ほんもの商売

土曜の朝にぼんやり頭に浮かんだことを膨らませて記事にしたみました。生地を膨らませてパンを焼いた方が建設的ですね。


■カラフトシシャモのオス
朝の話ですが、ツイッターでカラフトシシャモ*1のオスメス混在割合を調査する自称医師の方とちょっとだけやり取りをしておりました。そのツイートを見てアレ?と思った事がやり取りに発展したのでした。
どらねこの認識では、カラフトシシャモ(カペリン)の加工品はたいていメスばかりが売られているからです。子持ちシシャモとしての需要*2が強いのでオスを入れないわけですね。ところが、最近ではオスだけで売られているパッケージもあるようなのですね。おそらくなんですが、日本固有種のシシャモのオスはメスよりも身が美味しいと評価する声があるので、そのイメージを利用してカラフトシシャモのオスに商品価値をつけるような戦略で販売を始めた*3のでは無いかと思います。意図してのことならホント賢いですね。
ええと話がそれましたが、そんなワケでオスメスが選別されて売られているものしか知らなかったので、混在しているのなんてあるんだー、とびっくりをしたわけです。その理由が選別手間を減らして安く売るみたいなものだったらイヤンな感じなのですが・・・。


■まぎらわしい
そんなシシャモとカラフトシシャモの話で思い出すのが、優良誤認のお話なのですが、今日の記事はそんなに真面目なものでもありません。と謂うか印象論というか思いつきみたいなものです。なので、肩肘張らずにぽよんとした顔で読んでいただければ嬉しい*4です。
食品表示にはルールがあり、消費者に誤解をさせるような表示は望ましくないですよ?と謂うスタンスで表示方法が決められているのですが、今と比べると昔はゆるゆるであったように思います。シシャモの例だと「お買い得!子持ちシシャモ!」とか普通にカラフトシシャモ(カペリン)がスーパーで売られていましたもの。他にもロコ貝だとかナミガイとかナイルパーチなどが日本で昔から親しまれてきた人気食材みたいな装いを纏わされている姿なんかも目にしたことがあります。それらの味が名前を似せた元の食材と味がよく似ているかどうかはともかく、その食材自体がそれなりに美味しかったから定着*5しているのだろうな、と思います。


■どうしてそんなことに
やっぱり昔から多くの方が憧れていたような食材はお金があればたらふく食べたいな〜、なんて思って居たでしょうから、経済成長のあとお金を持つことのできた人たちがこぞって求めた事もあったでしょうし、漁の進歩により効率よく採取することが可能になったりと様々な理由からだんだんと資源が乏しくなってきた時期があったようです。人気の魚はますます高級に・・・。でも、多くの方からの需要があるんだよな?そんな要求に応えるように、ちょっと似た感じの食材にこれまた似たような名前を纏わせた海産食品が登場したのだろうと思います。やっぱり賢いですよね、商売の方は。
そうやって代替食品*6が食卓に定着し、特に疑問も無く多くの方はぱくぱく美味しいねと食べる*7のでした。どらねこもそんな子供の一人でした、ヤツに出会うまでは。


■ほんものの
今では邪狡猫と呼ばれる*8ほどのどらねこですが、当時はとても純朴な少年で、大人は子供と違って論理的で大抵の人は信用できると思い込んでいた*9ほどです。そんなどらねこが出会ってしまったのが「美味しんぼ」と謂うマンガでした。今更説明するまでもないので省きますが、山岡さんの捨て台詞に爪の先までしびれてしまったものでした。
頭の中で彼が「かわいそうに、本物の○○○を食べた事*10がないんだな」と叫ぶのです。
かくしてどらねこは本物の食材や本物の料理を求め、二十歳を過ぎるまでさまよい続ける事となったのですがそれは此方*11を参照して下さい、本題じゃ無いので。
ええと、話を本筋と思われるところに戻しますと、仕方の無い面はあるとは謂え、コピー食品やあからさまに優良誤認を狙ってるだろうみたいな商品がはびこれば、「本物」ってなんだろうみたいな流れは必然なのかも知れません。その流れを商売人が放っておくはずはないとおもいます。そうして美味しんぼ的な主張*12にあやかった「本物の○○」を謳った商品や食材が有効な付加価値として用いられるようになっていたったように思います。こう謂うのをミイラ取りがミイラに状態と謂うのでしょうか?ちょっと違う感じもしますが、本物とそれを装った商品が実に上手く共存しているような状況が出来ているのが現状なんだろうと思っております。(商売的にはね)


■でもね
そこでちょっと考えてしまうんですね。皆が求めて乱獲されて資源が激減などがあって疑似的な装いをした食材が登場したのだとすれば、資源が減少した事に対して真剣に取り組む姿勢が求められると思うんですよね、疑似的食品*13を責める人ならば。ところが、残念な事に「本物の○○」と謂う言葉は商品に付加価値を与え、資源の保護とは反対に向かう力に利用されるようになってしまっているように思うのですね。「本物の○○」は確かに素晴らしいのかも知れないけれど、それがどうして稀少になってしまったのか?「本物は旨い!」と謂う言葉が一人歩きしている現状にどうしても不安を抱いてしまうのでした。
本物の味に憧れる気持ちは今もありますけど、そればかりを求める事が何をもたらすかなども考えないといけませんね。天然が一番!本物の味で無きゃ!と極端になりすぎていては過去から何も学んでいないと謂われても反論できないなぁと反省をしたどらねこでした。

*1:カペリンなど食品表示について参考になりそうなpdfhttp://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/hyouzi/pdf/shiryou1-3.pdf

*2:ここ重要

*3:どらねこが知らないだけで以前からかも知れません

*4:その割に前振りが矢鱈と長いですが

*5:ビデオのパッケージとかでも見かけるような

*6:一応そう表記しておく

*7:本当にそうなのかは議論が分かれるところかも知れませんがご都合主義に先に進む

*8:実際は暗黒猫とか悪魔猫とか腹黒猫と呼ばれる事が多い

*9:その割に美味しんぼで語られる問題のある大人の存在を受け入れていたのはなぜとか突っ込んではならない

*10:実際にはこの通りの台詞ではありません

*11:http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110715/1310730195

*12:なので美味しんぼの責任と謂うわけでもない

*13:ついさっき代替食品と書いたくせに