【「安全な食べもの」ってなんだろう?放射線と食品のリスクを考える】本を読んでおもつたこと編



本文を引用しながら、どらねこの素直な感想を書いていきます。ちょっと逸脱があるかもしれませんのでその点どうぞお気をつけ下さい。


■この説明いいね!
この項では本文中より気に入ったどらねこが説明部分を抜き出して感想を書きます。モフモフ

p27より
カドミウムは火山の多い日本の土壌には比較的多く含まれ、海産物にも多く含まれるものがあります。日本人の食生活と生活環境ではカドミウムを減らすことが簡単ではありません。食品添加物残留農薬のように、影響が出ない量にさらに余裕をもたせて基準をつくろうとすると、その結果として多くの食品(カドミウムの場合一番問題になるのはコメ)が食べられなくなってしまうのです。食品の安全を強く主張したあげく食べるものがなくなって飢えてしまうという本末転倒な事態になってしまうのです。

手段の目的化にならないようにしないといけませんよね。

P27より
もし水銀やカドミウム食品添加物や農薬のように意図的に使われるものだったら、そのような配慮などなしに安全係数は通常の一〇を採用するでしょう。

そうそう、その点は一律じゃなくてちゃんと配慮して決められているんですね。その事を知らない事で生まれる誤解もあることでしょうね。

p51-52より
DNAは二重螺旋構造をしていることはよく知られていると思いますが、普通の状態の細胞ではむき出しのまま存在するわけではなく、タンパク質と結合して何重にも折り畳まれてクロマチンという構造体になって核の中に存在しています。用があるときに、つまりタンパク質を合成したり、増殖するために遺伝子を複製したりするときにそれが解きほぐされます。

なんとなく細胞の核にDNAが浮いているイメージ(X状の染色体?)を持っている人もいそうですし、まったく想像もつかない方もいるんじゃないかな?と思います。

p53より
発がん物質による遺伝子の変異がむき出しのDNAに対しておこりやすいということはつまり、細胞が活発に分裂をしていたり忙しくたんぱく質を合成したりしてい場合に影響されやすいことを意味します。

この説明でストンと落ちる人もいそう。単なる知識じゃなくてどうしてなのかを理解したい欲を満たす説明は重要だと思う。

p54より
代謝を活発にして若々しく」とかいういろいろな方法に本当に効果があるのであれば、理論的にはそれによってがんの発症率が上がることになります。

と、するどい刃物のような説明のあと返す刀でもアンチエイジング商法のおかしな点をばっさり。


■実はマクロビ批判本
ところで、どらねこは本書をマクロビオティックの危険性を訴える良書としてお勧めいたします。なんとなくマクロビの名前だけ知っているような食品関係の仕事に就いている方が「へぇ〜、そうなんだぁ」と理解してくれる事を期待しちゃいます。

p74より
食品中に含まれる発がん物質がいろいろあることはわかった、そのリスクの大きさの計算方法もわかった、それでは私たちにとって一番リスクが高いのは何でしょう。
現時点ではその答えはたぶんヒ素です。ヒ素は地球上のどこにでもある天然物です。有機と無機に大きく区別されますが、遺伝毒性発がん物質なのは無機ヒ素のほうです。

発がん性物質の影響を意識するなら忘れてはならない物質がヒ素だそうです。

p75-77より
たとえばおコメにはごく平均的なもので一〇〇〜二〇〇μg/kgのヒ素が含まれ(多いものは日本でも五〇〇μg/kg程度)、そのほとんどが無機ヒ素です。おコメを一〇〇g食べるだけで一〇〜二〇μgの無機ヒ素摂取量になりますから、三食おコメという食生活だとそれだけで体重一kgあたり一μgのヒ素摂取量になります。
<中略>
日本人の場合、無機ヒ素の摂取源はおコメより海産物のほうが多いので、発がんリスクは実はもっと高いのです。特に無機ヒ素が多く含まれることがわかっているのはヒジキで、現在日本では食品安全委員会がヒジキのヒ素についてリスク評価中ですが、海外では評価をするまでもなく食べることは勧めないとしています。

これは現状の放射性物質による食品汚染を心配するのならば当然気にしてよいレベルの含有量だと謂う事です。このヒジキを積極的に勧める食事法がマクロビオティックです。

p84より
特に日本におけるマクロビオティックでは肉を食べないことで鉄分が不足するため、妊婦さんにヒジキを毎日摂るように勧めているようです。しかも独自の理論により、無機ヒ素を多く含む戻し水まで捨てずに摂るように指導しているようです。

一部のマクロビオティックを推奨している人には放射能対策を掲げている事例も見かけますが、それにより却って発がんリスクを高めてしまう可能性があるのだとしたら本末転倒と謂えるでしょう。
ちなみに、マクロビ料理でもヒジキの戻し汁をそのまま使うように指導しているものばかりでもありません。そう謂う記述もいくつか見られておりますし、料理講座でそのように指導されたと謂う事例は知っておりますが、主流では無いと思います。但し、提唱されている理論に沿って調理すればそのようになる事でしょう。

p84-85より
遺伝毒性発がん物質への暴露量は少ないに越したことはありません。できることなら暴露量を下げるように対策していくべきでしょう。でも現実の生活で影響があるかどうか確認されていないようなレベルのリスクを根拠に、現実の生活を不便にすべきだと主張するのはその影響を十分考慮した上で慎重に行うべきことです。コメをたべないという選択は人によっては簡単にできることかもしれませんが、みんながそれをすべきだという場合には日本という国のあり方を大きく変える必要があります。すぐに影響があるというものでもないのだから、できることから対応していけばよいのではないか、とは思えませんか?ここで使った言い回し、すぐに影響があるというものでもない、つまり「ただちに影響があるわけではない」は、メディアなどから散々非難されている言い方ですが、この文脈ではどう感じたでしょうか。コメを食べることによってがんになるというリスクをどう把握しているかによってこの言葉の受け止め方が違ってくるでしょう。

とは謂え、ヒ素を気にしすぎるあまりコメを食べるのを控えようと考えるのも現実的ではありません。ほら、放射性物質の害を気にしすぎて大切なものを見失っちゃだめですよ、と謂う説明と同じ構図なんですね。それでもただちには影響はないでしょうけれども、影響があるかもしれない食べ物ばかりを選んで食べる必要はないですよね。リスクは分散すると謂うやり方が効率的なのですから。

p134より
実際にはコメひとつとってもカドミウムヒ素などのようなもっと大きなリスクがあるのです。たとえば玄米のほうが汚染物質は多く含まれるけれどそれでも玄米を食べるメリットがあるのかどうか、検討された形跡がないまま食育と称して子どもたちの給食に導入されていたりします。安全性という観点からは決して勧められない原理主義地産地消もそうです。もともとのリスクはどれくらいあるのか、どのくらいのリスクだったら許容できるか、経済的負担は、という議論がないままにムードだけで安全・安心をスローガンにしているのが実態でしょう。

勧められるものではありませんが、個人が自分のこだわりとして風変わりな食事法を行うのは自由の範囲と謂えるでしょう。しかしながら、国主導事業でそのような事が勧められるのは困ったものだと思います。キチンと評価される必要があると思うのですが、なぜか曖昧なまま進んでいるように見えてなりません。
マクロビオティックでは、動物性食品を極力減らし穀物の割合を増やすことで、ヒ素の摂取量が増える事が予測されますが、さらに玄米を用いる事で、その含有量は増える事でしょう。また、お米のヒ素の含有量は地域により異なる事が知られておりますが、身土不二の原則により、その土地で採れたものを食べることを優先しますので、リスク分散ができません。さらにひじきを食べることが勧められますので、人によっては健康に影響があるかもしれないレベルを超えてしまう可能性があるように思います。中身を評価しないままにイメージで捉えることの危険性を教えてくれる事例ではないでしょうか?
まぁ、そんなわけで畝山氏のこの本は私のブログよりも影響力のあるマクロビ批判となっており、うれしい反面ちょっと悔しいですね(笑)。


■これはどうなのかな〜う〜ん

p95より
放射能は目に見えないから怖い」という主張には異議があります。
もともと現代の安全管理で一般の人たちが「目に見えて実感できる」ような明確なリスクはほとんどありません。発がん物質にせよ食中毒菌にせよ、目には見えません。

うーん、確かにそうなんだけど、「これ以上目に見えない危険がふえすぎるのやだよ〜、もうこれいじょうやめてー」と謂う気持ちの方もけっこういらっしゃるんじゃないかなぁ。折り合いをつけるまでにまだいたっていないのよ、あたしは・・・。なんて人もいそうだよね。


■余力のある人が余力のない人を守る?

p121より
実はこのある意味割り切った考え方は、情報が溢れるなかで子育てをするお母さんたちにこそお勧めしたいものなのです。個人的な経験になりますが、現代の日本で理想的な子育てをしようと頑張って情報を集めているという真面目なお母さんたちほど、情報の海に溺れてしまいやすいと感じています。

心理的にも経済的にも余裕があるのならまだしも、それに振り回されて疲弊するよりも現在の首都圏の放射性曝露による発がんリスクの上昇に対して過剰に反応しないのも一つの手ではないか?割り切ってしまうのもありだよ?と筆者は述べます。
これについてはそうだなぁとも思うのですが、よく理解して割り切る事だけでなく、そこまで理解に至ることの難しい、日々の生活に忙しい人も安心して暮らせるような状況をつくる事も大切なんじゃないかなぁと思うんですね。現実的には無理だとおもうのですが、キチンと問題点を把握できている人が増える事で結果的にデマ的なものを信じてしまいそうな方の元にそう謂った言説が広まる前に消し去る事ができると思うんですね。予防接種が予防接種を受けることが困難な方の健康を守るイメージね。



■本を読み終えて
実際に食の不安にしたって、テレビや新聞を賑わしているけど、それほど気にしていない人の方が実は多いのでは?と、どらねこは考えたりもしますよ。少なくともどらねこの周辺にはあまりいないです。関心があって理解していて安心しているのではなくて、そもそもさほど関心がない人もいるんですね。でも、そんな人ってそもそも意見を発信したりしないから目立たないと思います。あと、ちょっと気になっている人でも極端な意見の人にただ引っ張られているだけだったりするのかもしれません。
この本を読んでからいろいろ考えたのですが、今のどらねこは読む以前と比べてさらに楽観的になったのでした。細かなリスクそれぞれを気にしすぎるよりものんびりと暮らすメリットも感じたんですね。これって多くの人はそれでいいと思うんですよ。あまりに多くの方が気にしすぎて必要以上に問題があると訴えるのって全体のコストも嵩むはずです。結果的には気にしないでのんびり構えていられる人が不安に駆られている人を支えているような気もするんですよね。災害後の復興を考えれば平常心で今まで通りに暮らす事の大切さってあると思うんですよ。
普段はのんびりと構えていて、あまりに酷い情報がとびだしてきた時には断固として対応していくぐらいがよいと思うのです。本当にまずい方向に向かいそうになったときに修正をかけられるか否か、これを外すと悪い方向に向かってしまうと思いますから。のんびり構えている人が安心してのんびりできるように、気になる人はキチンと勉強していただいて、不適切な対応には声をあげてくれるような状況が良いんじゃないかな?みんな同じように心配をしなければならない、なんて事はないのですから。
どらねこは平和ボケってコトバは嫌いじゃないんです。それよりも過剰な不安や敵対を煽る言説の方がよっぽど危険だと思うんですね。
以上、暴論混じりですの読書感想を終わりにします。読んで下さりありがとうございました。