探る

 予定通り良い具合に酔っぱらっております。(かなりぐでんぐでんだったりする。ヤバイ)
 明日の朝読んだら恥ずかしくて『みゃ〜〜』といってしまうような事を書きたいと思います。

 索敵というと、何となく面で捉える印象だ。検索というと何となく、事象全体を網羅するような印象をもってしまう。
 実際の科学について考えると、何となく触手を慎重に伸ばしていくという作業を繰り返し、見えないモノの形を探り当ててきたような印象だ。
 物事を考えるとき、慎重に触手を伸ばすように考えることもあるだろうけど、大抵はある程度の範囲をザクッと切り取ってしまうのではないのかな。で、そんな言説を求めているヒトは案外多くて、それは意外と支持を集めちゃったりする。
 でも、大概はそんなに簡単にいかなくて、多くの誤りも内包していたりする。そう、内包なんですよね。
 解釈というのはとっても大事で、人間は自然の有り様を正確に理解できるはずもないから、厳密に言うとみんな解釈になってしまうはずなのよ。でも、同じ解釈でも雲泥の差があって、前述したような面で切り取ったようなモノには明らかに一つの解釈では成り立たない矛盾を孕んでしまうわけ。
 立体的なモノについては面で捉えていては決してその全貌に近づくことは出来ないのよ。地道でも、糸のように触手を伸ばして全体を捉えて捕まえる必要があるわけなのね。
 でも、自分たちはずっと動き続けているわけだから、面で捉えるにしても、その都度表面上捉えることの出来る情報を更新し続けていれば、それなりに理解できるワケなのだよね。
 絡め取りながら修正を続けるやり方はとっても難しいけれど、それは次の世代にも引き継ぐことのできる有用な情報であったりする。
 そんな面と糸をのばすような解釈を比率は違えどみんなやっていて、人間の認識する社会は動いているんだろうなぁ。
 あ、目が回ってきた。
 
 なんか言い足りない気もするけどここで終わりにしようと思う。