スカイツリーと昔語り

某ブクマ経由でニューズウィーク日本版の「スカイツリーは東京衰退のシンボルだ」と謂う記事を読んだ。

どらねこは東京目黒区生まれだけれど、幼児期から成人するまで墨田区に住んでいて、記事に書かれた内容に対して色々と思うところがあったと謂うだけ*1の話し。
例によらず長文の自分語りなのでお暇な方だけどうぞ。

著者はRegis Arnaud レジス・アルノー という方で1971年、フランス生まれ。仏フィガロ紙記者、在日フランス商工会議所機関誌フランス・ジャポン・エコー編集長を務めるかたわら、演劇の企画なども行う。と紹介されている。

■感情的反発はあるけれど
スカイツリーは衰退の象徴なんて謂われれば、どらねこだって腹はたつ。まぁそんな記事はあっても良いし、ブクマでも注目を集めているくらいなのだから商売としては書いて正解なのだろうと思う。貴方に下町の何が分かっているのさっ!そんな気持ちで読み進めていったら、だんだんと子ども時分に過ごした日々が断片的にだけど浮かんできたのだった。ううん、自分も下町のことを自分目線でしかわかっていないよなぁ、でもそれぞれの持つ個人的な思い入れを胸にスカイツリーを下町に住むみんなは見上げて居るんだよね。折角だから自分の育った町の事を思い出してみようと思う。そして、もう一度スカイツリーを仰ぎ見る事にする。

■それは全て
昔のことを思い出そうとしても大抵は決まった風景ばかり。家から銭湯まで家族で歩いた道路が思い出される。それはやたらと大きな通りのような印象があって、大人になって再び同じ道を歩いたときに余りの狭さにビックリした記憶がある。信号の少ない片側一車線の人通りの乏しい裏路地だった。子どもの自分にとっては、家の目の前の私道が普通の道路で、銭湯へ向かう道路が大通りだったのだ。まぁ、そんな子ども時代のどらねこが彷徨いた下町風景を捏造された記憶も交えて記載していこうと思う。

■近所の公園
どらねこにとって、公園と言えば隅田公園だった。それも、墨田区側だけが隅田公園という認識だったような気がする。隅田公園は川沿いの細長い公園で、遊具や釣り堀のある場所から池などの水が流れる場所と多目的広場のような場所から構成されていたと思う。その広場には『やきう禁止*2』の立て札があった。当時は桜橋はまだ出来ていなかった。桜橋のお隣は上流に白髭橋があって、なんか尾崎豊で有名になったようだ。下流には言問橋があって、墨田区側には埼玉屋という和菓子やさんがあって(今もあるけど、当時の面影はあまりない)、そのお店のお団子と赤飯が美味しかったという記憶がある。更に下流には吾妻橋があり、この橋を台東区側に向かうと花川戸という場所にでた。小さい頃はこの花川戸近辺の印象が強いのだけど、何で強かったのかを考えると、新幹線に乗っておでかけするときは、大抵この花川戸から東京八重洲口行きのバスに乗ったモノでした、凄くワクワクしていたのでしょうね。もう一つ楽しみがあって、それは松屋というデパートへ買い物へ行くことでした。子どもの頃の贅沢はこのデパートで昼食を摂ることだったのですね。屋上のゲームコーナーも楽しみでした。屋上から我が家のある方向を見つめると、記憶の中のその風景は大抵曇り空であるのです。もし、今その場所に立てば当然目に入るであろう、アサヒビールのオブジェ心の炎は存在しませんでした。それと、忘れてはいけないのが浅草寺の近くにある遊園地花やしきですね。どらねこが子どもの時分は入園料も無料で、裏にある生き物屋(金魚とか水生昆虫とかを売っていた)に入り浸っていたものです。錆びたフェンスに絡まる白ブドウの蔓が今でも印象に残っております。ところで、花やしきの遊具でひときわ目を惹くのが人工衛星と呼ばれる(だよね)建物は当時は遠くからでも目につきました。そう、浅草寺からも。あの風景に違和感を持った方は当時にも存在したのでしょうか。それにスカイツリーが加わったところで、だから何?なんだよね、どらねこにとっては。

■心の炎
どらねこの母親はビールが大好きで、キリンビールを愛飲していた。そして、なぜかどらねこもキリンビールが苦いという事を知っていた。そんなキリンビール好きの母親でしたが、一年に一度だけ、アサヒビールファンになる日がありました。墨田区にはこのアサヒビールの工場があって、年に一度地元の人を招待する工場見学イベントがあったのですね。その日はタダで(だったと思う)で新鮮で美味しいビールを味わうことが出来るため、その日だけはアサヒビールを飲んでおりました。どらねこも独特の臭いと、楽しげな雰囲気に興奮した記憶があります。その後しばらくして工場は閉鎖となり、その地には新しい区庁舎とアサヒビールの本部ビルが建立されました。その本社ビルの傍らにはアネックスビルと謎の黒い建造物の姿がありました。謎の黒い建造物は金色のオブジェがのっており、地元の子どもの間ではとても評判になっていた記憶があります。建立されてしばらくの間はそのオブジェの名称と意味を記した看板が立てられておりました。しかし、その看板の存在を主張する私に同意をしてくれる地元民すら居ないぐらい、その看板の存在は圧倒的なオブジェの前にかき消えてしまったのでした。看板には記憶の中では次のように書かれておりました。

−心の炎−
このオブジェは皆の心にある情念を表したものです。
               ・デザイナーの名前・

台東区側の吾妻橋の袂から本部ビル群を観るのが好きです。都鳥かすめ飛ぶ風景は私にとって幼少時に松屋から眺めたすすけた風景よりも断然美しい。

■あたりは焼け野原だった
東京下町は古い町並みなのだろうか。古いってどれぐらいから古くなるのだろう。でも、古くさい町並みであるという表現なら納得できるかなぁー。当時の風景をうつした写真でも良いのだけど、その地で生活するモノの雰囲気を表していて尚かつ手に入りやすい文献って何だろう、それは漫画なんじゃないかと思う。勿論その描写には脚色が溢れており、正確な資料としては何らカチのアルものでは無いだろうけど、雰囲気は良く出ていると思うのだ。じゃあ、どんな漫画が良い?一つめは巨人の星かな。幼少時の星飛雄馬が高校生の王貞治に挑戦したりする描写があるから、彼は墨田区近辺の下町で暮らしていたのだと思う。もう一つは、あしたのジョーだ。地名が登場する場面は少ないが、ジムがつくられた涙橋は台東区荒川区墨田区の中間に位置し、ドヤ街と呼ばれた吹きだまりのような町であったとされている。当時東京は山手線から東側へ行けば行くほど貧困地域となると呼ばれたほど(親曰く)であった。最後にもう一つ紹介するのはちばあきおのキャプテンという漫画だ。これは明確には示されないが、墨田区を舞台に繰り広げられる野球根性漫画だ。主人公の住む下町の雑然としたまるで戦後復興期を思い出させるような粗末な暮らしぶりがよく伝わってきます。特にあしたのジョーとキャプテンについては、作者であるちばてつや、あきお兄弟が幼少期に墨田区で過ごしており、幼い彼らの目に映った下町の様子が反映していると考えても的外れではないような気がする。漫画の中の風景には観光客が目にして美しいと感じるような古い町並みと謂えるような上品さの欠片もないように、どらねこには見える。まぁ、それにはソレの良さがあるとは思うけどね。
そんな漫画にみられる墨田区の風景は巨人の星の時代には酷く殺風景である。その後はあしたのジョーやキャプテンにみられるような雑然とした町工場と平屋が目立つ住宅地となった。どうして殺風景だったのかと謂うと、おそらくそれは焼けてしまったからだと思う。

■家や学校で聞かされたこと
どらねこの住んでいた町は、昔太平洋戦争という戦争のせいで辺り一面焼け野原になったんだよ、とおじいさんに何度も聞かされて育ちました。学校でもそんな話を何回も聞きました。殆どの家が焼かれて文化財なんかも一緒に焼けてしまったそうです。観光地として記事で名前が挙がるような浅草寺でも五重塔を始め幾つかの建物が焼夷弾により焼き尽くされてしまったと聞きます。今あるのは戦後再建されたものなのですね。江東区にある亀戸天神もその殆どが喪われております。そういえば、戦争前にも関東大震災による火災でも多くの建物が焼失したという話も聞いておりました。小学校の社会科見学では震災慰霊堂を見て回ったモノでした。園内にあるイチョウの木が戦争だか震災だかで歪な姿を残しているのは子供心に怖い思いをした記憶があります。そんなわけで、今残っている古い町並みとされるモノの多くは、思い入れのある地域住民達の尽力により再建されたものなのね。だから今もその姿を見ることができるのは本的には住民の意思で残したモノであると思うのです。その地に住む住民が大切に思うもの、必要に感じるモノが今にも残っているのです。基本的には観光を意識して残そうとしたモノじゃないと思うのだよね。

■あの場所
スカイツリーの建設されるあの場所の近辺は子供心に勿体ないなぁと思われるようなあまり使われていない土地でした。あとで知ったのだけど、あの一帯のほとんどは東武鉄道の所有地だったみたい。現在の東武鉄道新本社ビルが建っている辺りはどらねこが子どもの頃にはあたり一面の野原でした。本当は入ってはいけない場所なのでしょうが、近所に住む子ども達そこで遊んでおりました。基本的には草ぼうぼうなので、虫を採る目的で入るのだった。住宅時ではまずお目に掛かる事の出来ない、イトトンボの仲間やキボシカミキリ、クサキリなどなど様々な昆虫と出会える場所でした。その地が開発の予定がたち、完全に立ち入り禁止になったとき、どらねこは子どもではありませんでしたが、なんとなく寂しくなったモノだ。

スカイツリーとともに
でも、スカイツリーを見る度にそれらの思い出が蘇るんですね。今まではあまり気にすることが無かったのだけど。テレビに映るその姿とともに色々な思い出が蘇るのです。完成を待つワクワクした気持ちは勿論あるのだけれど・・・