ゆとりを持って接したい

ネット上でも得体の知れない動物として知られているどらねこですが、リアルでも何の担当者なのかすら不明な得体の知れない職員のどらねこです。植物をいじったり、流動食の調整をしたり、パソコン関連を調整したり、備品発注したり、アイスクリームをつくったり、感染症対策を行ったり・・・と自分でもよく分かりません。
今回の記事は仕事で若い人と接していて感じた事、どうしてそうなったのかしらと謂う憶測などをテキトーに書いてみようと思います。


■ゆとり
どらねこの業務の一つとして、新人研修というものもあるのですが、現場の新人を受け持った職員とお話しをすると決まったように「ゆとり」という単語がでてきます。

「申し送りをしないで帰ってしまうのよ。以前はこんなにいい加減な新人はいなかったのにねぇ、ゆとり教育だからかしら」


これは一例ですが、新人の振る舞いに困惑したとき、その内容にあまり関係なく理由を「ゆとり」に求めてしまう傾向がウチの職場にはあるようです。
所謂「ゆとり教育」が学力低下にどの程度影響を与えたのかについては議論があるところだと思います。ゆとり教育により若者がどう変化したのかについて、どらねこが身近な範囲で把握している意見はこんなところです。



ゆとり教育により学力だけでなく社会人としての振る舞いや資質に欠ける若者が増えている


ゆとり教育により学力や知識が不十分な若者が増えている


ゆとり教育により社会人としての振る舞いや資質に欠ける若者が増えている


ゆとり教育のせいか、イマドキの若者はダメである

因みに、どらねこの意見は「ゆとり教育により知識の種類や量は変化(量は低下傾向だろう)しているだろうけど、それまでの世代に比べて学力が低下したかは疑わしい」というものです。ゆとり教育は授業についていけないような子供についても配慮し、そちらに足並みを揃える事を大切にしているわけですから、今までは先に進み、より細かな知識*1の伝授をしていたであろう時間は少なくなるはずでしょう。学力の問題については、以前「所謂学力低下について思ったことなど」というエントリにて論じておりますのでそちらを参照していただければと思いますが、少子化が進展しているのにも拘わらず、高等教育を受ける子供の数が増えている事が、学生のみかけの学力低下をもたらし、その理由として「ゆとり教育の導入」に求める人が多かったからではないかと考えております。

所謂学力低下について思ったことなど
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20100331/1270001720



■いやでもやっぱりなってないよね?
こんな感じでは説明しないものの、職場の新入職員に感じる不満は「ゆとり教育」のせいばかりじゃないですよぉ〜と、いくら話しても「やっぱりゆとりよ、今の子はなってないのよ」と、なかなかきいてもらえません。
新社会人の絶対数が減っているから、優秀な人も同時に少なくなるので、ウチのような不人気業界には優秀な人が・・・と、説明しても、それはあるだろうけど、やっぱり感覚は違うんだよねぇ、と跳ね返されてしまいます。
彼らの謂うように、若者は「ゆとり教育」により質が低下しているとは思わないのですが、「ゆとり教育」のようにわかりやすく、多くの方を納得させるような理由を見つけるのはなかなか難しそうです。


■ゆとりとは別の要因を考える
多くの方にポンと手を打ってもらえるような理由を提示するのが難しいのは、おそらく大きな原因とされるようなものが存在せず、細かな理由が複雑にからまりあって現状を作り出しているのだろうと思います。そこに、「ゆとり教育が〜」というバイアスが「近頃のわかいもんは」という人間がむかしから持つ傾向と結びついて、実際以上に昔との違いを見だしているのかもしれません。
あ〜、そうだと考えるの無駄じゃあないの?と思ってしまいそうになりますけど「甘い物の摂りすぎ」とか「ゲームのやりすぎ」など、安易に現代的生活スタイルなどに原因を求められるのもなんだかなぁですので、もう少し考えてみようと思います。


インセンティブ
どらもいい加減なタイプなので、会社のルールなどに理不尽さを感じる事がけっこう有ります。理不尽ではなくとも職場の規律やマナーなどは覚えるまでに時間も負担も相当かかるように思います。新人職員がこれらをちゃんと遵守し、上司の命令にキチンと従おうと思わせるには、従う事によるインセンティブがしっかりと働いていなければなりません。
従う事でえられる利益や、従わなかった場合に受ける不利益などが昔と今とでは大きく違うのかも知れません。


■違いを考えてみた
もしどらねこが新入職員だったら、という気持ちになって昔の自分(や大学か何かで学んだ高度経済成長期の社会学みたいなものからの知識を思い出しながら)と比較して考えてみます。
まず思いつくのは、年功序列的な制度と終身雇用でしょうか。今はヒドイ扱いだけど、下積みをちゃんとやれば将来はある程度の役職について賃金も期待できるとなれば我慢をしようという気にもなるでしょう。年功序列と終身雇用があたりまえの状況では、中途採用という選択肢を選ぶにはリスクがあり、同じ会社に骨を埋めようというように思う事でしょう。そうなれば、同じ会社内の人には覚えを良くしておきたいし、関係性を損なわないような振る舞いを選択するという心理が働くわけです。いつかみておれコンチクショウ(ギリギリ)的な我慢が働き秩序が生まれるみたいな感じですね。
また、世間体みたいなものもけっこう影響力があると思います。仕事を辞めるという事が恥ずかしいことみたいに認識されている社会では辞めるまでのハードルが高いため、自分にとっては理不尽な職場でも残る為に我慢をするというような事があるでしょう。現在では離職までのハードルが低くなっているようですので、その辺りの我慢に対する限界も下がってきていてもおかしくありません。
職場での将来の自分が想像できない状況では、理不尽な扱い(と感じる)を我慢するというのは中々に難しい事でしょう。それが最近のゆとり世代の若い者は・・・と認識される要因になっている可能性が高そうに思います。


■子供時代に期待される内容の違い
前項で述べたことについては、色々な場所で分析されているようなものでして目新しい内容ではありませんが、やはりそうしたインセンティブが大きく関わっているだろうなぁと思っています。
この件については、それだけでは説明が難しいかなぁ、と感じていたところ、職場の人と話している時に関係しそうな別の要因が思い浮かびました。

「最近入ってくる子は社会の常識が身についていないんだよね」


その時は「はぁ〜、そういう事もありますねぇ」と気のない返事をしたものですが、職場で教えればそのうちちゃんと身について行くので、もしかしたら単に社会人や大人としての振るまいなどについて経験不足なだけなのかしら? そんな風に感じたんですね。ここから考えていくと、色々腑に落ちます。



・所謂「ゆとり教育」と大学・短大・専門学校への進学割合が高まってきている時期が同期している


・高校卒業後は進学というのが主流になることで、中高生に卒業後就職し大人と社会人として接するという心の準備が働きにくくなっている


・親や周囲の期待は進学すること、それも偏差値的な基準で良い学校にというものに傾いている事から、学業や受験勉強にいそしむことが良い事であり、子供への要求として優先順位が高くなっている

就職を考える学生が多い学校についても、友人の雰囲気にも影響されるでしょうし、学校の指導であっても就職させるまでの対策に手をかけるぐらいで、入ってからの事については考える事はあまりないでしょう。
これまで自分が期待されていた事と全然違う内容を期待されても急には対応できないのは当然だとどらねこは思います。さらに、以前には新卒は一から育てるものとして、社内教育も今よりも充実していたと思いますが、不況で社員数をしぼるような状況ではそれもままなりませんし、即戦力を求める傾向では、技能や技術、専門知識をどれだけ学んできたかを重視し、いきなり現場に放り込まれたりするわけで、その中で社会人としての常識を発揮せよ、となってもどうして良いかわからない、なんてこともあるかも知れません。


■人間そのものはたいして変わっていない
ゆとり教育」というイメージほどにそれを受けてきた子供達は大して変わっていないように思います。変わってしまったのは社会の状況や受け入れる職場の有り様なのだろうと思います。
それにあまり気がつかないまま、以前と同じように若い子を受け入れ、教育していくという方が杜撰なのかも知れません。基本的に人の行動は状況次第です。人間が変わってしまったなどと思うよりは、彼らがどうしてそのように振る舞うのか、それを作り出している状況があれば目を向け、必要に応じて状況を変えてあげる事が大切なんじゃないかと思います。少子高齢化だ〜って騒いでるじゃあないですか。少ない若者ならもっと大切にするべきですよ。特に、状況を変えるのであれば彼らがやる気を出せるような社会政策は必要だと思います。
「近頃のワカイモンハ〜」というメンタリティとは逆の方向からの発想こそが解決の糸口なんじゃ無いかな、どらねこはそう思います。



その他関連記事
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110221/1298273270

*1:知識の中身や量が学力に結びつく部分がある事は承知しておりますが、時代により求められる能力は異なる為、それをイコール学力とするのは乱暴でしょう。