もやもや(つづき)

炎上しそう(かどうかよくわからないけど)な内容はアホっぽく書くべしという、斯く言を基に仕上げた前回エントリの続編。元々アホな子が何を言ってるんだかみたいな突っ込みを頂けたら幸い。というか、誰もよまないだろう。
本題
結局前回は何が言いたかったのか分からないまま終わりました(自分が)が、もうちょっとアタマを整理して考えたことを書き連ねてみる。
爽やかに国民の期待に応える五輪代表選手達を気持ちよく応援するべし、と思ってテレビを付けた人たちは、あの出で立ちをみて、反感だったりモヤモヤを抱いたとしても不思議はない。
その正体をハッキリ認識したヒトは少数派だろう(憶測)。
モヤモヤしたままじゃ気持ち悪いし、反感でもその正体を見極めたいだろう。メディアが垂れ流す情報を積極的に確認してしまうという心理に不思議はない。
モヤモヤ感やなんとなくの反感を持った人々が、メディアからの一方的な情報や同じく不満を持った方の意見が放映されるのを見て同調してしまうのは致し方ない感情かも知れない。
でも、それじゃあ負のらせんだよね。誰も得しないんだ。
そう言った気持ちを持つことは自然なのかも知れないが、自分の気持ちを外に向けて思うままに振る舞った場合に、全体を見渡すと平均すればみんなが損をするというのは自明のコトだ。
自分がイヤな思いをしたからと謂って、その気持ちを償え、自分の期待に応えろというのは、傲岸不遜で、それを見た第三者はそれこそ、気分が悪くなる行動だ。
人のふり見て我がふり直せ、というのはものすご〜く難しいことだけど、とっても大切なことなんだ。
ブーメランを投げようとしていた自分に最後の最後で気がついた。