国は野蛮だから、彼らの言うことを信じちゃいけないよ。真似っこして肉を食べたら心まで彼らのようになっちゃうよ、と脅かしているわけですね。
肉食の陽性に凝り固まっていない筈なのに、モノの一面しか見えなくなってしまったのは誰なのでしょう。
誰か、中庸の大切さを、彼に教えてあげて下さいませんか。