ただ寄り添うわけじゃない

どらねこは腹黒猫とか暗黒猫などと一部の方から呼ばれています。ところが、別の方からは比較的優しい人と思われていたりもするようです。こうした相手によって評価が違うなんて事はゴロゴロあるわけですが、比較的優しいと見られる理由の一つに「相手の状況にも配慮をして苛烈な批判的言動は控えた方が望ましいんじゃないの?」と謂うような主張を過去記事でも行ってきたからじゃないかな、と思うんです。


■自己評価の維持
批判的な話を相手にするのは非常に労力を必要です。不毛な展開になることが多いですから、その結末を考えるとうんざりするんでね。それでも、なんとか相手に伝わって欲しいので発言をするわけです。ほとんどが受け入れられないのを承知でも批判をするのはギャラリーを意識するなんて理由もありますが、本当は直接遣り取りをする相手にも伝わって欲しいんです。勿論、傲慢な考えなのでしょうけれど、相手に影響を与えたいというのはごくあたりまえの欲求*1の一つではあると思います。そんな内面はともかく、相手に妥当な理解を持って頂くために説得を行う*2からにはなるべく成功できる確率を高くするように努める事がやっぱり大切だと思います。最初から諦めていては成功できるものも成功しないからです。
批判的な話しかけがあれば、大抵はその言動に反発を覚えることでしょう。自身の発言を否定されると謂うことは、自分の理解や信念、価値観を否定されたと捉えられがちだからです。自分が分かっていない、間違っていると謂う事を認める事は自分の評価を下げる方向に働きます。人は自分の評価を維持しようとするように行動する事が知られておりますが、評価維持のために誤りを認めず、相手の主張が誤っている、相手の評価を下げる事で自己評価を維持しようとする傾向があります。


■認めやすい状況をつくる
自己評価を維持するため時に人は相手の発言や評価をゆがめますが、同じ言葉や内容で指摘されても必ずしもそうならない場合があります。それはその人の自己評価が下がらないような状況ができている場合です。
例えば、ある根拠の乏しい健康法を実践している人がいたとして、病弱な子供によかれと思って厳格に運用していることを公にしていたとします。これに対し背景などを踏まえず、「それは危険な健康法だ、直ちに止めろ!」と批判を行ったとしたら受け入れられないのは容易に想像がつくとします。では非常に丁寧できめ細やかな説明から入り、自分は善意で貴方に伝えているのだと説明したらどうでしょう。おそらく前者のような明確な反発はないとは思いますが、誤っていた自分を認める事による自己評価の低下は避けられません。そうなると非意識的な自己評価を維持しようと「何も分かっていないカワイソウナ人」とか「何かを企んでいる」など相手の評価を低く見るような防衛的反応が働くと考えられます。これでは丁寧な説明も通用しないでしょう。少なくとももう一工夫は必要です。


■大事な価値観を尊重する
そのためには、相手の持つ大事な価値観を認め尊重する事が大切になると考えられます。ネガティブな評価に晒された場合でもそのあとに自分自身の価値を再確認できる機会を与えられること自己評価の低下を防ぐことが期待できます。そのような状態をつくる事ができれば相手の話にも耳を傾ける可能性は高くなることが期待できます。
一つ前の項目の例で考えれば、「子供の健康を大切に考える親」である事に価値を置いていると予想されますので、「自分がいかに子供の事を考えている親であるということ、それがいかに重要で大切なことであるか」などを話して貰い、その考えに相づちをうち、それは素晴らしい考えである事を認める事が価値観の確認にあたるでしょう。こうした手順を踏むことで、大切な価値観を実行するための方法の一つが単純に間違えていただけと解釈される状況を作る事で、自己評価の低下を回避し、話を聞いて貰える下地ができるわけです。


■単純じゃない
とはいえ、人の心理はそんなに単純なものではありません。相手が何を大切にしているかなども簡単に分かるものではありません。なので、それらを引き出す事が求められますが、親しい間柄でもないのでままならない事でしょう。
それでも、相手が感情的だからと此方も後先考えずに感情的になっては何も始まらないと思うのです。相手に配慮する、寄り添うと謂うのは単に相手を甘やかすようなものばかりではないとおもうんですよね。相手への配慮は相手のためならず・・・なのかも知れません。お互い子供の健康をと同じ目標を持っているのであればそれを達成するためにより良い方法を・・・と謂うだけなのですよ。

と謂うわけで、こんな事を考えて言葉を弄くるどらねこはやっぱり腹黒だということですね。皆様どうかお気を付け下さい。

*1:それが余りにもあからさまなのは相当な問題があると思いますが、そんな自分心理の有り様を意識しておくことで暴走を防げるわけだから、自分と向き合うことにはやっぱり意味があると思いますよ。

*2:もう明らかに無理だろうとか、相手を頑なにしてしまうような事が予測されるようなら話しかけない方が良いのは勿論です。