ぶらっくきゃっと

どらねこは漫画が大好きだ。子供が出来て以来、お金も時間も足り無くって、新しい本を殆ど買うことが無くなってしまった。それでも、好きな本は数年に一度読み返したりしている。
先日はブラックジャックを押し入れから引っ張り出して読んでいた。
ブラックジャックを読み直すのは2回目くらいかな。
通算3回読んだことになるのだろうか。今では差別的と受け取られかねない表現があったり、医療的にそれはどうなの?という描写も多くて昔は気にならなかった事にちょっと引っ掛かってしまうのだが、問題が多いとされる現代社会が表現や差別問題、医療倫理に於いて相当に前進しているのだなぁ、と実感する切っ掛けとなった。
歴史を偽るという行為が、如何に愚かなものなのかということが、昔の書物や漫画など読むだけで実感できる。記録として残さなければ、記憶は美化されてしまうのだから。
う〜ん、話が横道にそれすぎた。ゴメン
ええと、話を戻して・・・通算3回以上は読んでいると思うが、読む度に泣いてしまったお話しが1つある。それは、『ネコと庄造と』という話だ。
庄造という男は、以前、崖崩れで家族を失ってしまい、症状も後遺症で事件当時の記憶が失われてしまってる。死んでしまった家族を待ち続ける彼は家に住み着いた野良猫親子が自分の家族に見えてしまった。
それ以来、メス猫を妻であった洋子、そののら息子達を自分の子供と認識して生活を続けていた。
ところが、記憶障害の原因は事故の時に生じた脳血腫で、だんだんと大きくなり、彼の脳を圧迫してしまっている。ブラックジャックはその手術を行った。
手術後記憶を取り戻した彼は、事実を受け入れ、家族を失った悲しみに打ちひしがれる。そんな彼の元に、それまで家族として過ごしていたネコの洋子とのら息子がすり寄ってくる。
「なんだこのネコは!」
追い払う庄造。
しかしネコは諦めない。
庄造は新しい町へと引っ越すことになる。何遍追っ払ってもついてくる洋子達。洋子の哀しそうな目を見た庄造は、バスに乗り込む寸前、庄造は彼らと一緒に次の町へ向かうことを決意する。


あ〜、もうどらねこ大泣き。良かったねぇ、洋子。
なんでこの話で泣いちゃうのかというと、庄造と暮らしている描写の中に、ネコの洋子が買い物カートを押して商店に買い出しに行く場面があるからなのだ。その姿がもう、どっきゅ〜ん、なのだ。
そんなの幻想だって?
ああ、わかっているさ。でも、相手がネコであろうとも、信頼に応えようとする姿を見て心を動かされないわけないだろう。
暗くて寒い真っ暗闇の中、一人寂しく体温が失われていくなんて寂しいじゃないか。捨てられた猫は飼い主の眼差しを思い出しながら、最期の時を迎えるのだろうか?
信頼には信頼で応えて欲しい。相手が猫であれ人であれ。
手塚治虫っていいね。