おまえがいうなとはおもうけれども

「オマエが謂うな!」
どらねこはそんな風に思うことが良くあります。例えば、いつもは根拠不明の話題を確かな情報のように流している人がよその人に対して、「その情報は確かですか?キチンとソースを示して立証できますか?」なんて要求しているのを見かけたりしたらそう思うでしょう。


■もしかしたら
何らかの問題を起こした、或いは周囲からの悪い評判を貰っている組織(例えば報道機関とする)について、その内部の人間から「オマエがいうな」的な発言が為される事があります。どらねこも、「何そのブーメラン」などと思ってしまうのですが、その後ちょっと待てよと考えたりもします。
もしかすると、その意見は違和感を持ちながらも、組織の方針に従わざるを得ない個人の悲鳴が漏れ出たものかも知れません。問題を抱える組織ではあっても、個人レベルでは違和感を持つ社員が多いのかも知れません。そうして表に出てきたかも知れない考えや意見に対し、オマエが謂うなと封じてしまって良いのでしょうか。
他の意見はさておき、妥当性のある意見の表明についてはキチンと評価する姿勢を情報の受け手が示す事で内部で疑問を持ちながら働く個人が意見を述べやすい状況になるかも知れません。妥当性のある意見や態度に対して評価をする事で情報の受け手が何を求めているのかの意思表示となるでしょう。どらねこは報道機関を志した理由については多くの方が熱い正義感に根ざしているのではないかと妄想しているので。状況を変えること、そのために私たちができる事なども考える必要があると思います。


■わたしをとめて
では、個人の場合だったらどうでしょうか?単なる支離滅裂の可能性もありますが、コミットメントや一貫性の罠(周囲とのつきあいなども含む)に捕らわれたボクを助けて、と謂う封じ込められたもう一人の自分が発した助けを求める声だったりするのかも知れません。
その場合にはばっさりと肥大してしまったモンスターを断ち切って差し上げるのが本人の為かも知れません。