コミュニケーションの双方向性と市民の声

昨年の福島原子力発電所事故のあと、科学コミュニケーションのあり方について色々なところで議論*1が行われているのを目にしました。その中では「欠如モデル」や「御用」という言葉を巡り、色々なやり取りが為された事が印象に残っております。立場を異とする人同士が議論を行う場合には、それぞれが内集団贔屓等の各種バイアスに自覚的にならないと有用な議論に発展しにくいのだろうなぁと思いました。
そうした「欠如モデル」に対する議論の中にも、これは興味深いなあと思った部分もありました。科学コミュニケーションや科学技術コミュニケーションに於ける「双方向性」についての話題です。一方的な情報発信で終わるのではなく、専門家も一般市民も対等な立場で自由に率直な意見のやり取りを行い、その結果有益な示唆などを得ることができるのならそれはとても素晴らしい事ですよね。


■双方ともに学ぶ
科学コミュニケーションなどにおける「双方向性」というのは、テーマとなる問題の「専門家」や「担当者」と活用する側の「市民」とが双方ともに情報の送信と受信を行い、それぞれが何かを持ち帰り、相互理解の促進を目指すようなものだという印象をどらねこは持ちました。「対称性のある双方向性コミュニケーション」とでもいうのでしょうか。
しかし、こうしたコミュニケーションが成り立つための条件などを考えると、原子力発電所事故後の食品の安全性のようにマスメディアが大々的に採り上げるような問題においては更に難しいのだろうなぁ、と感じたりもしました。どういう事かと謂うと、問題について意見を持ち、対話の場へ積極的に参加を希望するような「市民」の場合には既に関連する話題について、能動的に情報を集め、さらに情報の取捨選択を行う際には参考とする特定の人物を既に持っており、スタンスについてもその人物の影響を強く受けているケースが多いだろうとどらねこは予想するからです。いや、そうだとしてもそれの何が悪いの?と疑問を呈されそうですが、悪いとか謂いたいわけではありません。


■マスメディアのチカラ
多くの「市民」はマスメディアからの情報により社会問題等に接しているわけですが、その中でもNHKの放送や新聞を情報源として信頼しているという調査結果*2もあります。最近ではインターネットの情報を信頼する人の割合も増加傾向ですが、現実にはソースが既存メディア発のものも多く、新聞、テレビ放送等既存メディアのシェアは大きいと考えて良さそうです。ところで、テレビや新聞などマスメディア影響力はどれほど大きいのでしょうか。個人の考え方に決定的に影響を及ぼしうるほどのものなのか、取捨選択の際に少し参考にする程度のものなのか、その中間ぐらいなのでしょうか。実際のところは個人がマスメディアから得た情報を受けすぐに行動の変容につながったり、そっくり信用するのかと謂うほど単純なものではなさそうです。手に入れた情報を吟味する際にどれぐらい信じたら良いのか、どう接したら良いのかという事について十分な判断を持つことが難しい問題については、参考にできそうな人物の意見を見てから自分の態度を決定するような事もありそうです。どらねこも自分の専門外について、この問題については○○さんの意見を参考にしよう*3と考えている人がおります。また、マスメディアから直接情報を手に入れていなくても、そうした人物経由*4で入ってきた情報を参考にしたりする事もあるでしょう。こうした人物は「オピニオンリーダー*5」と呼ばれたりもします。マスメディア発の情報になにがしかの色をつけた拡散と情報による態度決定にはこのオピニオンリーダー的な人の果たす役割も大きいと考えられております。


■変容される主体とは
双方向性を持つ科学コミュニケーションでは、「専門家」と「市民」の率直な思いについてのやり取りが行われる事が期待されますが、参加した「市民」が元々持っていた考えであるのか、それとも「オピニオンリーダー」として参考にしている人物の受け売りであるのかで随分と違いがあるようにどらねこは考えます。または、参加している「市民」が実は「オピニオンリーダー」的な人物なのではないか、という可能性もありそうです。*6
つまり、「専門家」の持ち帰りたいと考えるだろう、一般の人が直接メディアからの情報に接したときに抱いた率直な意見が「双方向性」のある科学コミュニケーションの現場から本当に得られるのだろうか?という疑問なのです。(勿論、意見に色のついていないなんて事はあり得ませんが)
ようするに、参加している「市民」が所謂「オピニオンリーダー」の代弁者*7となっていないかということです。このような状況であるとするならば「専門家」が知りたい、ごくごく一般的な○○ってどんなものなのだろうという「市民」の認識や意見は得られにくいという事で、対称性のある双方向性を持つコミュニケーションはそもそも期待できないのではないか?という考えがわいてきたわけです。


ファシリテーターへの期待
こうしたコミュニケーションの場を有意義なものとするためには、「専門家」と「参加者」の間を仲介する方の関わりが非常に重要になると思います。参加している「市民」の発言や意見が、実は特定の考えを持った個人の受け売りかもしれないという可能性も想定することや参加者が事前にどのような意見を持っているのかをある程度把握する事が必要になりそうです。勿論、その場合も参加者に対し、過度の予断を持って接してしまわないようにしないといけない(とんでもない要求かもしれない)でしょう。参加した方が、初めてその情報に接した時の率直な感覚を引き出す事ができれば、双方ともに有意義な時間を持つことができるんじゃないかな、と謂うふうに思うのです。
もし参加者が「オピニオンリーダー」の意見を代弁をするような意見ばかりを出すような場となれば、結果的にはその場に不在の人物に対しての意見を専門家が言及することとなります。そのような専門家の言に対し、参加者は受け止めきれるのかなぁなどと思ってしまいます。なので、そうした借りてきた意見的なものがなるべく少なくなるようにコーディネートをすることが、有益な議論とするためには疎かにしてはならない配慮であると考えます。


■対称性はあるか
前項で述べたことは、スムーズな相互作用を及ぼし合う事を妨げない「対称性のあるコミュニケーション」となっているかどうか、と謂う観点で評価が出来るのではないでしょうか。言葉で説明するのが難しいのでイメージを図にしてみました。


いかがでしょうか?この図の通りだとすれば「参加市民」をはさんだ「オピニオンリーダー」と「専門家」の間の関係が対称的となっていない*8事になりますね。
まず、意見の主体がその場にいない事は、議論や意見の当事者性という観点からはマイナスになる可能性があります。また、科学コミュニケーションの場で活発な意見交換が行われ、なんらかの成果が得られたとしても、この構図では参考とする人物(オピニオンリーダー)に対してのフィードバックというのは為されないか、合ったとしてもワンクッションを置いた物となるでしょう。対称性のあるコミュニケーションとするためには表出された意見の出所はどこだろうと謂う視点が大切であると考えます。



■その意見はどこからきたのか
イメージ図で見たように参加者がどうしてそう考えるようになったのか・・・その情報が非常に大切なんじゃ無いかな、と謂うのが科学コミュニケーション的な活動では重要だと思う、というのがどらねこの意見です。おそらくそれを掘り下げる事で、「専門家」にとっても実りのある場となりそうに思うのですね。
また、ファシリテーター的な人は、参加者の考えがどこから来たのかという、もしかしたら忘れがちな事にスポットライトを当てる事で有意義な情報を手に入れられるのではないかな、とも思うのです。科学の専門家で無い市民にとって、情報の取捨選択には人柄だけで無く意見の妥当性なども信頼できる人物を参考にするとが非常に大事になりますが、参加者がどういった人物の意見を参考にマスメディアから得た情報を採り入れているのかを探ることで、どういったアプローチが有効であるのかを知ることもできますし、場合によっては参考にすると良い人の特徴なども伝える事ができるだろうからです。


■おわりに
このように考えると、「市民」側の声を伝えるとされる「ファシリテーター」や「コミュニケーター」が気をつけなければならない点も見えてくるのではないでしょうか。「市民の声」として俎上に載せようとしたものが、実はオピニオンリーダーの声に過ぎなかった・・・と謂う事態も回避しやすいように思うのですね。
また、そうして採り上げられた「市民の声」を読む側にしてもそれが特定の集団を代表をしているのか否かについても敏感である必要はあるでしょう。
形成された世論により政策も大きな影響を受けるものだとどらねこは考えるからです。つい最近の「生活保護」関連の話題についても「世論」とされるものが本当に「市民」の声であるのか?なども見極めながら慎重に議論を進めて欲しいなぁと個人的には思っております。

*1:当ブログでももうダマ書評シリーズhttp://d.hatena.ne.jp/doramao/20120330/1333076910で、サイエンスコミュニケーション、リスクコミュニケーションについて言及を行いました。あれだけの分量をよく書いたものだと今では思いますが。

*2:第3回メディアに関する全国世論調査(2010年)公益財団法人 新聞通信調査会より。住民基本台帳からの層化二段無作為抽出法により全国の18 歳以上男女個人(5,000 人)を対象として実施、回収数 3,459

*3:あなたはどうですか?

*4:雑誌のコラムやツイッターでの発言、ブログ記事などなど

*5:イノベーション普及ではアーリーアダプタとも

*6:こうした場所に参加をしたいと考える人物が一般に「市民」としてイメージをされるような人たちというような代表性をもっているのかという疑問と捉えても良いかも

*7:例えば、市民はもっと情報を求め、集まりに参加し、意見を発信しようと謂うメッセージを送るような人の意見を参考にしている人とそうでない人と比べれば、前者の方が科学コミュニケーションなどの機会に応募する可能性が高そうだというような事が予想されるでしょう。そういったイベント等の一般への周知度などを考えれば、公募であっても応募者の属性に偏りはあると予想します。

*8:別視点では、専門家の背後にある団体の影響力の存在も指摘されるでしょう