こだわりと非常時の食事

食事に対する拘りって、誰しもありますよね。どらねこもそれなりにありますが、食に関わる仕事をしている関係で、こだわりの強いヒトにお目に掛かる事も結構あります。
こういった食に対するこだわりは、日常ではちょっとした手間を掛けることで満たされる事が多いのですが、非常時ともなるとこだわり通す事も難しくなると思います。流通が機能しなくなれば、選択の幅は非常に狭くなるでしょうし、ライフラインが途絶えれば、炊き出し、配給など皆と同じものを食べることになるからです。

■こだわりや嗜好と治療食や除去食
軽い好き嫌いであれば、非常時には我慢をしてお腹を膨らませることを優先する事になります。美味しいモノやすきなモノを食べたいと謂う自然な欲求はなるべく満たしたいけれど、それは命あってのこと、まずは体に必要な栄養素を確保することが先決ですよね。
こだわりについてはどうでしょうか。嗜好に近い程度の軽いモノから、満たされない事でパニックを起こすような深刻なものまであるので一くくりにはできませんが、強いこだわりを持つ場合であれば、たとえ空腹であろうともこだわり通す事も考えられそうです。
次に治療食や除去食はどうでしょう?これは嗜好とは違って、ただちに体に影響を及ぼすような深刻な事態を招きかねません。例えば、アレルギーを持つヒトが、除去食を手に入れられない状況を想像してみてください。アナフィラキシーショックから命を落としてしまう危険性があります。クローン病の方であれば、高脂肪であったり消化が悪いモノを提供されれば、病態が悪化する事が予想されるでしょう。非常時であっても、この方達に対する食事アプローチは妥協が許されるものではありません。
災害時でも彼等に対してはその辺りを配慮した援助が必要になります。そうでなければ、ならない類のものであります。

■こだわりはどこまで尊重されるか
さて、こだわりについてはどうなのでしょうか?非常事態なのだから、我慢しなさいと謂う意見もあるかも知れませんが、そんなに単純なものではないような気もします。例えば、脳の器質的な問題から生じるこだわりであれば、本人の努力ではどうしようもないかも知れません。食べないと体力が落ちてしまうよ、と無理強いをし、口に押し込めば気持ち悪さから嘔吐してしまうかも知れません。この場合も何らかの配慮が必要になるんじゃないかな、と思います。少なくともそのような方を『贅沢だ』みたいに責めるような事はしてならないと思います。
次に、何らかの信条からの食材や食事に対するこだわりはどこまで尊重されるものなのか、という事について考えてみます。まず、宗教的理由での食材に対する制約と謂うのはどうでしょうか。これについても尊重されて然るべきモノと考えられております。出身地など文化的な配慮も宗教的事由に準じてなるべく配慮されるモノと思います。

■代替食事療法はどこまで尊重されるか
ここからが本題です。とらねこ日誌では明確な根拠が見あたらない、若しくは健康に悪影響が予想されるような代替食事療法を批判してきました。それらの代替食事療法では、多くの方が普通に使用する食材を忌避する事を推奨しているモノがみられます。特定の食材を忌避するような代替療法実施者については現場に於いてどこまで尊重されるものなのでしょうか。
これについては、色々と悩ましく、もやもやするものはあるのですが、やっぱり尊重されるものなんじゃないかなぁ、と思います。援助は何のためか、それを考えれば、尊重されて然るべきでしょう。無いとは思いますが、何で用意したモノを受け取らないんだみたいな態度はもってのほかとどらねこは思います。とはいえ、そのような方が居ることを予想した物資の準備をというのは現実的ではないように思います。自身の工夫も求められるところではないかと思います。

■何のための制限なのか
制限を行う事で、制限を行わなかった場合よりも利得があると予想されるのであるから、制限が行われるものと思います。この利得の有無は条件によって変化するモノとどらねこは思います。今回のテーマである非常時というのは、この条件にあたるものです。例を用いて考えてみます。
ある代替食事療法では、なるべく地元産の食材を、それが無理でも国産食材しか食べてはいけないと謂う決まりがあるとします。平時に於いては、この教えは何の問題も無く実行できるかもしれません。国産食材であれば、外国産の同種の食品よりも鮮度が良い場合が多いでしょうから、それなりの利得もあるでしょう。ところが、災害時では同様に地元産の食材を手に入れることが出来なく成るかも知れませんし、産地が壊滅的な被害を受けていれば、食料不足により外国からの輸入に頼ることも予想されます。このような場合でも教えを守り、国産食材にこだわりつづけると謂うのは現実的なものなのでしょうか?そんな事は無いですよね、食べなければ栄養失調になり、ヘタをすれば死んじゃいますからね。何の為の健康法なのか、そこを考えなくてはいけません。
上記の例は極端すぎましたが、豚肉を食べない考えの食事を実施していたとして、普段は玄米を食べる事でビタミンB1を補っていたとしましょう。災害時に白米と豚汁が振る舞われたとして、白米は食べたけど、豚肉を全て残したとしましょう。そんな生活が続いて、脚気が発症したとしたら・・・。これ以外にも予想される小さい不利益はいっぱいあると思います。

■非常時の考え方
代替療法を奨めるヒトにおいても、、せめて非常時には柔軟な対応をするようにと教えて欲しいと思う。撤回はむりでもそれぐらいはしてほしい。私たちの奨める食事療法は社会が安定して、物資が豊かな場合に行われるものです。食料調達が困難な場面では、こだわりなど気にせず、罪悪感を持たないで食べて欲しい・・・と。
実際の現場では、代替食事療法を実践している方が、提供された食事に対し、どのように対応しているのかを見ておりませんので、はっきりしたことはいえません。私の書いた事が杞憂であればいいなぁ、とも思います。ですが、放射性物質の飛散に対し、自らの信じる方法論で対抗しようとする動きは見えておりますので、心配になってしまうのです。
このような制限をともなう食事療法や信念について、大人が自分自身の責任に於いて実行することについては否定しきれませんが、子供までも巻き込むのは控えて欲しいと思います。お腹がすいた・・・食べたい。でも、お母(父)さんに怒られるし・・・、そんな状況に陥って貰いたくないからです。

色々と書きましたが、被災地では色々なストレスに晒されるのは避けられないのですから、余計なストレスまで背負い込まないで欲しいな、そんな風に思いこの記事を書きました。





■おまけ
今回述べた内容を裏返すと、現代社会では問題の無い食事が特定の状況では欠点の大きい食事となる事がわかりますね。
現代社会では玄米菜食は色々な食品をまんべんなく程ほどに食べる場合に比べて、栄養素欠乏を起こしやすい食事法であると考えられます。しかしながら、何らかの理由で肉類が手に入らなくなった場合に於いては、白米を食べるよりも玄米を食べる事で、ビタミンB1欠乏やミネラルの補給について有利になる事が考えられます。白米食よりもこの場合は優れていてもおかしくありません。
しかしながら、『一物全体≒精製された食品よりも食材はなるべく全体を食べるようにする』と謂う考え方が悪い方に影響する事も大いに考えられるのです。例えば、体に有害な物質が広範囲にまき散らされたというようなケースが其れに当たります。汚染物質が付着した部分はなるべく食べないように、表面を削り、精製を行う事が、キケンを減らすと考えられるからです。
大切な事は状況に応じた柔軟な対応なんじゃないかな、そう思うのです。