カキゴロシーのホメゴロシーのホノメカシー

此はとあるブログのとある記事にじゃれつく為に書かれたモノである。

上から目線のヒクツな媚びを売ったところで本題であるが、真実蟻のママをそのまま書いても「どらちゃん、みっちゃん、遊んでくれてアリガトウ、つれてってくれたお店の料理はみんなとってもオイチカッタよ! すっごくたのしかったネ!」と謂う冬休みの絵日記みたいな記述で終わってしまうので、ここはやっぱりふんだんに嘘を盛り込んで不必要に長い作り話をしよう。

一応お断りしておくが、単に面子が同じだと謂うだけで南千住研究所Zの「おかダ」シリーズとは違って単なるウケ狙いの悪趣味な悪ふざけであり、総じて極一部の方々にしか通じないネタなのでそう謂うのが嫌いな方は無理して読む必要はないし、最後まで読んでも一切有益な情報はないと謂うことは予めご承知おき願いたい。

そのようにして始まったクロネコッティ*1の東京オフ懐古記事であったが、そこにはウソと真実が盛大にコンタミし存在しており、不必要に長いことは間違いは無いが、其処には有益な情報もレアメタルのように埋蔵されているのである。
このエントリは、そうしたウソや虚構の狭間に埋もれた真実を掘り返しながら、許容できない記述については真っ向から反論しておこうという趣旨の元書かれたモノである。全く以て退屈きわまりない駄文であるが、自己満足の為にはやむを得ないのであるからしょうがないのである。では、早速はじめよう。

■虚偽と一面の事実
一部のヒトしか読まないであろうエントリに力を加えすぎるのは如何にも勿体ない。なので、気になる箇所を引用しながら問題追及をしていくというスタイルを採用したい。引用部分について、赤字は事実と異なる記述青字を事実として色分けさせて頂く。

しかし、例の総括を思い立ってからホメオパシー関連の情報を得る為に余儀なくどらねこさんやうさぎ林檎さんのツィッターに四六時中貼り附いていたところ、どらねこさんが年明けにツィッター仲間とのオフ会を発起したことを識った。この機に乗じてオレも混ぜてもらえば、双方気兼ねなく直接対面を果たすことが出来る。

どらねこはホメオパシーについてツイッター上であまり言及しない。ホノメカス程度である。

書き込みをしてから時を移さず、即座にどらねこさんからお返事が来たのだが、その内容は今考えても何だか不得要領のおかしなものであった。ご本人の許諾を得て、ここにそのお返事を全文転載する。

許諾した記憶・・・0

もしかしたらこの御仁は、わざわざ辞書検索してまで意図的に変な漢字を使っているのではないのか。ふつふつとどらねこ文体の欺瞞性に不審を感じたことは事実であるが、それでも何だか先方さんのほうでも妙に積極的で、戒壇の内用を武路具の寝たにして干し飯と謂うことだけは理解した。

この部分の記述については概ね真実である。地口に当て字がツイートの大半であり、多くのフォロワーを呆れさせる昨今である。

もとより姉妹の猫と三人暮らしの気楽な渡世であるから、大掃除も初詣もお節料理もナシの極普通のいつも通りの日常で、世間では「お節もいいけどカレーもね」と言っているような時期に、往復一〇キロ歩いて百均回転寿司を喰いに行くと謂うゴーイングマイウェイな生活を送っていた。

待ち合わせ場所は都内某所某駅の改札口である。
こう謂う場合…つまり見ず知らずの相手と初めて会う場合、オレは一目で「ああ、こいつが黒猫亭だな」とわかるようなナリをしていくことにしているのだが、この日も「如何にも黒猫亭」と謂う服装で出掛けたので、ほぼ改札を出た瞬間にご両所と対面を果たすことが出来た。

白かったら詐欺だっ!と罵ろうと企んでおりました。

取り決め通りケータイでコールして鞄から取り出す人がいないかと見回すと、向こうのほうにいた小柄な学生さんがケータイを耳に当てているのと目が合ってしまった。

そうすると、その隣にいるガッチリした人物がみつどんさんと謂うことになるのであるが、オレが想像していたみつどんさんは、ベタに喩えるとアリキリの石塚某のような曲面だけで構成されたアウトラインを持つ人物である。だが、「小さい学生さん」の隣にいる人物の幾何学的なアウトラインは「大きい直方体」であって、縦にも大きいが横にも大きく、全体の輪郭が直角と直線で構成されているのだから、その総合としての全体的印象が「大きい直方体」である。
念の為にチラリと横から見てみたが、横から見ても前から見てもやっぱりアウトラインは「大きい直方体」で、喩えて言えばゴールドライタンとか悪魔超人サンシャインとか精々丸いものに喩えても太陽の牙ダグラムみたいな体型である。この日はご両所共に濃色の服装だったので、みつどんさんは黙って立っているとモノリスみたいに見えた。

異論無し

一方、どらねこさんのほうをよくよく見れば、たしかに前日ケータイで会話した時にも若い声だと思ったのだが、声だけではなく見掛けも若い。小柄で見掛けも声も若いのであるから、学生さんに見えても仕方がない。何となくアイコンのぬこイラストの印象から茫洋とした牧歌的な風貌を想定していたのであるが、逆に色白で目が大きくトッポジージョのような顔をしている。

認められません。エルバッキーそのものです。

そう謂う次第で、二人ながらにこちらの想定を大きく裏切る風貌だったのであるが、性格的な面でも、事前の予想ではみつどんさんがご陽気によく喋りどらねこさんはそんなに口数が多くないのではないかと思っていたところ、実際にはまったく逆であった。どちらかと謂うとみつどんさんは話を聞く側に廻ることが多く、どらねこさんは話したいことが次から次に口を突いて出るような印象でよく喋った。

幼少時からおしゃべりでした。


「お正月は如何お過ごしでしたろう」と謂うような前フリから入って「いやまあ、ぼちぼち」みたいな流れから「こちらはとんと寝正月であった」みたいな想定通りの流れに持っていって、オレが「いやもう、独身男のことであるから自堕落なもので、つい先程風呂に入ったばかりで、髪も乾かぬうちに駆け附けたのである」と地の文とクベツが附かない口調で口にした瞬間、どらねこさんの顔色がサッと変わった。
普通に話をしていてちょっと横を見ると、並んで歩いていたはずのどらねこさんの姿が見えないので、振り返ってみるとどらねこさんが青い顔をして立ち竦んでいる。
「どうかされたのだろうか?」とオレが尋ねると、「いえ、何でも有馬温泉モフ」と答える声が心なしか震えている。気のせいか、と思い直して「お恥ずかしい話なのであるが、実は暮れ正月は洗濯をサボっていたので着て行くものがなく、昨日慌てて洗濯を済ませたような次第なのである(げらげらげらげら)」と、ここが笑い所であるから満面の笑みを向けると、どらねこさんはロコツに表情を歪めて何も答えようとしない。
何かを必死で堪えるように肩が小刻みに震えているように見えた。慌てて少し後ろをついてきていたみつどんさんのほうを見ると、これもやはり何だか憮然とした面持ちでこちらと目を合わせようともしない。数瞬の間気まずい沈黙が流れた。
何故だ。
何故こんな空気になるのか。
オレが何か無神経なことでも言ったのか。
ワケがわからない。
実時間にして精々数秒のことだったと思うが、永劫とも思えるような重苦しい時間が過ぎた後に、どらねこさんが何の脈絡もなく「…鶏和え酢ですね」と言って明後日のほうに話題を変えた。

そうこうするうちに最初の店に到着して、閉所恐怖症のオレは有無を言わさず入り口に近いほうの下座に席を占めた。これはもう、長年の習慣なので仕方がない。奥のほうの席に座って隣にみつどんさんが来ようものなら、多分パニックを起こしてテーブルの上を走って逃げるだろう

地下の狭い階段を下りたところにその店はありました。私でもみつどんさんに奥の椅子へと誘導しました。火災が発生した場合、彼の体が狭い階段を塞ぎ、逃げ遅れることを畏れたからに他なりません。

落ち着いて話をすると、前述の通りどらねこさんはよく喋った。オレも気まずい沈黙が大嫌いなお喋りであるから、自然と話が喰い気味になることが多く、お互いの話の呼吸がわかってくると、お喋り同士の間で大分に会話が盛り上がって、時々みつどんさんが巧みにフォローの言葉を挟むと謂う具合であった。

ウソ偽りのない事実

相手はオレのところとは比較にならないくらいアクセスの多い人気ブログの主たちなのであるから、本音を言えば妬ましくて仕方がない。こうして直接会話する機会が持てたのであるから、是非ともアクセスやブクマを増やすコツを伺おうと思っていたので、単刀直入に聞いてみた。
「しかし、どらねこさんは凄い。どうしたら四六時中ツィッターをしながらブログのエントリを書けるのか、不器用者のオレなどには想像すら出来ない」
「…仕事も仕手モフ」
「そうそう、そこがまた凄い。ツィッターとブログのついでに仕事も済ませてしまうとは、まことに恐れ入ったマルチタスク能力である」
「…そこは『ついで』邪ないモフ」
「とまれ、オレなどはブログ一本しかチャネルがないのだが、相応のリソースを割いてエントリを書いても一日のアクセスが○○○前後と謂う体たらくなのである」
「ボクのところもその暗いモフ…庚申竹刀日は」
ちょっとカチンと来たが、気を取り直して言葉を継いだ。
「なるほど、では更新するとどのくらいなのだろうか」
「ざっと○○○喰らいモフ」
…ウチの一〇倍ほどの数字をサラリと言われたので、自分から話題を振っておきながら軽く凹んだ黒猫亭であったが、そこへそれまで黙然と二人の会話に耳を傾けていたみつどんさんが、黒猫亭の面白からぬ様子を察してかおもむろにフォローの言葉を挟んだ。
「いや、黒猫亭さんのところよりボクのところがヒドイですよ。ここ二カ月くらいはアクセスが二桁台に落ち込んじゃいましたから」
期せずしてどらねこさんと目が合った。二人とも心の中で「それはあんたが二カ月もブログの更新をサボっていたからだろうが」とモンゴリアンチョップのような怒濤のツッコミを入れていた
「それでも黒猫亭さんから厭味な…もとい励ましの言及をいただいたので発奮して、年末滑り込みで更新しましたから、久しぶりに○○○くらいのアクセスが…」
…やっぱりウチの一〇倍くらいじゃないか。妬ましい。妬ましすぎるぞ、丼男。他人に肥満を感染させただけでそんなにアクセスを稼ぐなど人として疚しくないのか
流石にみつどんさんは、仕事柄その場の会話の間を取ってスマートにフォローする術を心得ているが、率直に言って気の遣いどころがズレている。しかし、そこで妬ましさに身悶えしていても見苦しいばかりなので、オレも大人の対応を心懸ける。
「いや、みつどんさんも凄いのである。あのようなほんの思い附きで書き殴ったエントリに、あっと謂う間にブクマが二〇〇も附くなどとは、とてもとても…」

ヒトとして疚しく無いのか!

困ったな。ツボがわからない。出会い頭から続くこの厭な流れに一貫する「隠された共通項」は何なのか、それがサッパリ掴めない。状況を支配する裏面のロジックを洞察出来ない以上、オレには事態を打開する術がない。千日手の手詰まりである。
この緊張を解いたのは、やはりフォロー巧者の悪魔騎士サンシャインであった。
「…どらねこさん」
「…はひ」
「ここは『鶏和え酢』じゃないでしょうか」
「あ…はいはい、鶏和え酢モフね…」

サンシャインとおしゃべりマルチタスカー?アシュラマン

お二人のほうのエントリでも紹介されているように、最初の店は世界のビールが楽しめるスタイルの洒落た店であったが、悪いほうに丼勘定でメニューには莫迦の一つ覚えのように「〇」が三つ並んでいて、謂わば百均回転寿司の対極に位置する経営スタイルと言えるだろう。
加えて、オレのように、最初はいろいろ試してみるものの、これと決めたら他の銘柄を試してみようともしないコンサバな人間は情報収集の意欲や好奇心が希薄…つまりは物臭なのであって、お二人の旺盛な好奇心とビールに対する該博な知識、尖鋭な五感の官能に基づくハイブラウマニヤックな会話には到底附いていけない。
殊に近年はすっかり貧乏暮らしが板に附いてビールの味がする水みたいな代物のクリアアサヒ一本槍であったから、ビール好きの端くれなどとは烏滸がましくて言えた義理ではない。「『こんな感じ』の銘柄と謂うのはどれだろうか」と謂う具合ですっかりお二人に下駄を預けて、出されたものを黙って呑んだ。
…ホントに「こんな感じ」で美味いじゃないか。これは、こちらの注文通りの性格の官能を持つ銘柄が何であるかを掌を指すように知悉していると謂うことであるから、何だかクイズを出して簡単に言い当てられたようでとても悔しい。
程々にテイスティングを楽しんだところで、流石にお二人もこんなところで酔うまで呑んだらエライことになると謂うことで、もう少し懐に優しい種類の店に河岸を変える運びとなった。

後悔なんとやら

流石に喰い物についてはちょっと煩瑣い美味しんぼ直撃世代のブロガーであるから、美味い店を嗅ぎ分ける嗅覚やセブンセンシズが尋常ではないと舌を巻いたが、喰い物が美味い場所で話をすると自然に話題が喰い物に偏る。つか、ぶっちゃけ美味しんぼの話題に特化していた。
「ラーメン屋には何故高確率で美味しんぼが揃っているのか」「それは美味しんぼに触発されて脱サラ開業する店主が多かったからではないか」「ちょっと待ってくれ、美味しんぼではラーメンを異端視しているはずだ」「そこで無化調ラーメンブームですよ」「なるほどこれは一本取られましたな」「何だこのつくりは。女将を呼べぃ」「一週間待ってくれ俺が本物の」「みんなこれを見てくれ」「あんなやつを父親だと思ったことはない」「そんな心の狭い人はいやだわ」「まったりとしてはんなりと」「舌の上でほろほろほどけるまろやかな口当たりが」「や〜ま〜お〜か〜〜〜!」「美味すぎて逮捕する〜〜〜!」「こいつは珍な味でげす」「さすが天才岡星…」「もうこれ以上泣かせること、せんといてほしいわぁ」「良三さん、次は負けないよ」
…と謂うような会話があった
かなかったかはオレの口から言うべきことではない(言うべきことだろう)。ただ一つ言えることは、みんな美味しんぼが好きだ…いや好きだったと謂うことである。美味しんぼが食の領域に与えた功罪両面の影響を思えば、単純に現在の美味しんぼの凋落ぶりと極端な自然崇拝を非難して足れりとするには、相半ばする愛憎が複雑すぎるのである。
最終的に一致した結論は、「美味しんぼ早く終われ」であった。終わってしまえば過去の時制における歴史性に依拠して是非を判断するしかないが、現在進行形で続いている限り過去の過ちと訣別することは出来ず、過ちの拡大再生産が続くことになり、その是非は常に現在の時制において秤量されることになる。ならば、綺麗サッパリ終わってしまえばそれで好いのである。

ほとんど青まみれの元エントリを作り話の嘘八百と謂って良いのだろうか?そしてまだまだ続く。

良心的な価格設定の美味い料理を思う存分堪能し好き放題に生ビールを痛飲した後に店を出た一行は、「気勢を挙げた後はソフトドリンクでしんみりトーク」の法則通り最寄りのファミレスに場所を移した。話題は勿論、ニセ科学問題やホメオパシー、それを巡るネット言論などについての真面目なものであった。
話題がシリアスになると自然に話が長くなるので、どらねこさんがワーッと喋りそれに答えてオレがワーッと喋り、時折みつどんさんが「誰が上手いことを言えと」な的確な補足や核心を突いた意見を加えると謂う具合に、ここでも会話が盛り上がった。

なんかホントにこのパターン、サンシャインミツドンさんゴメンなさい。しかし、どらねこももっと気を遣えよな。

全体的に、お二人とは価値観や目的性の認識において一致するところが多く、見解を異にする場面でも、これまで思いも寄らなかった観点からの気附きをもたらすような発言や情報が多々あって、総じて穣り多い会話であった。

ですよねー。

ニセ科学問題が話題となると、やはりオレが論壇にコミットして以来いろいろお世話になっているpoohさんに対する言及が多くなり、「poohさんはこうである」「poohさんはこう仰っている」と謂う具合に名前を挙げる機会が自然と多くなった。

どらねこも色々聞きたかったんですよねぇ。

一頻り会話が落ち着いた頃、どらねこさんが如何にも自然にさりげなくこう言った。

「黒猫亭さん、poohさんとは世歩度お浸しいのですねモフ」内心では「『お浸しい』じゃ誤変換ですらないだろう、つか、さっきツッコミ損ねたけど『何でも有馬温泉』って駄洒落じゃねーか」とツッコミを入れつつ、「いや、たしかに親しみはあるけれど、一度もお会いしたことはないし、或る程度の距離感を持って是々非々の姿勢で言論を交わすような間柄だと思うのである」ちょっと格好を附けて言ってみたのであるが、どらねこさんの目が一瞬キラリと光ったのが気になった。隣のみつどんさんも、チラリとどらねこさんのほうを向いた意味ありげな目附きが気になる。何ぞ事あらばフォローする気マソマソである。「でも、逸れってオトモダチって糊塗ですよねモフ?」「いや、何と謂うか…厳密に言えば…」「厳密にはともかく、大きく括るとオトモダチなんですよね?」何故か口調がどらねこ文体でなくなっている。何だか変にマジである。縋るような怯えるような潤んだ瞳で真っ直ぐオレを見詰めてくる。すでに「オトモダチ」と謂う術語の定義が曖昧なのであるから、それに輪を掛けて「大きく括られて」しまったら、否定し得る根拠がなくなってしまった。「…まあ、大きく括るとそんなところであろうか」どらねこさんの肩から目に見えて緊張が抜けた。「じゃあ、今日こうして直接お会いしたんだからボクともオトモダチですよね?」畳み掛けてくる。どらねこさんのほうがそう言うんだから、こちらも別段オトモダチでも全然構わないようなものなのだが、その口調に何だか言質を取られるような唯ならぬ切迫感があって一瞬返答に詰まってしまった。「どうなんですか、オトモダチですよね? 違うんですか?」…だから、なんで口調が変わっているんだどらねこ。それに否定形疑問文はよせ。「その通り。黒猫亭とどらねこさんはオトモダチである」無理矢理復唱させられたような形で、相手の言葉を肯定した。「だったら、この命題の帰結としては、黒猫亭さんとpoohさんはオトモダチで、ボクと黒猫亭さんもオトモダチで、そして、オトモダチのオトモダチはやっぱりオトモダチなんですよね?」困った。仮定から出発したロジックの段数が多すぎる。最初の最初から定義が曖昧な話なのであるから、肯定しても否定しても実質的に「相手の言葉を肯定=否定した」と謂う以上の「意味がない」。オレは何故こんな立場に立たされているのか。ここは肯定も否定もせずにメタ的な留保を設けるのが常套的な議論の手続である。「結論に飛躍があるように思う。厳密に言うと…」「厳密にはともかく、大きく括るとオトモダチなんですよね?」また大きく括られてしまった。もうこうなると言い逃れのしようがない。そもそも何故この言葉に対して「言い逃れ」をせねばならないのか、このツツイ的不条理感の源が奈辺にあるのか、オレにはサッパリ飲み込めない。この高度情報化社会において、状況を支配するルールを識らないほうが交渉に負けるのは理の当然である。「大きく括るとその通りである」渋々認めると、どらねこさんは大層満足げな微笑みを浮かべている。どう謂うわけなのか、大きな敗北感を覚えた。何だこれ。なんで「黒猫亭とpoohさんとどらねこさんはみんなオトモダチだ」と謂う空疎な命題を肯定するだけのことで、こんな理不尽な敗北感とか「してやられた感」とか「便利に使われた感」を覚えるのだろうか。
この感覚は、喩えて謂えば、何だか為になりそうな自己啓発の講習会と謂う名目で集められて、気が附いたら体育館みたいなだだっ広いところで一組二〇〇万もする羽毛布団を何組も買わせられた人間の感覚に近いだろう。

なんとまぁ、長ったらしい陰陽引用だろうか?しかも全て赤字である。此処で弄されたニセ会話中に見られるロジックの脱力感はなんだ?血液型性格断定か、はたまた審判者の大仰な独り言であろうか?

しかし、どらねこさんのほうは今の不審な遣り取りなどなかったかのように話題を換えて、ツィッターのトピックスなどを語っている。ツィッターに関しては、オレも現在は覗くだけに留めているのだが、多少興味がないでもなかった。そのことを告げると、お二人揃っていやに手を換え品を換え参加を勧めてきたのだが、どうも今ひとつ踏ん切りが附かない。そこで、また一つ余計なことを口にしてしまった。
「たしかに興味はあるのであるが、オレのような生来の社交下手が、たとえばみつどんさんみたいに百何十人もフォローするなどと謂うことは出来ないし、逆にあまり好ましくない人からフォローされたらどうしたものかと困ってしまうのではないか
…思えば、これが当日最後にして最大の不適切発言であったらしい。その場の空気が一瞬にして凍り附いたことを、三人共痛い程に意識していた。どらねこさんは最早硬直して何も言わなかった…否、言えなかった。みつどんさんは、この気まずい空気を如何にして取り繕うべきか、その大きな胸の裡で忙しなく計算していたようだが、最終的には匙を投げたらしく、ポツリと苦々しい一言を漏らした。
「…黒猫亭さん。ひょっとしてそれはわざと言っているのですか?」

フォローしたが最後だとおもうよ。かわいそうな好ましくないヒト・・・

帰宅後に改めて思い返すと、総じて楽しく穣り多い会合であったがやはりどらねこさんの不審な挙動の数々が気になった。一体彼は何に対してあんなに怯えていたのか。唯一つ言えることは、彼が置かれた事情について何ら識ることのないオレの不用意な発言の幾つかが、さらにどらねこさんを追い込んでしまったと謂うことである。
公平に考えればこれは不条理である。しかし、不条理であってもたしかにオレは何だかどらねこさんに悪いことをしてしまったような疚しさを感じたことは事実である。その疚しさがあったものだから、帰宅後すぐにどらねこさんとみつどんさんに宛てて形ばかりのお礼のメールを差し上げ、「こちらの配慮に行き届かないところがあったようなので、不快に感じられたならご容赦ください」と一筆書き添えておいた。

そのようなメールを確認する為にどらねこが数時間を費やしたことは謂うまでもない。勿論、そのようなメールの欠片すら手にすることは出来なかったのだが。

みつどんさんからはすぐに心温まるお返事を戴き「そのような気遣いは杞憂であるからご心痛なきように」と謂う流石のフォローが書き添えられていたのであるが、どらねこさんのほうは立ち直るのに時日を要したらしく、つい先日になって極短い内容のお返事が届いた。その内容は以下の通りで、例によってご本人の許諾を得てここに転載する

虚諾のゴジである。

ハーイ!クロネッキー!
こないだはとっても楽しかったヨ! また東京に来たら遊んでネ! 今ボクはとってもハッピーだから何も気にしなくてもいいんだヨ!
それから、この前お願いした通りオフレポヨロシクです! ボクとクロネッキーがすんごい仲良しだってことをみんなに報告してくれるとウレチイな! 早くツィッターも始めてくれるとアリガタイよ! そしたらボクはちょーソッコーでフォローするからクロネッキーもサイコロクラスターの仲間に入ってよネ! きっとだヨ!
んじゃ、また!
どらちゃんより

サイコロクラスターは強制のような事はしない。何者にも縛られないのがサイコロクラスターなのだから。

如何に不審な挙動が多々あったとは言え、オレが会ったどらねこさんは見掛けは若いがもっと良識的で賢そうな人物で、こんなカタカナとビックリマークだらけのアタマ悪そうなメールを打つような人体の御仁ではなかったはずである。もしかして、何か謎の生物に寄生されて人格を乗っ取られたのであろうか。

モフモフっ!!ホメゴロシーのクロネコッティを皆様どうぞ宜しくお願いします。
だってボクのトモダチなんだから。(ニタリ)

*1:クロネッキーという呼称をどらねこが用いたとされる部分はウソである。書きゴロシーのクロネコッティと敬意を込めて呼ばせて頂いている