正直自分の書いた記事が一番おもしろいと思う自己愛猫です

■バイアス
人間には基本的に公正な目で物事を認識する事がとても難しく、拠ってたつ文化や生活習慣、立場に利害関係、相手への好悪など様々な要因により、偏った見方をしてしまうものです。なるべく公正な目で判断するためには、偏りに対してなるべく自覚的になり、なるべく回避する為にはどうしたら良いのかを考える事が聖人君子でない一般人には必要になります。そのツールの一つとして「科学」という強力な武器があります。本書では、その強力で信頼性の高い武器の名を騙り(装い)、効果効能が実証されたものであるかのように装う、ニセ科学や、検証された科学であるから信頼出来るものであると、自説や主義主張などに権威を与えるような疑似科学などをなるべく「科学的」な方法で「バイアス」に自覚的になるよう努めながら検証を進めたものである*1ように思います。
原稿依頼時には次のようなニュアンスの説明も頂きました。「各項目については、調べた結果に基づいてその真相を述べて欲しい」これは先入観に自覚的になり調査を行い、十分な根拠に基づいて真相を報告して下さいという依頼であると、どらねこは受けとりました。
受け取りはしたのですが、同時に大きなプレッシャーも頂きました。だって、自己愛の強いどらねこですから、偏見バイアスお手の物ですよ。
例えば、今手許に「謎解き超科学」という本があるとして、この中で一番おもしろい記事はどれかな?と、自分で評価をすれば、自分の書いた記事が一番おもしろいと正直感じてしまうのです。また、他のニセ科学批判本に比べてどうよと問われれば、今までの本に比べて画期的で中身も面白いと感じてしまう状況で、バリバリ内集団贔屓じゃないか、という有様です。これはどうみても自分に甘いというバイアスに他なりません。なので、原稿を書いている最中はそんなバイアスに対する葛藤に体をよじりながら涎を垂らしつつ、のたうち回ってようやく仕上げたわけなのです。そんな苦しい思いをして仕上げたのですから、愛着も持ちますし、つまらないわけがありません・・・というようにまたまた偏見が顔を覗かせてしまうのです。
このようにバイアスは人間にはつきものの憎いけれど憎みきれないカワイイヤツなので、本書で扱っているようなニセ科学疑似科学を信じてしまったり贔屓をしてしまう事について、けっしてオカシナ事や自分はそうならない、というような気持ちにはほとんどなりません。
自分の中にあるボクの嫌なこと、それにどう折り合いをつけるのか、現実とは合わなかったとき、その辛い感情とどう向き合うのか?
今回参加させて頂き、本を通しで読んでみたことで、ASIOSのメンバーや他の寄稿者の方々は、そうした気持ちに対してどう振る舞うのか、見本となるような先輩方なんじゃないかな、というような事を感じたりしました。
決して答えを強制しないその態度に、「ボクはアナタとは違うんです」みたいな偏見から生まれる科学者像とは違う、自分と同じように悩んできた優しい先輩の視線を、どらの気のせいかも知れませんが見たように思います。
このような企画に参加させて頂いたこと、自ブログ中で恐縮ですが、御礼を述べたいと思います。ありがとうございました。

*1:個人的見解であり、ASIOSさんとは無関係