電気に守られるもの

■停電
昨日、強い揺れと同時にパソコンの電源が落ち、その後部屋は真っ暗闇に包まれました。
一瞬、強い不安がアタマを駆け抜け、ラジオを合わせると、綺麗な歌声が流れてきました。ああ、大丈夫なんだな・・・。それでも、停電はすぐには解消しませんでした。早起きして仕事場へ向かわなければならなくなったので、早朝に目覚ましをセットし、寝る前の少しの間、携帯電話からネットに接続をし、情報収集を行いました。
そういえば、電源が落ちる前のパソコンではくだらない内容を書き込みしていたのでした。みんなはどうしているのだろうと、覗いてみると地震の影響を心配する声と、いつもと同じ風景が半々ぐらいでした。一瞬、馬鹿話に盛り上がる様子に、こっちは大変な思いをしているのに・・・などというどす黒い思いが沸き上がりかけましたが、そんなの誰のせいでもありません。寧ろ、そのおかげでだいぶ安心をえられました。そうしてどらねこを心配して下さる声に、無事を知らせると眠りにつきました。
目覚ましが鳴り、周りを見渡しても真っ暗です。ああ、でも外は気持ち明るくなってきているような。試しに電灯のスイッチをぱちりとしてみましたが、何も変化はありませんでした。

■職場
今回の突然の停電を含め、この1年以内に3回の停電を体験しました。勿論、これは計画停電によるモノでは無く、いつ復旧するのかその見通しの無い停電です。
どらねこは基本的に健康に不安を持つヒトを対象とした仕事をしております。健康に不安を持つヒトや体の自由がきかないヒトに於いては、停電がもたらす影響は、肉体的に健康なヒトに比べて大きいと考えられます。なんとなくのイメージであった不便さが、最近経験した停電により現実としてどらねこの目の前に現れました。
例えば、体の自由が利かなくて、寝返りが満足に出来ないひとは、そのままにしておくと圧迫による血行不全などにより褥瘡と呼ばれる細胞の壊死が起こってしまいます。これを防ぐ為、介護者は同じところに圧力が掛からないよう、寝返りの代わりに体の向きや位置を定期的に移動をさせる援助を行います。これを停電中では暗くて見えにくい状態で行う事になります。これについては、大変な中でも何とか対処は可能ではあります。ところが褥瘡になりやすい高齢者などではそれだけでは不十分でエアーマットレスと呼ばれるポンプで空気を送り込む方式の、褥瘡予防器具を使用する場合があるのですが、この器具は停電によりポンプは作動しなくなり、空気は送られず、マットレスはぺしゃんこになってしまいます。そうすると体は硬いベッドの底に直接当たることになり、あっという間に皮膚は壊死を起こしてしまいます。行き届いた、環境であればすぐに普通のベッドに移動して貰う事が出来ますが、人手が足りない場合や、在宅での介護の場合などでは、適切な対処が行えないことも考えられます。
他にも色々と停電による不都合はあるのですが、これらの方々への援助に如何に電力が役に立っているのか、と痛感させられた瞬間でした。
■逃げられない、動けない
ただ停電するだけならばまだしも、これが建物に影響を与えるような地震で避難しなければならない状況だとしたらどうでしょう?体の不自由な方は2階より高い部屋で過ごしていれば、自力で逃げることは非常に困難です。普段、彼らにある程度の自由を与えてくれる、エレベーターはスイッチをおしても動きません。
電力は普段の生活に自由を与えてくれます。苦労を緩和してくれます。電動ベッドは起き上がる事が不自由な方が姿勢を起こすときに、指先一つの操作で自分の望む高さや角度にしてくれます。必要な時に必要な援助を受ける為ベッド脇にあるナースコールも電気が無ければ作動しません。自分でドアを開けることが難しいヒトでも、近くに来たことを関知してさっと開く自動ドアも電気がなければただの障害物です。


電力が十分にある事を前提に、暮らしやすい社会は設計されているようです。

■十分に使用できる電力
電気を十分に使用できた今までがおかしかったのだ。これからは危険な原子力による発電はもってのほか、そのおごり高ぶった考え方が今の状態を招いたのだ・・・。そんな意見があるかも知れません。
そうして、これからは電力は高価なものとなり、日本人の生活は激変するだろう、と。反原子力発電を訴える声はチカラを増し、国のエネルギー施策に大きな影響を与えるのでしょう。確かに、東京電力や前政権(現在の政権でもかな)の原子力に対する認識や対応には杜撰なところはあったと思います。しかし、原子力発電は悪だ、即刻停止せよ、と謂うような意見がもし主流になるようであれば、それはちょっと違うんじゃないかな?と謂うのがどらねこの意見です。これは、数度の停電によりどらねこの認識が変わったことも影響しております。
比較的安価で十分に使用できる電力は私たちの生活を贅沢にしたのかも知れませんが、そのまま一人では生きていく事が困難なヒトの生活の質を大きく向上させていると思うのです。彼らの人権はそれによって守られている側面があると思うのです。もし、現状をそのままに、原子力発電を全て停止したらどうなるでしょう。石油をはじめとする燃料の高騰はすすみ、安価な電力は高価となり、必要とするヒトに必要な分行き渡らなくなってしまうかも知れないのです。
夏場の電力事情の悪化で、一人暮らしの部屋で十分な冷却が行われず、熱射病や脱水で命を落としてしまう可能性だって、あると思うのです。自由な生活を奪われた哀しみに絶望してしまう可能性だってあると思うんです。

■消極的反対派
どらねこは消極的原子力発電反対派です。ですが、現状では原子力発電を全て中止せよみたいな意見には首を振ります。謂い方がちょっと悪いですが、社会的弱者から切り捨てられるような事になってしまうと考えられるからです。原子力発電は間接的に彼らの生活を支えているのが現状だと思います。
原子力発電からの脱却にはこれらの問題をクリアした後だと思うのです。電力が今まで通りに使えなくても、彼らが大きな不便を感じないですむ社会の構築、それが前提となると思います。
危険性の高い原子力発電所から閉鎖しつつ建設中のより安全な原子力発電所の完成をいそぐ。そうして時間を稼いでいる間に、安全で現実的な発電システムの開発を急ぐと謂うような感じでしょうか。どらねこは素人なので、それがどれほど難しい事なのか実感はありませんが、ただ廃止して、昔に戻れば良いと謂うのはまた違うと思うのです。一度飛び立ってしまった飛行機を墜落させるのは最悪だと謂う事です。軟着陸が必要なんです。そのためには、基礎的研究への予算が必要です。有効な省エネには皆の知識が必要です。魔法の技術なんて無いのですから、一歩一歩進んでいくしか無いのでしょう。
どらねこは今回の件でその思いを強くしました。