努苦暑感想文



全国の元児童、元生徒の皆様、今日は。とらねこ日誌管理人どらねこです。
さて、夏休みも終わりに近づいて参りましたが・・・と書いていて気がついたのですが、私の住んでいる地域の夏休みはもう終わってるんですよね。なんかもう、この記事は色々と終わってしまっておりますね。
子どもの頃の夏休みの思い出って、それはもう楽しくて堪らなかった記憶があるんですよね。で、この時期になると急に慌ててしまうんです。どらねこは昔から不真面目でしたので、夏休みの宿題をキチンと仕上げた記憶は一つもございません。特に、計算ドリルとかは苦痛以外の何者でも有りませんでした。やっていないのに苦痛というのも微妙なのですが、やっていないで遊んでいる事の後ろめたさが苦痛だったのでしょうね。このように、夏休みの宿題はいたいけな少年の心を弄ぶ、悪魔のような存在であったわけです。
とはいえ、ドリルについてはやらないままにやり過ごす事が出来たりもしたどらねこ少年だった*1のですが、自由研究と読書感想文については、チェックが厳しく、とても出さないと謂う選択肢はあり得ないような状況でした。自由研究なら研究しない自由も保障されて良いとまでは当時のどらねこは流石に思わなかったようで、歪な木片を接着した塊や甲殻類の屍体を瓶詰めにしたようなものを提出した記憶が残っております。
■感想文
そして最期に残るのが何時も読書感想文でした。いや、最期もなにも自由研究しかやっていないだろ?と謂う突っ込みに対しては、ドリルの表紙に名前を書いたと反論しておきます。
当初の予定は、読書感想文ってあり得ないよね?こんなに批判され続けているのに、何十年も放置されているって何の陰謀?子どもにとってどんな意味があるの?という批判的なモノを予定していたのですが、なんだかそんな気分では無くなってきてしまいました。う〜ん、どうしましょう。
そんなわけで、何を書いたらよいかのヒントが欲しくなり、ツイッターにて皆様に読書感想文について思うところを募集いたしました。そしたらやっぱり肯定的なお話しはあまり帰ってきませんでしたが、其処には何となく共通点があるような気がしました。読書感想文を出すこと、評価のされ方などについて教員への潜在的な不満というのでしょうか、そんなのがあるような気がしたんですね。でもこれって、誰のせいなんでしょうか?どらねこは教員自体も実は乗り気でないと謂う話しもきいた*2ことがあります先生自体がイヤイヤ読書感想文を実施しているのだとしたら、そりゃ児童、生徒にも伝わりますって・・・。じゃあ、教員が悪いのかと謂えば、そうとも謂えないわけです。一教員が学校や教育委員会の意向に背いて無事に済むのでしょうか*3、そんな事は無いですよね。でもさ、今まで続いてきた事を簡単にやめるわけにはいかない、と謂う気持ちは分かるんですよね。もう訳が分からなくなってきたので、次に進みます。

■良い点を探してみる
悪評が多い夏休みの読書感想文。悪いと考えられる点の指摘なら簡単に見つける事が出来ると思うので、敢えて良い点を考えてみました。



大人の顔色を読むことを身につける切っ掛けとなる

読書感想文が宿題として出される場合は大抵、「貴方の自由な感想を書いてください」と指示されると思いますが、本当に自由な感想を書いて出すと認めてもらえない可能性が高いでしょう。こうして子どもは字義通りに受け取ると痛い目にあう事を学びます。教師が喜ぶように課題を仕上げる能力は今後の人生で役に立つかも知れません。



意味の無い苦行を実行する事が支配者からの評価に結びつくことを体感できる

自由な感想を求めるのなら200文字でもそれよりも少なくてもOKな筈なのですが、原稿用紙3枚など意味のない指定が科せられます。それは苦行を克服することが未だ現代日本でも賞賛の対象となっている事を子どもに悟らせる切っ掛けとなります。見込みは無くても努力する姿をヒトは評価するのです。



年代を超えた共通体験となる

昔から行われてきた、且つ苦しい思い出でもある事の多い読書感想文は広い世代で共感できる話題としてたいへん有用であると考えられます。趣味などの共通項の無いヒト同士が話題に詰まったときに、小学生時代のあるあるなどで盛り上がれると謂うのはとても大事なことだと思います。あー、読書感想文、アレ、苦労したわぁ〜嫌いだったなぁ、あ、奇遇ですね、私もなのですよ、と話題に花が咲きます。先ほどもどらねこがツイートしたところ何人もの方からお返事を頂き、楽しく会話を持つことが出来ました。アリガトー読書感想文。



ホメのスキルが身につく

本の内容を美化し、何処が素晴らしかったのか、自分が如何に感銘を受けたのか述べることで、興味のない対象であっても褒めたり長所を見つけ出す能力を涵養します。ここまで読んできた読者様は私が読書感想文に真面目に取り組んでこなかったことを実感してくださることでしょう。

■すこしだけ真面目に考えてみる
少しネタに走りましたが、個人的な鬱憤が有るためか良い点を見つけるのは難しかったです。中には良い思い出となり今に繋がっている方もいらっしゃるとは思いますが、児童・生徒に一律課す形での読書感想文と謂うのはこのままでは意義が薄いような気が個人的にはしております。
でも、本を読む事自体はとっても良い経験になる事が多いと思うんですよね。じゃあ、どんな感じでその魅力や有用性をアピールしたら良いんでしょう。読書感想文と謂う形に拘らずに考えてみました。

続きを読みたくさせる教科書づくり
ぶふぉ〜ん!
「きゃぁ、もうだめぇ」
ぬるり、ぼとぼとっ・・・
「えっ、みつどん・・・さん、いやぁあああああ!」
つづきは図書館で!


国語の教科書に掲載する名作は、続きを知りたくなるような場面で打ち切ってしまう。なんかこうモヤモヤ感が残って、読書感想文の課題にしなくても自主的に本を借りに行くかも知れない。

先輩オススメ20選
自分たちの上の世代が選んだ、オススメの物語。何が面白かったのか、どんな子にオススメなのか、同世代ならではの視点で紹介。

下級生の為に自分たちが面白かった本を紹介する文を書こう!そんなテーマだったら頑張っちゃわないかしら?先生の目を意識しない文章もでてきそうだよね。どんな風に紹介したら良いのかはその上の世代が良いお手本になるしね。

将来の自分へのお手紙
大人でも読めるような内容の本を読んでもらい、理解できた内容、読み取れたこと、思ったことを自分のために書きつづる。小学生、中学生、高校生・・・そして大人になってからも同じ様に書いてみる。

自分向けだから飾らないで率直に書く。そうして初めから読み比べてみるときっと自分の成長を感じることが出来るんじゃないかな。そうして、子どもの頃の自分をいとおしく思うことが出来るかも知れない。あと、これは難しいかも知れないけれど、自分の子どもが同じ本を読んだとしたら、子どもの頃の自分とは違った感想がでてきたり、似たような感想がでてきたり・・・なんか楽しいかも知れませんね。
過去を切り取る事は出来ないけれど、当時の自分を思い出すスイッチの一つにはなるのかもしれません。

■おわりに
何だかんだと書いてきましたが、どらねこは本を読むことが好きですし、色んな事を学ばせてもらいました。折角の楽しい読書を一律の堅苦しいやり方で嫌いになってしまうのは勿体ないと思うんですね。子どもに読書感想文の宿題が出たのなら、めいっぱいお手伝いしちゃっても良いと思いますし、一緒に同じ本を読んでも良いかもしれません。子どものことを分かっている両親が子どもにあわせた方法で、つまらない宿題とならないように、アドバイスをしてあげても良いんじゃないかな、どらねこはそんな風に思います。
では、良い一冊と出会えますように。

*1:本当か?

*2:これで一般化してはいけないけれど

*3:すむかもしれないけど