科学の結論は間違っていたのか?「サウスウッド報告書邦訳」から考える

※これはもうダマ読書術シリーズその5の補足用エントリとして作成したものです。
もうダマされない為の読書術講義の第4章について議論しているなかに英国のBSE問題に関連する部分があるのですが、英国では当時の認識や対策についてその妥当性を探るべく委員会を設け、総括がなされております。その内容を踏まえてみると、4章での説明は誤解を与えかねないものではないか?という印象を持ちました。書評エントリの本文と大事であると思われる箇所を並べて引用しながら意見を述べてみたいと思います。なお引用はすべて第1巻 調査結果と結論から行います。

■検証内容を読む

もうダマされない為の読書術講義本文より

どらねこ:ど:え、現実問題として「ヒトには感染しない」と発表されたから政府や科学に対する不信が起こったわけでしょう? だったら、ヒトへの感染可能性を見誤ったと謂うことじゃないんでしょうか。


黒:どうもその辺がややこしいのです。本書で触れられているサウスウッド報告書についてわかりやすく俯瞰するには、農畜産業振興機構のHPのこのページ(http://www.alic.go.jp/consumer/livestock/bse-report02.html)を参照するのが好いと思うんですが、ここに掲載されている2000年10月に公開されたBSE問題についての調査報告書第1巻3、4節を読むと、「BSEがヒトに感染する可能性は非常に小さい」と謂うサウスウッド報告書の結論は、厳密に謂うと「BSE人獣共通感染症ではない」と謂う意味ではないらしいんですよ。

どらねこ:BSE問題と科学の結論の話、完全に黒猫おぢさんのペースになってしまっているけど、ホントにその通りの事が書かれて居るのかちゃんと読んでみようかな。
このページの翻訳文はどんなものかと最初のpdfにかいてあるね。

英国政府は農漁業食糧省(現、環境・食料・農村地域省)、保健省の枠外にフイリップ卿を委員長とする委員会を設け、調査を実施し、2000年10月に4000ページに及ぶ膨大な報告書(全16巻)を公表しました。この報告書は、BSEの発生経過、対策及びその妥当性等広い範囲を調査・分析し、極めて詳細に報告しています。

そのうち1巻、2巻および14巻の一部が翻訳されているんだね。親切にも報告の要旨まであるね。ふむふむ。


■本調査報告書の要旨より

はじめに
付託事項 の定めるところにより、以下の事項が我々に対して義務付けられた。
英国におけるBSEおよび変異型CJDの発生とその確認、ならびに1996年3月20日時点までにとられた対応措置についての経緯を明らかにし再検討すること。当時の認識を考慮し、その対応の妥当性について結論を得ること。また、これらの事項について、農漁業食糧大臣、保健大臣、ウェールズ大臣、スコットランド大臣、および北アイルランド大臣に対し報告を行うこと。

問題があったのならキチンと検証して明らかにしないと同じ過ちを繰り返しかねないものね、でもその場合はこの調査報告についての妥当性が気になるところ。どのような方法で行われたのか、公平性を担保するためにどのような措置が講じられたのかが重要になるよね。その点、この報告書にはキチンと調査方法が掲載されていますね。この報告に書かれている内容に沿ってこの話題に言及することは妥当であると謂えそうだね。

要旨:1 主な結論
BSE問題の核心には、危険、すなわち既に知られている牛に対する危険とまだ知られていない人間に対する危険にいかに対処するかという問題が存在する。政府はこれらの危険の両方に対処する措置を講じた。これらの措置は賢明なものではあったが、必ずしも時機に適ったものではなく、適切に実施・施行されたともいえなかった。

まず、措置の中身自体は賢明なものだったけど、実施に際しての問題が存在したと結論されたようです。

要旨:1 主な結論
人間の健康を守るために政策措置がとられた際、それが厳格に実施されなかったのは、1996年以前、BSEには人間の生命を脅かす潜在的危険性はないと広く信じられていたことに主な原因がある。

これは油断と謂う事なのかな?でも、過去のよく似た事例を参考にすることは人が生きていく中で重要なことだしねぇ。むずいな。

要旨:1 主な結論
官僚的な手続きにより、政策実施に容認し難い遅れを生じた場合があった。

これはシステムの問題なのかな。油断があったのなら、鶴の一声みたいなのが効きにくい適用しにくいみたいなところがあってもおかしくないかな。

要旨:1 主な結論
政府は、BSEが牛においてのみならず人間においても生死に関る問題であるかもしれないというリスクを警戒する対策を提起したが、人間へのリスクの可能性について、一般国民あるいは予防策を実施・施行する立場にある人々には情報が伝わらなかった。

対策はそうなっているけど、危険性を直接指摘するものでなかったからしっかりと伝わらなかったと謂う事かな。対策の中身を見て判断しろみたいな事じゃ無くて、明言化した方がよかったと謂う事かしら?

要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価
BSEや他のTSEにおける最も著しい特徴の1つは、潜伏期間が非常に長い疾病であることである。このため、何年もの間、BSE が人間に感染するかどうかについて何らかの確実な答えが得られる可能性は低く、科学的実験にはどうしても長い時間を要した。政府は、BSEの感染性についての不透明性を背景にもったままこの疾病の問題に対処しなければならなかった。

政策を実施する為の根拠となる証拠を提示することができない問題であったわけで、それだけで科学としては結論を出せる問題では無かったと謂う事だね。もうこの時点で科学の結論が誤りだったと謂う論提示自体が妥当じゃ無いような気がしてきたぞ。明確な根拠の無い危険性を訴えて政治を動かしているような事例があれば、そのような対応を批判する勢力もありそうだし、ホント難しい問題だと思う。

要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価
1987年末までに、MAFF 担当官は、BSEの症候を呈している牛を食肉用に屠殺することの妥当性について懸念を持つようになった。しかし、MAFFが保健省(DH)に対して、BSE による人間の健康への影響について検討を行うために協力の要請することはなかった。そのような協力の要請はなされるべきであった。

横の連携が難しいと謂う話は日本でも良く聞きますね。

要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価
この報告書は、本来明らかにするべきであるリスク評価の根拠を明確にしなかった。一方で、同報告書には、この評価が正しくなかった場合の影響は非常に深刻であろうと述べられている。この警告は、見過ごされてしまっていた。その後何年もの間、サウスウッド報告書は、BSEが人間にリスクを及ぼす可能性は低いということと、作業部会によって提言された予防策以外の対策は必要ないということの科学的根拠として繰り返し引用された。

サウスウッド報告書の書き方の問題と謂う事かしら?リスク評価の根拠が実は明確なものでなく、誤りがあれば深刻と並んで書かれて居ればもっと深刻に受け止められたかもしれないと謂う事かな。

要旨:5 BSEによる人間へのリスクに関する情報の伝達
国民に対しては、牛肉の安全性が繰り返し強調された。そのような主張は、BSEが感染性をもつという可能性に対して人間の健康を保護する目的で導入された予防策が適切に順守されることを前提としているという点について、いくつかの声明では説明が不足していた。これらの声明は、単に牛肉が安全であるということだけでなく、BSEに感染性はないというメッセージを伝えてしまった。

前提を飛ばして、わかりやすいメッセージだけが届いてしまったと謂う事ね。ちょっと話は変わるけど、マウスの結果だと謂う大事な前提をすっとばして、健康効果を発見!みたいに読めるような記事を良く目にするのも似たような問題じゃ無いかしらと思うのね。それならそう謂った報道をした事のある記者さんとかは我が事のように反省し、ともに考えていかなきゃならない問題だよね、コレ。

要旨:6 牛の疾病撲滅対策
感染率が週に何千例にまで増加していたという事実を認識していなかった政府は、家畜飼料産業が飼料の在庫を処分できるように、禁止措置の発効までに5 週間の「猶予期間」を設けた。このように一歩譲歩した対応がとられたことによって、一部の飼料業者は、これを政府が百歩の譲歩を許したものと受け止め、禁止措置の発効後も飼料の在庫処分を続けた。畜産農家側も、既に購入し蓄えてあった飼料を使い切った。このことが、1988 年7 月18 日付で反芻動物飼料禁止令が発効した後に、何千頭もの家畜がBSE に感染する結果につながった。

ルールの厳格な運用が為されなかった事も問題を大きくしてしまったのですね。人は自分の都合の良いように物事を解釈する傾向があることを織り込んだ対応策の伝達が必要だと謂う話になるのでしょうか。

要旨:6 牛の疾病撲滅対策
さらに深刻だったのは、BSE が感染し得ると立証されていた感染因子の量について、徹底的な検討が行われなかったことである。反芻動物由来のたんぱく質を含む豚や鶏の飼料から牛の飼料への飼料工場内での交差汚染は、ほとんど問題とはならないであろうとする、誤った推測がなされた。

事態を大きくした原因の一つ。まさかもあるし、発症までの時間が長いことなど様々な要因が関連しているのでしょう。どこまでリソースを割くこと可能か、何が重点課題なのかの判断とか難しい問題。

要旨:6 牛の疾病撲滅対策
実際は、その後の実験で証明されたように、コショウ一粒ほどのわずかな量の感染物質を摂取することで牛はBSEに感染し得るのである。飼料工場内での交差汚染によって、何千頭もの牛がBSEに感染し続ける結果となった。感染からBSE の臨床症状が明白になるまでに平均5年かかるため、このことは1994年まで正しく認識されなかった。

コショウ一粒と書いてあるけど、コショウの粉末一粒と謂う意味だよね?とか思ってしまったり・・・。それはともかく、BSEは明白になるのが平均5年と謂う事だけど、これがもう少し長かったらどうなんだろう?また、牛には臨床症状が明確にならないのに、人間には明確に現れるタイプの病気を発症するものだったらどうだろうとか、可能性を考えると際限ないなとか思ってしまう。線を引くと謂う事の難しさをあらためて感じるなぁ。

要旨:6 牛の疾病撲滅対策
1994年になってはじめて、BSE感染が続いていることとその原因が認識された。規制が見直され、それまでは地方自治体が行っていた屠殺場の監督義務が1995年に新たに食肉衛生局(Meat Hygine Service:MHS)によって引き継がれたと同時に、規制を厳格に実施するためのキャンペーンが始まった。これらの対策が成功を収めたことは、現在、明白になりつつある。これらの対策は、1996年3月20日以降、動物性たんぱく質の動物飼料への使用禁止という根本的な措置に置き換った。

その数年が非常に大きな問題を生んでしまったのですが、規制を根本的に見直したのでは無く、厳格に実施する事で成功したと謂うところは注目かな、と思う。元々厳格に運用されていたのなら〜であったと謂う見解を支持するものだからね。


■報告書から大事そうなところを抜粋
要旨の元となる報告書本文からも重要そうなところを抜粋・引用しておきます。
【BSEに関する報告書から】

第1巻 p43より
192 BSEスクレイピー感染羊から感染したという結論は、一般的に受け入れられた。それは、安心を与える結論であった。スクレイピーに罹った羊は、何ら明白な悪影響もなく200年以上にわたって人の食用にされていた。牛のスクレイピーもまた、同様に無害であると照明される可能性が高かった。

第1巻 p45より
201 マクレガー師の決定は、さらに断固としたものであった。1988年5月19日、彼は「反芻動物の飼料への羊肉原料の使用に対する迅速かつ強制的な禁止措置」を講じるべきであると決定した。
<中略>
この禁止措置は、反芻動物由来飼料の反芻動物への使用禁止令にまで拡大されるべきであることが決定された。
<中略>
この禁止令は、当初、1988年末までのみの措置であったが、その後延長され、最終的には恒久的な措置となった。

第1巻 p46より
204 禁止令をいつ施行するべきかに関する協議の過程において、問題が生じた。英国農業供給事業者団体(UK Agricultural Supply Trade Association:UKASTA)は、団体のメンバーによる協議の後、既に配合された反芻動物由来飼料の全ての在庫を飼料産業が流通経路から取り除くことができるように、3カ月間の猶予期間を要求した。MAFF内部の獣医学者による助言を得たのち、ローレンス氏は2カ月間の猶予期間を提案した。MAFFの広報室は、2ヶ月もの措置実施の遅れは、飼料産業にとって問題を楽にするためだけに、疾病がさらに広がるというリスクを侵したという非難につながるであろうと助言した。マクレガー氏は、アリスター・クリュックシャンク氏16 の助言に従って譲歩し、禁止令が、命令の日から5週間後の7月18日に施行されるべきであることを決定した。
205 当初、我々は、この猶予期間を与えたことに対して疑問をもったが、我々の疑問は後知恵によるものであると結論した。反芻動物由来飼料の禁止令の策定に関与していたMAFFの獣医学者の1人であるケビン・テイラー氏は、彼が、獣医学的見地から考えて2カ月間もの猶予期間が完全に許容範囲にあるとする理由について我々に説明した。当時、入手可能であった情報に基づいて考えて、措置の実施におけるそのような遅れによって、何らかの違いが生じるであろうとは彼には思えなかった。畜産業界は、感染した飼料に380週にわたって曝露していた。それが、さらに何週間か延びても大きな違いは生じなかったであろう。

207 ずっと後になって、感染した飼料が、7月18日以降もかなりの規模で牛に供給され続けたことが明らかとなった。
<中略>
しかし、一部の飼料工場や飼料販売業者らは、禁止令の施行後も、故意に動物性たんぱく質を含む牛の飼料を販売し続けたと我々は確信している。

遵守されるか否かは科学の問題ではないけど、結果が大きくなれば全体への不信が大きくなるのはある意味当然かな、とは思う。このような状況にあるときに、ちょっとしたミスリードが大きな反発、反感をもたらしかねないと思うのね。

第1巻 p48より
212 ワイルスミス氏は、感染を起こすには、ごくわずな量の感染物質で十分であると結論していたと述べた。牛用の飼料に含まれるMBMの含有率が低いことから、彼はそのように推論したのであった。彼は、自らの見解がMAFFの行政官らの間で広く共有されているべきであったと考えていた。
第1巻 p50-51より
223 7月末までに、BSEに感染したと思われる症例が、18の群れで46例確認された。トンプソン氏、マイケル・フランクリン卿は、ともに人間の健康について懸念していた。リース氏は、そのような懸念を持ってはいなかった。彼は、BSEは家畜衛生の問題であって、人間の健康の問題ではないと考えていた。ワトソン博士は、BSEが人間の健康に対してリスクを及ぼす可能性は非常に低いと考えていた。

第1巻 p52より
229 大臣らに提示するための選択肢についての検討は、特に、リース氏、クリュックシャンク氏、ワトソン氏、メルドラム氏、ワイルスミス氏、ローレンス氏によって行われた。1988年2月16日までには、選択肢を提示し終え、クュックシャンク氏はこれをMAFFのエドワード・スミス事務次官に送った。送付状の中で、クリュックシャンク氏は次のように述べた:
「我々は、この疾病がどこから来たものなのか分からないし、どのようにして広がったものなのか、人間に感染するものなのかも分からない。私には、この最後の点が、この問題における最も憂慮すべき側面であると思われる。人間がこの疾病に感染し得るという証拠はないが、リスクが全くないとはいえない。」

第1巻 p61より
265 サウスウッド作業部会が、報告書において説明しなかった多くの問題がある:
· BSEが人間に感染するというリスクは、「起こりそうにない(remote)」と思われたと述べた箇所で、彼らは何を意味していたのか?
· なぜ、リスクは起こりそうにないと思われると判断したのか?
· なぜ、感染牛は屠殺し廃用処分するべきであると提言したのか?
· なぜ、ベビーフードに関する勧告を行ったのか?
· 人の食品を無症状の感染牛から保護するために、それ以外の予防措置をなぜ何も提言しなかったのか?

266 我々は、これらの問題すべてを作業部会のメンバーに対して提起した。
267 我々に対して、彼らは、「起こりそうにない(remote)」という言葉を、医学的な文脈でリスクを説明するのに使われる際の意味で用いたと説明した。そのような文脈では、起こりそうにないリスクとは、有意であると証明される可能性は非常に低いが、それを無視することは妥当ではないようなリスクのことである。起こりそうにないリスクが起こらないようにするためには、適切な予防措置を講じるべきである。作業部会は、そのような予防措置がどのようなものであるべきかについての助言に着手した。彼らは、それを行うにあたっての説明として、我々に対して以下のように述べた:
「リスクについての我々の取り組み方は、認識されているリスクの大きさと、そのリスクの軽減のためにとられる措置の実行可能性および達成可能性とのバランスをとることを必要とするその頃開発中だった分析の、公共リスクへの適用を踏まえた方法であった。リスクの大きさは、その危険性の確からしさおよび規模の両方によって構成される。」

第1巻 p62より
269 なぜ、リスクは起こりそうにないと判断されたのだろうか。報告書を読んだ結果、我々は、作業部会がスクレイピーの性質から、安心を得てしまっていたと結論した。スクレイピーに感染した羊は、何百年もの間、何の害も引き起こさずに人の食用として屠殺されてきた。もし、BSE が牛におけるスクレイピー感染因子であったならば、それと同様の性質をもつ可能性が高かった。

270 我々に対して、作業部会は、それが事実、彼らの推論であったと認めた。しかし、彼らは、BSEスクレイピーのような性質のものであると決めつめていたわけではなかったと強く主張した。彼らは、スクレイピーが感染源であるかどうかに関わらず、牛のBSEは、羊のスクレイピーよりも伝染力が強いかもしれないという可能性について認識していた。この可能性のために、BSE感染肉を食べることによって考えられるリスクに対して妥当な予防措置を講じる必要があった。

271 BSE感染肉を食べることによって考えられるリスクに対する妥当な予防措置としては、患畜を食品連鎖から取り除く必要があるが、無症状の感染牛については、ベビーフードに関する提言の他に何の予防措置も必要ではないと作業部会は結論した。
272 サウスウッド作業部会の報告書のこの部分については、批判すべき点が数多くある。まず、第一に、彼らがリスクを起こりそうにないものであると説明するにあたって、彼らが、リスクを合理的に実行可能な限り低くするための措置を講じるべきであると示唆することを意図していたという点を、明白にしなかったことが挙げられる。我々は、彼らがそうするべきであったと考える。

第1巻 p63-64より
277 作業部会が、これらのリスクを起こりそうもないものであると説明した理由は、彼らが確信してきた措置が、リスクに対処するために講じられることになっていたということのみであった。彼らは当初、牛由来の原料を使用した注射用の医薬品の一部は、比較的高い感染リスクがあるかもしれないと考えていた。ピクルス博士の支援を得て、作業部会は、医薬品の安全性に責任のある人々にこのリスクに対処するための措置にとりかからせるために、あらゆる適切な措置を講じた。彼らは、BSE 感染因子が医薬品に混入するのを防ぐために検討される措置のいくつかについて、報告書で詳しく説明するつもりであった。
しかし、901〜906 節で述べるように、医薬品の認可に責任のあった担当官らが懸念を示したことを受けて、作業部会は、報告書の論調を和らげ、措置は講じられていると保証することによってその措置の詳細には触れないことを承知させられた。
278 ピクルス博士の支援を得て作業部会がとった行動が、医薬品の安全性に対して責任のある人々を刺激したことは、評価に値する。そのような人々は、子供がBSEよりも大きなリスクにさらされる結果をもたらすかもしれないワクチン騒ぎにつながるような、ワクチンの安全性に対する懸念が報告書のせいで生じるのを極力避けようとした、と作業部会は我々に対して述べた。我々は、彼らの懸念には共感する。しかし、それが結果として、医薬品に関する作業部会のリスク評価について、報告書を読む人々に誤った印象を与えることにつながった。作業部会は、このようなことを容認するべきではなかった。彼らは、単に、ある種の医薬品についてはBSEによる影響があるかもしれないことに対して彼らが懸念をもっていること、また、それらの懸念について、医薬品安全性委員会および獣医用製品委員会に対して言及しており、彼らは既にこの問題への対処に着手した、と述べるだけでワクチン騒ぎを引き起こさずに、誤った印象を与えるのを避けることできたであろう。残念なことに、報告書の表現によって、人用および獣医用の医薬品の両方について、それらを扱う人々の一部に、たとえ何の改善策も行われなくても医薬品に関しては起こりそうにないリスクしか存在しないという印象が与えられることとなった。

ワクチン騒ぎが元々無ければとも思う。所謂ニセ科学やデマのようなものはこうして様々なコストを増大させるのだね。

第1巻 p64-65より
281 報告書の草稿は辛辣な内容を含むものであった。草稿では、BSEは草食動物に動物性たんぱく質を給与するという方法をとった結果であったという事実に言及し、この方法が新たな感染経路を切り開いたことに注目していた。そして、続けて次のように述べた:
「この避けがたいリスクはあまりにも大きいため、病原体のこれらの新たな感染経路を排除するためには、農業の方法を変えることが賢明であると我々は考える。」
282 このような言及が報告書に含まれる予定であることを知って、MAFF担当官らはこれを動物用飼料にMBM を配合することへの攻撃であると解釈し、慄然とした。家畜衛生部は、事務次官に対して、レンダリング産業では、毎月100,000トンを超える原材料を加工しており、それによって動物用飼料および産業用原材料の供給源となっており、また、屠殺場業界に対して「廃棄物処理」のサービスを提供しているとコメントした。これらの影響について述べた文書が直ちに作成され、作業部会に送られた。マーティン博士もまたリチャード卿に対して書簡を送り、このテーマについては自制するよう強く主張した。こうして自制が働き、後にリチャード卿が確認した事柄について明白にすることを意図していた草稿に対して修正が加えられた。作業部会は、動物性たんぱく質レンダリング処理するという方法を中止するよう提言してはいなかったが、その存続は、全ての病原体を破壊できるレンダリング工程が見つかるかどうかにかかっていると提言していた。



■報告を眺めて
この報告書を読んだあとにそれぞれの持つ印象は大きく違うものになるのかも知れませんが、どらねこの感想は伝聞からイメージしていたものとは随分と異なったものでした。
科学の失敗と謂うよりは、科学によって提示された見積もりを政治がどのように判断するかの問題では無いかと思いました。例えば、第1巻p46にある、レンダリング業者への配慮については科学の手を離れた判断であるでしょう。そう謂った政治的な判断の参考資料となるのが報告ではあるものの、その報告のされ方についてもシステムの問題であり、科学の方法論とは実際には別問題なのですね。どのようにするべきかまで踏み込むことを自然科学に求めるのは妥当では無いように感じます。寧ろ、科学としての意見を求められた側が勝手に政治的判断をするのは混乱の元となるでしょうから、むやみに踏み込むべきでもないように思います。


そもそも、未知のリスクなんて考えればいくらでもあるわけで、例えば今まで安全と考えていた微生物に突如体に深刻な影響を及ぼすような変異が起こるかもしれないわけです。昔から食べてきた食物から体に悪影響を及ぼす物質が今後発見されるかも知れません。それらの可能性は零では無いのですからすべてに向き合うべき、なんて意見があったらどうでしょう?いくら予算があっても人員が居ても対応できるものでは無いと思います。それでもいざ問題が発生したら、あの時なんで予想は可能であったのに放置したのだ?と謂う意見は出ることでしょう。
だから、もしかしたらの可能性だけではなく、起こりうる可能性の見積もり、被害の見積もり、現実的な対応策が可能であるか否か?など様々な視点から考慮されるべき問題なんだと思います。これを「科学の問題」と、それだけでは無くとも一番の問題でもあるかのような提示のなされ方がされるのは疑問であるとどらねこは思います。