親が苦でなく親楽でもイイと思う

3月14日付けの産経ニュースより:【親学Q&A】(5)発達障害の予防

質問 発達障害を予防する子育ての在り方とは?
 回答 金子保・片岡直樹・澤口俊之著『発達障害を予防する子どもの育て方』(メタモル出版)によれば、発達障害人間性知能(HQ)の発達障害が主な原因で、「乳児期や幼児期での環境が良ければ、障害として現れないか、現れても健常範囲」であるといいます。
 脳生理学研究者の澤口俊之氏は、生後2歳ごろまでの乳児脳の段階なら「発達障害は予防できる」「発達障害の改善は8歳ごろまででなければ難しい」と指摘しています。
 では、予防のためには一体何が必要なのでしょうか。それは昔から日本人の誰もが実行してきた伝統的な子育ての在り方を取り戻すことなのです。
<中略>
 発達心理学脳科学の最新の科学的知見によって、日本の伝統的な子育ての意義が創造的に再発見されています。親学推進協会はDVD「子育ての再生を目指して〜科学的知見に基づく子育てのポイント〜」を作成し、そうした知見の啓発活動を行っています。科学的知見に基づく親学を普及することによって、さまざまな効果が期待できるのです。(親学推進協会理事長 高橋史朗

ちょっと前の記事を引っ張ってきたのは、今の今までというか、今でも考えが纏まらなかったから。非専門家であり、理解の足りない私には手に負えるモノではなかった。それでも、言及するというのは、個人的事情と感情に因るところが大きい。上手く説明できないけどこんな感じだ。

私の長男はASDに分類される、発達障害を持っており、発達障害への理解には関心がある。
ASDは脳の先天的な機能障害であると認識している。
長男は自然育児を標榜(というか極めようとする)する保育園(所謂マクロビ保育園)に通わせているので、日本の伝統的とは合致する部分もある。

この記事内容や名前の挙がっている方々の主張については全く賛同出来ないのだが、その一部については結果的に好影響を及ぼす可能性が有るのではないか、という印象なのだ。それだけに余計質が悪いと(個人的に)思ったので、印象をまとめて、なんらかの形にしてみようとしたわけだ。

記事を読んでまず感じたこと
・親学の主張って何?
・此処で謂う発達障害の定義
・日本の伝統的な子育てのあり方とはなんだろう?
脳科学の最新の知見と日本の伝統的な子育
・参考文献の著者、とりわけ澤口氏


■親学と高橋史朗
私が気になるのは親学の主張だ。
要約すると、家庭の役割が果たされず、まともな親が居ないことが最近の学級崩壊の原因である、というものや、母親と父親の理想像と役割分担、行き過ぎた性教育純潔教育)、子どもに自由を与えすぎている、などなど。まぁ、伝統的な良き日本を取り戻そう的なものでしょう。そこに、最近の脳科学の知見が証明しているみたいな言説を挿入するのが特徴の一つだろう。
ちなみに、高橋史朗氏は、新しい歴史教科書をつくる会の元役員である。

発達障害に対するアプローチ
引用文献著者の一人である、澤口俊之氏公式ウェブサイトには発達障害への理解と対処を次のように記述されている。

障害児の主要な障害は前頭連合野の諸機能,つまり人間性知能 HQの機能障害(HQ障害症候群)です。そのため,HQ改善法で障害児は改善します

『HQ』は以前氏が『PQ』と呼んでいたもので、Humanity Quality という指標の略語だそうな。これは氏独自の理論である模様だ。
私が見た限り、HQ障害性症候群にはASDやADHD、その他LDなども含むようだ。ふと思ったのは、もしかしたらストレスなどが要因となった問題行動の多い子などもこの範疇に含まれてしまうのでは無いか、と謂うことだ。又、ASDやADHDによる関係性の構築が上手くいかないことに因る二次障害なども、関わり方を変えることで改善させる事は可能であり、氏の謂うHQに基づく対処法というのはこの点を改善させている可能性が有りそうだ。
自分定義の発達障害で有るとしても、発達障害を一括りにした表現で予防できるという言説は如何なモノであろうか?

■親学の教育と澤口氏*1脳科学(?)基づく教育の共通点
親学は和文化教育を尊重している。そして、強い父親像を理想としている。澤口氏は『新潮45』に於いて、戸塚ヨットスクールに学べと述べている。

■日本の伝統的な子育てのあり方に基づく発達障害のアプローチって何?
親学の主張をASDへのアプローチに当てはめてみると・・・
・母親はもっと愛情深く子どもを抱き留めなさい→関係性の構築が上手くいかない状態で何はさておき、子どもを大切にというのは対処としては妥当かも。
このように的外れとまではいかないモノを持っては居るのだが、この考えの根本は、親からの愛情不足や精神的虐待などによる二次障害の予防には効果があるかも知れないが、それはASDの発症原因が環境要因にあるとされる精神分析的理論の域をでない完全な時代遅れの考え方とも見なせるのだ。
但し、次の主張は時代遅れとまでは言い難いと思う。
・生活習慣の確立と躾の徹底→構造化(ちょっと強引ですが)
結果的にTEACCHの方法論と同じ理屈で作用する可能性はあるかのかも知れない。

■結果的に良い面があることが心配
HQ的に発達障害を捉えれば、この方法は効果が一部見られるかも知れないし、見られたとしてもおかしくないとも考える。ソレの何が問題なのだろうか。
発達障害は先天的な脳の問題であり、現在は根本的な治療法は見つかっていない、と謂うのが主流の考えである。その中で、それなりに名の知れた研究者であったヒトから『予防できます』などと謂われては揺らいでしまったとしても、当事者であれば責められない、というか、仕様がないとも思う。このような誤解を招くような表現は本当にやめて貰いたい。
そして、伝統的な日本の教育で改善される事例があるのだとしても、それは結果的に見て適していただけであったり、本人の成長が単にめざましかっただけなのかも知れない。良いところが有ったとしても、それ以外の不要な部分はあるはずで、最善を目指すのであれば、その必要な部分だけを採りだし、療育として洗練させていけばよいのだ。そのような作業をしないで親学を奨める姿勢については、イデオロギー付与の口実と私の目に映るのである。
部分的に良いところが有るからこそ、そのままずるずると利用し続けてしまったり、変に広まったりするのではないか、それが心配なのだ。

*1:どーでもいいが、彼のネオテニー論はラマルク的な何か臭がプンプンするよね