何時の自分まで責任をとればよいのか

 どらねこは所謂キチガイである。だから、あまりにもアホなことを平気で言うのでそこら辺はご容赦願いたい。
 ブログなど、記事内容について中傷されることがある。面と向かってというか、記事のコメント欄に直接書かれても勿論嫌だ。しつこく書かれればもうやってられない。ブログ消すかもしんない。まぁ、それは辛いことなのだが、もっと辛いのは自分の知らない場所でそのような事が行われていたなんて状況をひょんな事から知ってしまった場合だ。
 どらははてなサービスを利用中だが、これはブログのアクセスログを辿った結果、はてブで好意的評価を頂いた事による。
 もしコレで、誹謗中傷ブコメが並んでいたらどうなのだろうか。そして、その内容が自分の信じるところについて書かれたものであったら・・・

 そうでないとして、過去の1記事にその時の心境を綴ったものであったとしよう。その場合はどうなのだ。5年前の自分、その事に対する誹謗中傷だ。居間現在の自分とは自分であって違う存在だ。どこまで過去の自分に責任を取らなければならないのか。

 極端な例を挙げれば、幼児の頃の自分の過ち。
 そんなものは誰も責任を取れとは言わないであろう。
 じゃあ、二十歳以降の言動には責任が発生するのであろうか。昨日のことなら責任はありそうに見える。だが、本当にそうなのか、線引きなんて出来ない問題なのではないだろうか。
 
 自分は30を過ぎて大きく変わったと思う。そして、毎日変化し続けている。1年前書いたブログの記事を読み返せば他人が書いたもののように見えてしまう。
 
 自分の記録ではあるが、それは現在の自分ではない。
 追記を書くのが誠実さと言うものなのかも知れないがどらねこには到底出来そうもない。
 ADHDを恨めしく思ったのは今年何度目であろうか。