ゆるマクロビって何だろう


マクロビオティックは単なる食事療法や健康法ではありません、その教えは栄養学とは相反するモノで、宗教的な側面を強く持ちます。厳格に行うと、特に子供や妊産婦について、健康を損なう危険性があります。

私は、ネット上でこのような批判を繰り返し行ってきましたが、反論といいますか、マクロビオティックの教えや実践の中には有用な考えもありますよ、という意見を頂くことがありました。また、厳格にマクロビオティックを実践するから良くないのであって、ゆるく実践するいわゆる『ゆるマクロビ』であれば、肉食過多で食物繊維の摂取が少ない現代的食生活に採り入れるのは有用なのではないか、そんな意見も良く聞こえてきます。
これらの考え方は妥当なものでしょうか?私の個人的な意見を書いてみたいと思います。

■なにが『ゆる』いのだろう
ゆるマクロビと一口でいっても、その中身は一様ではないと思います。ゆるさの程度も違うだろうし、ゆるさの内容も違うと思うのです。
例えば、マクロビオティックの考え方は正しいけれど、真面目に全て実行するのは難しいので、程々に採り入れている人と、マクロビオティックの考え方には懐疑的だけど、なんとなく健康に良さそうだからと採り入れている人など、いくつものパターンがあるでしょう。中には考え方には賛同していないけれど、調理技法と美味しそうなレシピだけ参考にしているよ、なんて人もいらっしゃいました。
では、それらのいわゆる『ゆるマクロビ』は本当にマクロビオティックなのでしょうか?

■ゆるマクロビはマクロビオティックである。しかし・・・
私は一部を除いて、ゆるマクロビでは無いと考えます。その一部とは、『考え方』や『教え』を信じている・正しいと思っている方が、できる範囲でほどほどにマクロビオティックの手法を採り入れているものです。
マクロビオティックは、『人間は穀食動物である』、『身土不二の原則*1』、『一物全体食*2』を基本に、桜沢如一の考える『陰陽バランス』を整える食生活をする事で健康を保つことができると主張をする思想です。
つまり、マクロビオティックの教え、考え方に賛同していないものについては、マクロビオティックではなく、単なるその手技を採り入れているだけに過ぎないと考えるからです。

例えが宜しくないかも知れませんが・・・

主の降誕の行事(クリスマス)を楽しむ日本人は何処でも見かける事ができますが、彼らはゆるキリスト教徒でしょうか?

明治時代に日曜日を休日に位置づけたのは、日本が『ゆる欧化』した事を意味するのでしょうか、若しくはゆるキリスト教徒となったからでしょうか?

他国から決まり事であれ、文化や慣習などであれ、多くの中から良いもの、妥当なもの、面白そうなモノを採り入れたり参考にしたりする事は、その影響下に収まる事を意味するわけではありません*3よね。

■それはマクロビではない
理念や原則などにさほど興味はなく、マクロビオティックの調理手法を参考にして、動物性食品を使わないで満足感を得られる料理が食べたいとか、野菜を使った面白いお菓子を楽しみたいとか、そんな利用をされている方は結構いらっしゃると思うのです。既に説明しましたが、それについては私はマクロビオティックであると思っていないし、危険性もほとんど無いと思っております。私なども、手に入りにくい素材を購入できる場所を探したら、それがマクロビ系のお店であったなんて事もあります。
マクロビオティックがつくり上げてきた技法や、食材などの資源のうち、有用なものがあれば、マクロビオティックとしてではなく採り入れる事はごく当たり前にあって良いと思うんです。軟らかい加工された食べ物ばかりでちょっと食物繊維が不足したな、と感じたとき、手軽な玄米菜食を食べることは手法としてはアリなのですね。でも、それって栄養学で説明されるお話し*4ですので、マクロビオティックである必然性はありません。

■ゆるマクロビに危険はあるか?
マクロビオティックの理念を正しいモノ、望ましいモノと考えている場合、ゆるく実践しているのであれば危険は無いのでしょうか?
そのまま緩く続けていくのであれば、さほど問題は無いと思います。しかし、理念で許されていない事(獣肉食とか)を続ける事に後ろめたさは感じないのでしょうか?もし、その間に本人や家族がなんらかの原因で体調を崩したとすれば、マクロビオティックの食生活を守っていなかった為と考えてしまわないでしょうか?その場合、病気を治すために厳格なマクロビオティック食養生を実践するようになるかも知れません。病気を切っ掛けに厳格なマクロビ食をはじめた方を、私は幾人も知っております。

■広まる事自体を憂慮します
本人がマクロビオティックの思想自体に興味が無くとも、マクロビオティックを健康的なイメージや、お洒落な玄米食であるという認識で気軽に語る事は、マクロビオティックに警戒無いまま近づく人を増やしてしまうかも知れません。芸能人も採り入れている健康的食のイメージを前面に出した内容でテレビ放映されることも同じ理由で憂慮いたします。
マクロビオティックに有用な面があることは健康法としての妥当性を何も保証しないのです。

*1:簡単に説明すると、うまれ育った土地に昔から産する食べ物を食せば健康が保たれる、逆に環境の大きく異なる地域の食べ物を輸入して食べることなどは望ましくないというような教え

*2:なるべく食材は皮を剥いたり、内臓をはずしたりせず丸ごと食べよう、ゆでこぼしもしないようにしようという教え

*3:肉が食生活に定着しているから食が『欧米化した』、みたいなのもその類型にある妥当性の乏しい表現と私は考えてます。主食に穀物を三食そろえるような風習が薄れ、伝統的な調味料を使った料理がヨーロッパでポピュラーなソレと取って代わるぐらいではないといえないと思う。社会構造の変化に伴う食様式の変容が主であると捉える方が妥当であるでしょう。

*4:食の陰陽などとは関係なく説明可能