期待

見た目から味が予測できないと、一口目を美味しく感じることはとても難しい。
結露したグラスに琥珀色の液体が注がれている。表面にはきめ細かい泡がびっしり覆っている。心の中は準備万端、ぐびぃと口に流し込めば、ほろ苦さと炭酸の刺激が口腔粘膜を刺激し、すぐさま喉に押し寄せる。
こどもびいるは見た目は殆ど同じ(?)だが、根本的に味が違いすぎるのだ。大人は見事に気体を裏切られ、そのもの自体が持つ味よりもその違和感が気になってしまうのだ。
ムラサキの液体はブドウ、緑の液体はメロン、褐色の炭酸飲料であればコーラ、と自分の期待通りの味であればそれは美味しく感じ、期待と違う味であれば、本来の味を感じ取る事は難しい。
食べ慣れているものを美味しく感じる機構はこれと関連しているのではないか。
見た目や香りで予測される味が裏切られる心配のないものは、美味しさを安心して楽しむことができるからだ。
脳はインスタントラーメンにグルタミン酸の突出した旨みを期待しているはずだ。
醤油を垂らすどらねこは、塩味だけでない、独特の風味を料理に求めてしまっているのだ。自分の期待通りの味となることを事前に予測したいが為に。
必要なことは何だろう。若い頃から多様な食材、料理法に触れることなのだろうか。
期待する。そして、期待通りになることを望む自分。それこそ人間らしい振る舞いなのではないだろうか。偏見無く物事を認識したい、それは人間的ではない行動なのだろうか。
此処は、暗黒面そんな事はどうでもいいかな。
「思った通りさ」、「予想通り」は蜜の味・・・