相手を尊重する事ってなんだろう

仕事をしていると相手を尊重する事が求められます。仕事を離れた日常でも求められるでしょうし、ツイッターでの遣り取りでも必要な事でしょう。当然ですが、家庭内においても重要な事です。当たり前の事のようにも思いますが、どらねこはとても難しい事であると感じております。


■相手の立場と自分の立場
どらねこも一応仕事をしておりまして、相手に行動変容を求めるようなお話しをせざるを得ない事があります。例えば、ある病気のせいで体内のミネラルを一定に保ちにくい状態になっている方が居たとして、それを調整する為に薬以外の食生活の制限が重要であれば、好物を控えるように助言する事もあります。
こうした助言を行うにしても、相手の状況や本人の希望などにはなるべく配慮をした対応となるよう考えるように努めています。たいへん高齢な方であれば敢えて制限をしない選択肢も示しますし、ある好物を食べることが生き甲斐であるのなら、なるべく他の食事で調整できる道を探します。それでもトータルで見た場合、好物を制限した方が良いのではないだろうか?そう考えるに至った場合に、そのことを本人や家族に提案をすることになります。これが専門職の自分が示す事ができる誠意だと思っているからです。
こうした提案を全く受け入れて貰えない事もありますし、素直に聞き入れてくれることもあります。どうして話を受け入れてくれたのかを教えて貰った事もあるのですが、貴方が私の色々を尊重しようとしてくれていたから、こちらも専門職の貴方の述べる事を信用してみようと思ったと謂う事です。
なんて、格好いいことを書きましたが、成功例の陰の失敗は見るも無惨な事例もあるんですけどね。話すら聞いてくれないような事も多いですからね。


■どちらが尊いとかそんなんじゃない
どらねこはどちらかと謂うとダメ人間(ねこ?)であり、洗濯や裁縫の初歩の初歩すら出来ないような有様です。なので、子供の保育園の準備すらままならないような状況で、妻に甘えている次第です。とはいえ、全てを相手任せに非協力行動ばかり採っていては、相手も応えてくれる筈もありません。自分が比較的苦にしない作業で相手の苦手としている家事などは積極的に行うようにはしています。
家事とヒトコトで言い表すと簡単なように思えますが、家政学なんて学問もあるように、非常に多岐にわたる厄介で奥の深いものであると思います。経済、教育、栄養学、建築学などなど、必要な能力を求めれば切りがありません。そのように大変で大切なお仕事ではあるものの、現代日本に於いては特定の家族一人に偏って押しつけられている状況があると指摘されているようです。ぶっちゃけ、家事育児を求められる対象が母親に偏重しているような状況ですね。こうした辛い(ながらも遣り甲斐のある仕事ですが)仕事に対し、十分な理解と援助がなされなければ、その状況に怒り爆発なんて事もありそうです。
こうした家庭内での仕事に対するトラブルは相談する相手もないまま一人で悩みを抱え込んでしまうこともあるように思います。


■痛みや辛さを理解して欲しい
家族の健康の為に、子供の将来の為に・・・のしかかるプレッシャーに救いを求めたくなる気持ちもあるでしょう。それでもプレッシャーに立ち向かわなければと、技能とか自己実現を求め新しいモノに挑戦するヒトも居ることでしょう。そんな状況で、マクロビオティックとか、ホメオパシーとか何かをしたい自分を実現させてくれそうなものに出会ったとすれば惹かれてしまう気持ちも何となく分かるような気がします。
辛い自分を分かってくれる、慢性疾患で悩む子供の辛さを解放してくれるかも知れない・・・。中にはそのような代替療法のようなものを始めてから元気を取り戻すケースもあることでしょう。それは偶然かも知れませんし、気の持ちようかも知れませんし、知らずに生活の中の悪い部分が改善されたからかも知れませんが。
ところがそう謂った代替療法の中には、医療や栄養学など学術的に主流であるものを攻撃するものが存在します。それらは本当の意味で取って代わろうとする療法であるように思います。そうした考え方を使用する側が受け入れてしまう事は様々な不幸を招きかねません。


■ある発言
例えばある人が、「玄米菜食を始めて健康状態が良くなった!」ツイッターで発言したとします。
個人的にはう〜ん・・・とは思いますが、何かを言及しようとまでは思いません。勿論、その発言がどのように行われたものなのかと謂う文脈も大きく影響しますが、主観に対して批判をするのは筋が悪いとどらねこは思います。
では、次のもうヒトコトがあったらどうでしょう。「栄養学をやっている人はこんな事認めないだろう」この発言があったとしても個人に面と向かって言葉を質そうとまでは思いません。
しかしながら、公共の場で為されたものであれば、発言を拾い、公に向けてこれは望ましい言葉ではないと思いますよ、と理由を沿えて発言をしても良いとどらねこは考えます。
もし、「他の人も試してね、効果があるから!」と謂うような趣旨の発言がされる事があれば、それは一般に流布して良い情報では無いと専門家の立場から述べる事でしょう。


■尊重する事
もしかしたら発言者の方は辛い状況の中で安らぎや希望をみつけそれを皆に知らせたいが為にそのような発言をしたのかも知れません。しかし、自分一人の問題ですむのならまだしも、根拠の乏しい理論に基づく個別事例だけで栄養学(に限らず学問)を否定するような発言は許容して良いのでしょうか。その方が置かれている状況や家事であるとか育児の大変さなどに配慮する事、その仕事内容の素晴らしさや重要性を尊重はします。なので、そのような発言に対しても慎重に対応をしたいところです。しかし、その発言を行っている人からは、専門家の立場や過去の知見に対する配慮や尊重の態度を見る事はできません。
多くの人は自分が大切です。自分の立場や状況に配慮して貰いたいことでしょう。しかし、それは相手も同じです。科学的に正しいから・・・勿論それも大切なのですが、相手の積み重ねて来た事や努力や立場を大切にする考え方を重視したとしても専門家の謂う事なんて当てにならないよ、みたいな失礼な物謂いに対し、慎重になると謂う考え方が出てくるはずだと思うのです。
専門家なんて頭でっかちで苦労している人達に十分な配慮を持たないんだ・・・、そんな風に思われたら誰だってつらいと思いませんか?家事育児に追われる人は家庭内の事だけに目を向けていて世の中の事なんてなんも考えてないに違いない!なんて謂われたらどうでしょうか?失礼ですよね。
お互い様なら失礼な事を謂い合わないで、相手に誠実に対応するお互い様の方が前向きになれると思うのですがどうでしょうか?
勿論、たんなる猫の戯れ言ですが、皆様のなんらかのヒントになれば・・・と思い終わりに致します。